やさしい有刺鉄線
夕焼け色に包まれた公園に少女がひとり立っていた。
子どもたちが遊んでいたのだろう、砂場には作りかけの砂の城がまだ残っている。
少女は公園の真ん中に立っていた。
暮れる夕日に照らされて、自分の影をじっと見つめている。
誰も居なくなった茜色の公園で傘を差して佇む姿を、偶然通りがかった沖田は見ていた。
少女のその姿からはいつものような小憎たらしさは窺えない。
辺りを見回しても銀時や新八の姿は見当たらなかった。あのバカでかい犬も居ないところをみると、どうやら神楽ひとりだけのようである。
沖田は銜えていたアイスの棒を脇のごみ箱に投げ捨てると、公園の中へと足を踏み入れた。
「おーいそこのお嬢さん。カラスが鳴いたら帰りましょって唄知らねェか?さっきからギャアギャア鳴いてんだろ。っつーわけっでとっとと家に帰りな。30秒以内に」
「お前誰に向かって口をきいているアルか。私が女王神楽ちゃんと知っての…ってなんネ、サドあるか」
「女王様ァ?知らねェなァ。公園に不法侵入するどころか不法滞在している女王様なんて聞いたことがないぜ」
「公園はみんなのもんヨ!税金泥棒しているお前には言われたくない台詞ネ!」
後ろを振り返り沖田の姿を認めた神楽は、嫌そうに顔を歪め世界の終わりだと言わんばかりの絶望っぷりを見せた。
沖田はそんな神楽の態度に慣れているので今更気にはしないが、腹立たしくないわけではない。
かわいくねーと沖田は心の中で悪態づいた。声に出して言わなかったのは、なんとなく神楽がいつもより頼りなく見えたからである。
「あの犬はどうしたんでィ?」
「定春は今家でお昼寝中ヨ。起きなかったから置いてきたネ」
「ってことはおひとりさんで?」
「うん」
「旦那は?」
ふと、淡々としていた神楽の目が硝子玉のように固まった。そして顔を歪ませるとそっぽを向く。
あ、拗ねた、と沖田は思った。にやりと口の端を歪ませる。
「へェ。お前旦那と喧嘩したのかィ」
「し、してないアルッ!なに言うか!」
「何ムキになってやがんでィ。なにもねーんだろ?」
「っ。ひ、人の揚げ足ばっか取るようなヤツは早く家に帰るがヨロシ!帰って大好きなマヨでも吸うがいいネ!」
「帰るのはお前でィ。つーかマヨが大好きなのは土方さんだから。俺をあんなマヨ星人と間違えるンじゃねェよ」
なんでもないような顔をして、まさか神楽の口から土方のことが出てくると思っていなかった沖田は内心どぎまぎした。
神楽がじっとこちらを見つめる。
それからふたりとも黙り込むもんだから、沖田はなんだか妙に居心地が悪くなってしまった。
唐突に神楽が言う。
「お前、マヨと付き合ってるか?」
「ぶっ!!!」
沖田は噴出した。予想を遥かに超えた問いかけで、沖田は珍しく焦った。
な、何言ってやがるんでィと今更言ったところで、声が震えて図星ですと言わんばかりだった。結果、口を意味もなくぱくぱくさせた。
神楽がげしげしと地面を蹴る。
「やっぱりネ。別に隠さなくてもいーよ。人の恋路にあれこれ言うほど野暮じゃないネ」
「そ、そうかィ…ってか、なんでわかったんだ?」
「女の勘アル。マヨがお前を見る目、他のと違うアル」
「………」
何故だろう、なんだかこっちが恥ずかしくなってきた。あの目つきの悪い男がどんな目をして俺のことを見ているというのだ。神楽が見て勘づくような甘い目をしていたというのだろうか。
…どうしよう、鳥肌が立ってきた。
「銀ちゃんとマヨは似ているアル」
神楽が言った。
「銀ちゃんはお前のところのマヨみたいに目つき悪くないネ。逆に死んでいるけど」
「それ褒めてねーよ…」
「でも、なんとなく似ているネ」
神楽が言った言葉は前々から沖田も思っていたことだから、曖昧に頷いた。どこがと言われても困るのだが、本質的なもっと奥の、人間部分が似ているのだろう。
「それがどうしたんでィ?」
「銀ちゃん、私を見る時、お前を見るマヨみたいな目をしないアル」
「土方さんが俺を見る目ってことは…」
先ほど神楽が言った甘い目と言うやつだろうか。気恥しいやら気持ち悪いやらで、沖田は両腕を擦った。神楽の顔はちょうど傘に隠れて見えないものだから、沖田は神楽が何を思ってそんなことを言っているのか、意図をくみ取ることが出来なかった。
話の流れを考えて、もしやと沖田は問う。
「チャイナ、てめー旦那の事が好きなのかィ?」
「うん」
意外にあっさり答えが返ってきて拍子抜けしてしまった。ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
(マジでか)
呆然とする先で、傘を持った神楽の手が震えた気がした。ぎゅっと反対側の手を握りしめて、下唇を噛みしめた。小さく、ほんの小さく口が動く。悔しい、と。
次の行動は一瞬だった。
傘を投げ捨てた神楽が沖田に飛びかかってくる。沖田は避けることもできず、神楽に押し倒された形で地面に倒れた。
沖田はさっきとは違う意味で呆然とする。
いつもなら罵倒の一つや二つを交わすだろうが、神楽の憎いと言わんばかりの目で見降ろされて言葉が出なかった。ゆらりと傷ついている瞳が、泣いているようにも見えたのだ。
「でも銀ちゃんの目、マヨがサドを見るときのような目をしないアル!銀ちゃん、私のことを子どもとしか見てないアルヨッ!」
沖田の上に馬乗りになる。神楽はギュッと隊服の襟もとを掴んだ。縋るように掴んで、なんでよと口惜しげに繰り返している。
沖田は、何も言えなかった。坂田が神楽をどう見ているのかもわからないし、励ます言葉どころか気のきいた台詞も思い浮かばなかった。
安易な言葉は無責任に思えた。
されるがままにしてやり、苦しそうに呟かれる言葉を沖田はただ聞いていた。手を伸ばしてあたたかい頭をポンポンとたたいてやる。
うーっと唸るような鳴き声が聞こえたが、今は聞かないふりをしてやった。後頭部に手を置いて胸に押しつけてやる。
「なんでヨ銀ちゃん…ッ」
茜色に染まる真っ赤な空を、沖田は見ていた。
それからしばらくして、沖田は土方と共に市中の見回りに出ていた。
ひったくりがあったという付近で聞き込み、目撃したと思われる爺さんから証言を取っているところだったが、しかしこの爺さん、ワシが見たと堂々と断言する割に土方がいくら聞いても「はあ?」と聞こえないふりをする。どうやら相当ボケているようだ。
そんな爺さんに堪忍袋の緒が切れたらしい土方が怒鳴っている。
いい加減無意味だということに気付いたらいいのに、この男は変なところが律儀だった。
そんなふたりの様子をうんざりと沖田は見ていたが、ふと見慣れた男を見つけ、瞬きをする。
クルクルの頭をした銀髪の男が、いつものようにダルそうに歩いていた。
頭をぼりぼりと掻いて、なんともやる気のなさそうな背中だ。
だらしがないのは沖田と同じ属性である。
(旦那だ)
坂田は何やらビニール袋を持っていた。ぶらぶらと揺らしている。
沖田は少し駆け足で気配を消して近づくと、背後からビニール袋を奪い取った。
「あ」
「こんなところで会うなんて奇遇ですねー旦那」
顔にはいっさいの表情を見せず暢気にそう言いながら、沖田は奪ったビニール袋の中を覗いた。そしてその袋に入っていた物を、沖田はじっと見つめる。
「おいおい、警察が人の持ちモンをパクるんじゃねーよ」
坂田が焦ったように袋を奪い返した。視線の先を銀時に変えると、居心地悪そうに坂田が身じろぐ。なんだか可笑しくて、沖田は噴出した。
「旦那ァ、アンタもほんとあめーお人でさァ」
「な、なに?何言ってンだよ?!」
「そのままの意味ですよ。あ。うるさいのが来た。じゃあ旦那、早く帰ってそれを腹空かせたガキに渡してやりなせェ」
ひらひらと手を振って、沖田は坂田に背を向けた。銀時は不思議そうな顔をしていたが、ポリポリと頭を掻くとまたダルそうに歩き始めた。
反対方向から沖田に向かって土方が走ってくる。
「おい総悟!まだ聞き込みの途中だ!俺の目の前で職務放棄するなんていい度胸だな!っつーかアイツに会うなって言ってンだろッ!」
「あーあ、土方さん、アンタがそんな風に俺にメロメロだから、俺は女に怨まれることになるんでさァ」
「はあ?!いつ俺がお前にメロメロなんだよ?!ってか女って?おい総悟!」
となりでぎゃあぎゃあと騒ぐ土方の声を受け流し、沖田は歩みを再開させた。
神楽の一件以降、山崎に探りを入れてもらうと、どうやら銀時は最近女のところに入り浸っているようだ。勿論、仕事である。
けれど仕事なのに決して神楽を連れて行こうとしなかったらしい。神楽はそのことを受けて、銀時に女が出来たのではないかと不安がっていたのだ。
(まったく、こっちが惚気られた気分だぜィ)
調べてすぐ分ったことだが、銀時が仕事を受けた依頼人の店は駄菓子屋だった。銀時はその報酬を駄菓子屋にした。神楽にはそれを知られたくなかったから、あえて坂田は神楽を連れて行かなかったのだろう。
そして先ほどのビニール袋がその報酬だ。
酢昆布がいっぱい入っていた袋を沖田は思い出していた。
今頃大好物の酢昆布を銀時から渡されて、満面の笑みを浮かべているのだろうか。
神楽の笑顔を思い浮かべ、くすぐるような春風に沖田は小さくくしゃみをした。