マモノ
檻の中で飼われている獅子は一言で言ってしまえばただデカいだけの猫だ。
図体がデカくて大きな欠伸してゴロゴロと寝て過ごす。
威厳あるタテガミなんてゴミばっか付いて汚れちまって、まるで野生を忘れた憐れな様をそのまま表しているように惨めで汚く不甲斐ない。
けれど檻を取り除いてしまえばどうだ?
欲しても今まで檻に阻まれて見ることしか出来ず諦めるしかなかった獲物がすぐ目の前に、己の牙の届く場所にある。そうすると獅子はその肉に歯を立てたくて仕方なくなるのさ。
一度肉の味を覚えてしまえばお仕舞いだ。もう元へは戻れない。
檻の不自由さを知った。肉を咬みきる牙と爪があるのを知った。誇りも狩る楽しさも思い出した獅子は、巨大な猫から一変、百獣の王へと返り咲く。
本能で動くその姿はまさに芸術だ。美しくあり尊くもある。
「どうだ? 何か感じねェか?」
「別にねェなァ。こんな夜中に誘い出されてわざわざ聞くほどタメになる話でもないしロマンチックでもない。アンタから招待状の文が来た時俺ァぞくぞくしたってェのにな」
「クク。じゃあタメになる話しをしてやるよ真選組の死神さんよ。その獅子がまるでお前みたいだって俺は言ってんだよ。野生の本能を忘れ、飼い殺され閉じ込められている憐れな猫にそっくりだってな」
「ハッ。好き勝手言ってくれるじゃねェか高杉。俺ァそんな大人しく飼われる猫なんて可愛いタマじゃねェぜ」
そう言って口の端を釣り上げた沖田は、柄に手を当てすらりと刀身を横一閃に薙いだ。いつもの隊服ではなく私服姿の沖田に対し、対峙した男の格好は女のように派手な流しだった。
ひどく静かな夜だ。人も虫も草も鳴かずすぐに傍を流れる小川のせせらぎさえ闇夜に喰われてしまったみたいにどっぷりと黒に飲まれている。高杉の呼び出しによりふたりが落ち合ったのはそんな静寂が耳に痛い夜だった。
しかしこの闇に生きる男はその静けさを好んでいる。心地良い静けさにああと感嘆し、コイツを口説くには最高の舞台だと高杉は微笑う。
「そう、お前は檻に入れられて満足するようなヤツじゃないよな。むしろ暴れ足りないはずだ」
囁くように歌を歌うように高杉があまく誘う。
「檻(真選組)の中じゃ退屈だろう、沖田。俺がそこから出してやろうか?」
「……何言ってやがる」
「俺の元へ来いよ」
高杉は沖田を求めた。
高杉は沖田に興味があった。
剣技の素早さ、切れ、若さ、そして戦いを好み血に飢えた獣さながらの獰猛さ。
刀を携えた沖田は死神のように残酷で子どものように無邪気だ。誰にも手が付けられない、己の手綱を持つのは己のみ。
その屈しない孤高の誇り、戦うために生まれてきたような狂人さ。高杉はそこを好んでいる。
(けれどそれには真選組が邪魔だ)
近藤と土方が歯止めとなり沖田のブレーキ役となっている。
しかしそれでは高杉の望む沖田にならない、高杉が欲しているのは本能に従った死神だ。
だからテメーが望むならその檻を、真選組を叩き潰してやるよ。片目の男は闇の中からやさしく囁く。
「もっと暴れたいと衝動に駈られたことはないか? もっと多くの敵と戦いたいと、もっと手応えのある敵に出会いたいと日常に飽きたことは? その度に何度やめとけと制されたよ、沖田。何度邪魔立てされた?」
お前の意思はお前だけのものなのに。
ゆったりと手を持ち上げ、高杉が沖田に向かって手を差し伸べる。
「来いよ沖田。俺の相手は世界だ、きっとお前も気にいるぜ。ルールも憚るモノもない、自由なお前が俺は好きなんだ」
共に盛大に暴れようじゃないか。俺たちは破壊を望み楽しむ仲間だろう?
そう言わんばかりに真っ直ぐと伸ばされた手だった、闇の中から浮かび上がったような真っ白い手を沖田がじっと見つめる。
やがてふいに沖田が目を閉じて笑った。
「はは、流石だ。よく俺のことがわかってやらァ」
「ああ。俺とお前は似た者同士だからな」
「しかしまさかこんなところで愛の告白を受けるなんて思わなかったぜ」
「俺はお前が好きなんだよ」
「どっかの馬鹿と一緒で酔狂なヤツだ」
けどな。
沖田はピュッと風を切って刀を高杉へと向けた。高杉が沖田へ手を伸ばすのと平行に、沖田が高杉へ抜き身の刀を突きつける。沖田の目は獲物を見据えた獣の目だった。
「高杉。俺は頭が悪くてね。だから誰が敵かなんて考えたこともねェ。俺の判断基準はただひとつ、ソイツが近藤さんの敵かどうかだ」
死神がにたりと笑った。高杉が綺麗な眉を苦く歪める。
「……やっぱり真選組か」
「残念だな高杉。お前は俺に失恋したんだよ」
「クク、失恋なあ」
最初からこの一癖も二癖もある跳ねっ返りが素直に手懐くと思っていない。
近藤の敵だから俺を切りたいのかと聞くと沖田は頷き、それに従うのは俺の意思だと瞳孔の開いた目で真っ直ぐと告げてくる。
上等だ。その目が高杉は好きだ。
「じゃあ俺と勝負しようぜ、沖田。俺が負けたらこの首お前にやる。持ち帰ってみろ、お前の大好きなご主人様が両手で誉めてくれるぞ」
「もし俺が負けたら?」
「目を開けた時お前を囲う檻はこの世から消えてるぜ。そうなったらお前は狂うしかねェなあ」
「言ってろ。お前の首を取ったら俺が副長だ」
沖田がタンッと地面を蹴って突っ込んでくる。
素早く抜いた刀で応戦しながら高杉は線上の沖田を見て奥底で満足そうにケラケラと笑った。
楽しそうに刀を振ってやがる。やっぱりそういうお前が俺は好きだ。
(俺は諦めが悪くてね)
守るために沖田が刀を振るなら俺は奪うために刀を振る。お前も、お前が大切だと思うものも奪ってやる。
キンッと高い声を上げて鳴いた刀を横に流し、高杉は刀を突いた。ニタリと片目の男が嗤う。死神が狂っていくのもまた一興だと、片目が疼く。
まだ脈はあるだろう?