京都到着

9月21日、京都に行ってきました。目的は新撰組のゆかりの場所を巡ること!
天気は曇り。寝ぼけた体を引き摺って6時30分発のバスに乗り込む。

9時過ぎ着、大阪から京都へ電車で移動して京都に到着!うぉぉぉ来たよー!!とはしゃぐ。
そしてそこからまた電車を乗り継ぎ、ガイドブックと睨めっこしながら京都御苑へと移動します。
方向音痴の上に前に道があればとりあえず進むという厄介な習性を持った私が、もう既に何度か道に迷ったのは言うまでもありません。あれ?


八月十八日の政変

京都では倒幕運動が活発になっていました。
そして尊王攘夷派の長州藩と公家が天皇の詔(言葉)で攘夷を得、倒幕をしようと画策しました。
天皇が攘夷決行!と言えば攘夷が実行でき、且つそれに従わない幕府に対しても天皇のお言葉に反していると大義名分で一掃出来ますからね。
しかしそんな目論見に気付いた公武合体派(朝廷と幕府で一緒に政治をやりましょうっていう思想)の会津藩や薩摩藩などが御所のすべての門を封鎖して長州藩を追い出します。
これが八月十八日の政変。
要請を受け、壬生浪士組(新撰組)も御所の警護をするためにやってきました。

け・れ・ど、名売れしていなかった浪士組が応援に駆け付け蛤御門(←の写真)を訪れると、御門を守護していた会津藩士に「何者だ!」と言われて入れてくれませんでした。
会津藩の要請を受けて来たのに、同藩士に仲間と分かってもらえなかった、そんなショック場所です。(どういう説明)

蛤門の梁には銃弾らしき跡があります。(私は急いでいて全力でスルーしてしまいましたが・・・)


で、なんとか誤解を解けて御所の中に入り壬生浪人組が警護したのが建礼門(→の写真)付近です。
「御花畑」って言っていたようです。(かわいいな)
蛤御門も建礼門も大きくて、昔の人は今より身長が低かったから現代人が見るよりも壮大で威厳があったんだろうなあとしみじみします。


この時私は実際に見て「おおーここの前で整列して見張っていたんだろうなあ」と感動しつつも、待ち合わせ時間に遅れそうで、広い御苑を走りに走って、横腹を抑えて、息を切らせて、汗を流してよれよれの状態で見てました(笑)
ゆっくりと見たら広い御苑をまったりゆったりと歩きながら浸れたでしょうが、急いでいるときほど下に敷き詰められた砂利を恨めしく思ったことはありません。走れないよ!

まあ・・・・はい、結果遅刻しましたが(土下座)


ヒナ様と合流

そして!今回のもうひとつのメインイベント!
坊ルク時より仲良くさせていただいているヒナ様と初めてオフでお会いしましたー!!(拍手)
ディスプレイ越しじゃないというこの喜び・・・!しかも新撰組めぐりにお付き合いしてくださるとのことで・・・ッ!!
こ、このうえない喜び!!ひゃっほい!!(歓喜する私の図(マウス図きめぇ)→)
それなのに遅れて馬鹿野郎の私です。。(後悔)

美人でサラサラヘアーに、癖毛の私が一発でノックダウンしたのは言うまでもありません。


壬生界隈

さあ始まりの場所。壬生。ガイドブックを片手に勘で歩きましたがなんとか到着しました(笑)

まずは光縁寺。
浄土宗の寺で、新撰組隊士のお墓が残っています。山南さんとかね。
供養料100円で中に入れますが、一般の故人も埋葬されているそうなので、騒いだらいけません。静かーに。
今でもお墓が残っているなんて、感慨深いものです。


光縁時の細い道を真っすぐと行くと壬生寺があります。
2年余りここが活動の中心でした。
境内はとにかく広い!調練場として訓練に励む広さがあったのも頷きです。隊士がここにごろごろとしていたのでしょうね。
横が保育園になっていて、子どもの声が響いていました。
沖田が近所の子どもと遊んだのも壬生寺なので、昔もこんな風に子どもの声がしていたんだろうなって浸りました。
勿論歴史の名残にしみじみと浸りながも、子どもと遊ぶ沖田をひっそりと土方が見ていたらいいなーこんなに広かったらきっとバレないよ、なんて妄想していたのはもう習慣ですね(台無し)

見えるかわからないけれど、→の壬生寺の写真と一緒にヒナ様のベビーカーも一緒にパシャリと記念撮影。(後で見るまで全く気付かなかった)



境内は自由に見て回れますが、壬生塚(一番目の写真)は100円を払えば中に入れます。
中には芹沢さんのお墓(撮るの忘れた・・・)や近藤さんの胸像(撮るの忘れた・・・)や遺髪塔などいろいろあります。
あと二番目の写真は横にコイン口があって、そこにお金を入れるとなんか曲が流れるみたいです。入れませんでしたけど(笑)


そして!八木邸ですよ皆様! 初めて屯所を構えた場所です!写真遠くてすいません。
屯所ってことは、ここで土方と沖田が一緒に寝ていたわけですようぉぉぉぉおお!!
まあ近藤一派は前川邸に移りましたから、主に居たのは芹沢一派ですが。。
1000円を払うと中に入れます。ガイドと抹茶&お菓子が付きます。
ここで初代筆頭局長の芹沢さんが土方や沖田らに暗殺されます。
暗殺時に芹沢が蹴躓いた文机や鴨居には刀傷などが残っていて、重みがあります。

結構鴨居が低かったので、背が高かったと言われている沖田なんかは頭を打ってそうだなあなんて見てました。
あと当時のままの火鉢も大きかったので、餅が焼けそうだなあなんて。


旧前川邸(→の写真)は八木邸と共に新撰組の屯所となった場所です。
古高俊太郎が拷問を受けた蔵や山南さんが切腹した間があります。
山南さんの介錯は沖田が受けました。感慨深い。
屋敷の見取り図があったのですが、広かったです。
土・日・祝日の10時〜17時に玄関で新撰組グッズを販売しているようですよ。私が行ったのは平日なのでありませんでしたが。。
あと毎年3月14日には山南敬助を偲んで山南忌を開催しているようです。


油の小路

なんだかあんまり威厳がありませんが、伊東甲子太郎を殺害し放置したのがここ油小路(←の写真)です。
伊東は博識で、新撰組にても人望が厚かったのですが、倒幕派だったので近藤や土方とは目指す道が違っていました。
そこで陵警備任務の拝命の名目に新選組を離脱。
はれて勤王活動が出来るようになったのですが、新撰組の幹部だった伊東は勤王派になかなか信用されず、じゃあ近藤の首を持ってくると近藤暗殺を企みます。
しかし新撰組の間者として伊東一派に居た斎藤によりその計画が近藤や土方の耳に入ります。
論議をしようと伊東を近藤の妾宅まで来るように言い、酒に酔わせてその帰り道で伊東を襲撃、殺害した伊東の遺体を油小路に放置し、遺体を引き取りに来た伊東一派を待ち伏せて同じように襲撃します。
試衛館の同胞であり伊東一派に付いて行った藤堂平助も死亡しました。
遺体は2日間ほどそのまま放置されたそうです。
現在はこの事件を記録する碑などは残っておりません。


油小路で襲撃を受けた伊東ですが、最後の力を振り絞って辿り着いたのが本光寺(→の写真)です。
油小路とは100mほどの距離。
境内は非公開です。
どういう思いでここまで来たのか、じんわりとします。


西本願寺

隊士が増えて壬生の屯所が手狭になったので新撰組は西本願寺の北集会場と太鼓楼に移りました。
ここを屯所としたのは勤王派の西本願寺を牽制する目的もあったのですが、境内で大砲の訓練をしたり豚を飼ったりと僧侶を困らしていたそうです(笑)

太鼓楼は見張り台の窓が閉じれる!とヒナ様とぎゃあぎゃあ言ってました。
窓が閉じれるってことはなんでもし放題じゃない?!って(笑)
太鼓楼は写真を撮り忘れたのですが、うぃきで西本願寺って調べたら出てきますよー。
あと床がすべすべしてました。沖田が時たま滑ったらいい。階段は段差があって座りやすそうだから座って土方の帰りを待ったらいい。妄想は尽きません。


河原町

さて時刻は夕方。
最後の締めに池田屋にやって着ました!
今は居酒屋になってます。店の中には大階段があって雰囲気があるようです。店員さんも羽織を着て雰囲気ばっちり!
店先には石碑も立ってます。

八月十八日の政変で京都から追い出された尊王攘夷派は起死回生のチャンスを狙い、密かに京都に身を潜めていました。
そして風の強い日に京都に火を放ち、その混乱に乗じて天皇を長州に連れて行こうと企みます。
しかし古高俊太郎が新撰組に捕まり、計画の実行・中止を協議するために尊王攘夷派は集まることになりました。
そのことを知った新撰組は掃討するべく、会合が行われる疑いのある池田屋や四国屋に出向き、池田屋に集まっていた尊攘派を二十名余りを捕縛しました。

腐の感想としては池田屋で沖田が倒れたことで、沖田を失いたくないと土方が喪失感を覚えその大切さを知った・・・とか思ってるだけに、ああもうにやける!(台無しめー)


そしてラストが池田屋から駅までにある三条大橋。
河原町側から渡って右手の欄干の二番目の擬宝殊には新撰組が残したと伝えられている刀傷のようなものが残っています。
人が行き交う橋の上、見つけた瞬間にふたりで騒ぎました(笑)
ヒナ様曰く「総悟が土方さんに切りかかったときに残った傷」。決定!
雨が降ってきて時間的にもちょうどよかったのでほくほく気分でヒナ様とはお別れしました。

これにて京都旅行終了ー。


その後

1日でしたが濃い京都旅行でした。
当時のものがまだ残っているなど、感慨深いものがあってとっても楽しかったです。
お付き合いいただいたヒナ様には本当に感謝しております。ひとりじゃこんなに楽しめなかった!ありがとうございましたー!!

説明などに間違いがあるかもしれませんが、もし「あれ?」っていうのがございましたらこっそり教えてくださいませ。。

そして今回の旅行でお世話になったのがこのガイドブック。お世話になりました。
また行きたいなー。


そしてその後に家族と行った滋賀でこんなものを発見。目玉のオヤジin土方verです。
ハッとして買ってしまいました。今は携帯にぷらぷら付いてます。
オヤジィ!大変だ!眼球から髪が生えてるぞ!!

というわけで以上!
お疲れ様でした。



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