実務をやりながら気にはかかっていた。
突然やって来た得体の知れないそいつを、簡単に信用するわけにはいかない。


ガタリと。
書類を片付けたユンファは椅子から立ち上がって、賭けをする。





邂 逅
1.価値知らず





拠点を構えてことにより、解放軍への志願者は日に日に数を増やしていった。
廃れた国内に、希望たる軍の成立は、風のように速く全土に伝わったらしい。
けれど軍として機能できるほどの戦力はまだなく、人々は何かしら忙しそうに毎日城内を慌しく駆けずり回っていた。
今も書類を抱えた数人の兵が部屋の前を駆けて行き、石版の間のルックは終始眉を寄せていた。

(なんでここはこんなに煩いんだ…)

小さな島に師とふたりで暮らし、静かな環境で育ちを受けたルックにとって人の多い気配はただ煩わしいだけでしかない。
けれど石版守がここを離れるわけもいかず、ルックは苛々しながら腕を組み、背後の石版へと凭れかかった。
師から預かったそれには、ところどころ星に選ばれた人間の名前が刻まれている。が、まだ空白が圧倒的に多い。
集まった兵だって少ないのだ、まだまだこれから増えると思うと今からウンザリする。


暇を持て余してコツコツとつま先を打ち鳴らしていたルックは、ある気配を感じ取って視線を上げた。
こんなに濃い闇の気配に気付かないわけがない。
立ち向かうように石版から背を離して待ち構えていると、程なくして予想通りの人物が部屋へと入ってきた。
黒髪に緑のバンダナ、役所に似合わぬ格好をした若干16歳の少年――
解放軍軍主、ユンファ・マクドール。


「何? 何か用?」


その姿を認めて問いかけるルックに、ユンファは軽く肩を竦めた。


「仕事が一段落したから、石版とやらを見せてもらおうと思ってね。
 ついでに様子見。きちんとお前に挨拶でも、と思って。突然来たからうやむや気味だったし」
「挨拶、ねえ…」


ルックにとってこれでユンファと会うのはレックナートと共に解放軍へ来た時以来、初めて会ったときから三回目の会合である。
ルックは興味なさそうに呟いた後、それで? と先を促した。


「用っていうのはそれだけ? だったら石版見てさっさと出て行ってくれない」
「挨拶が用っていうのはいけないのか?」
「僕の挨拶はもう初めにしただろ。今更言うことは何もないし、あんたのことだって知ることさえ知っとけばどうでもいい。興味ないね」


取り付く島もない返事に、ユンファはどうしたもんかと呆れた。
己の何を知っているのかと問えば、ルックは面倒さそうに口を開いた。


「ユンファ・マクドール。
 テオ・マクドールの嫡男であり現解放軍の軍主、生と死の紋章を譲り受けた新しい真なる紋章の継承者。
 星たちを率いる天魁星の名の下に選ばれし者。
 それ以上知っておく必要性は何もないだろ」


スラスラと事柄を並び上げ、ルックが横に一歩ずれる。
少しの沈黙の後ユンファはげんなりと息を吐いた。


「お前の性格が捻くれているのは分かったよ」
「そりゃどうも」


ユンファは石版へと歩み寄り、それをざっと上から下まで眺めた。
大きな石版には108の星の名と、現在城にいる星に選ばれた者の名前が刻まれていた。
単に意味もなく城に招いた者の名前も、そこにはあった。


「…お前も本当に星の一員なんだな」
「でなきゃいないよ」


石版を身ながらぽつりと呟かれた言葉に、ルックは嫌そうに眉を顰め、そしてじっとユンファが部屋から出て行くのを待った。
人馴れしないルックにとっては、近くに他の気配を感じるでさえ不愉快だった。
しかもより濃い紋章の気配であれば尚更である。
だから早く出て行くように睨んでみたりするのだが、何をそんなに見ることがあるのやらユンファはなかなか去ろうとはしない。


「ねえ。用が済んだなら早く出て行ってよ」


煩わしい、とルックは思っていることをそのまま口に出した。
ユンファは、んー、と生返事をしてちらりと横目でこちらを見る。


「実は用はそれだけじゃないんだよな。ってかこっちが本題」
「………何?」


言い含めるような物言いに、なんとなく、嫌な予感がした。
睨みつけるように警戒するルックに、ユンファは軽く笑う。


「そう警戒するなよ。簡単なことだ。お前に俺と一緒にちょっとした雑用をしてもらいたい」
「雑用…?」


ピクリと眉を片方上げて、ルックは不快そうに言う。
ユンファは向き直り、片手で石版をコツリと叩いた。


「そうだ。こんな石版の見張りをされたって軍にはなんの利益にもならない。今はただでさえ人手不足だからな。使えるものは使わないと」


口を開きかけ、けれど反論ができなくてルックは内心舌打ちをした。
下っているのは解放軍ではなく天魁星になのだが、そうだとしても天魁星である人間が軍主なのだから結果的には解放軍の命に従わなければならなくなる。
腹立たしさも露に、それで? とルックは促した。


「僕に何をしろって言うのさ。つまんないことだったら承知しないからね」
「雑用につまらないも何もないだろ。まあ、そういうわけだからさ」


そこでユンファは、意地悪く口の端を上げてにやりと笑う。


「今から仕事だぜ。雑用の」
「……わかったよ」


こうして不本意ながらも、ルックは解放軍に来て以来始めて石版守以外の仕事をする羽目になったのだった。