一声を機に大地を揺るがす声を上げて、人の群れが野を這うように一斉に駆け抜けた。
片や解放を掲げるもの、片や高く積み上げられた土台を守ろうとするものだ。
鋭い武器を携え走ることを止めず、牙を剥いた獣同士の波が雪崩れこむように激突する。
先を走る仲間が倒れ、地面へ倒れ伏してもその動きが止まることはない。
砂埃と命と国を賭けた戦い。
帝国5将軍がひとりクワンダ・ロスマン軍に、ユンファ・マクドール率いる解放軍がついに戦争を仕掛けた。
帝国を打破するための、最初の戦いである。
初 陣 |
2.進み行く導 |
「ここでビクトールの隊が右方から攻め込みます。
力のある者で隊を組んでいるので、守りの薄い右側からなら敵の防壁が敗れるかと」
「分かった。出陣隊形はそのままでいいんだな」
「ええ」
半倍近い敵兵に見事解放軍の勢いを見せ付けたユンファたちは、戦場から少し離れた場所を駐屯地とし、そこで夜を過ごすことにしていた。
クワンダ軍との初戦を終えた一夜。火回りを囲む兵たちにみえるのは、疲労よりも互いの功績を褒めあう笑い声で、その騒がしさが戦況の良さを物語っている。
今のところは順調だ。
燭台の炎に照らされた机をトンっと叩いて、敷かれた地図にユンファが満足そうな笑みを零した。
「解放軍の初陣だけあって、今日だけでだいぶ相手の数を減らせることができたな。
みんなの士気も高いし、初日にしては上出来だ」
軍師の制止を押し切り軍主自らも参戦した解放軍の各部隊は、クワンダ軍の強い攻めにも耐え切り、相手の前線を荒削りすることに成功した。
以前から土台があったからとはいえ、軍旗を上げ幾許もまだ経ってない解放軍の軍勢は敵の意表をつく戦略を取り、敵の将士を討ち取ることもできたことから好調の流れを掴んだといっていいだろう。
有能な軍師の戦略術もあったからこその功績ではあるが、それもこれも帝国を倒すという兵たちの気持ちの表れ。
帝国軍相手に確かな手応えをかんじたのはマッシュも同じようで、口元に笑みを浮かべて頷き返す。
「そうですね。この戦いに勝てば、解放軍は帝国に通用する力があるということになります。
そうすれば今までは反乱軍という形だけだった抵抗組織も力を持った軍として証明できますから、
この戦いに勝つことは大きな意味があります」
国を争う戦いだけに、味方は多いほうがいい。
功績を残すことで、半信半疑だった人々にも希望を持ってもらえることができるのだ。
解放軍の初陣は、それこそ光のはじまりと同意。
「ああ。だからこそ負けられないな」
ユンファはしっかりと頷いた。
もう一度地図を眺めた揺らめく灯りを映した黒の瞳は、確かな勝利を見ている。
一定の区切りがついたところで、ここぞとばかりに軍師たるマッシュは戦場時から思っていたことにしっかりと釘を刺しておいた。
「けれどだからといって、軍主が先陣を切って突っ込んでいくのには感心しませんね。
敵が戦いを仕掛けるとすれば明日です。
明日は後方、わたしの隣からちゃんと戦況を見守っていてください」
反論は聞かないというようなそれに、ユンファは苦笑して言い訳がましいことを述べる。
「分かってるよ。じっとしているのが性に合わない性質なんだ」
…組織のトップというものは元来危険な場所に踏み込んだりしないというのがマッシュの論だ。
状況を見定め、必要な頃合を見計らって攻め行くものが将たる者。
だからユンファが馬に跨り「行ってくる」と駆け出したときは、さすがのマッシュも驚いた。
初陣であるから気分が高まっていたのか、それとも兵たちの勢いをつけるために先陣を切ったのか。
…なんにせよ、こんなことはなるべく控えてほしいものである。
ユンファもそのことは重々分かっていたので、軽く肩を竦めて困ったような笑みを見せた。
明日は大人しくしているよう、マッシュと約束する。
けれどユンファとしてはこれからも先陣を切ることをやめにするつもりはないので、『明日だけ』という言葉上の約束ではあるが。
「このまま何もなくいけば、ば直接クワンダ殿と会えるな…」
ふと沈黙が続いた後、卓上の地図をじっと眺めながらユンファは呟いた。
マッシュがこちらを向いて問い返す。
「やはり気になりますか?
継承戦争で高い武勇を見せた将軍が、あんな風にエルフやコボルトたちを力で抑えるのが」
「まあな。前に彼と会ったことがあるけど、そんなことをする人ではなかったはずだ」
それこそ幼い頃の話だけれど、その時受けた印象は強い。
何故父と同じように名誉ある帝国5将軍に数えられていた彼の人がコボルトをなんらかの力で操り、エルフの村を焼き払ったのか。前々から不思議には思ってはいたのだ。
力は強けれど抑圧はせず、しっかりと筋を通す人だったはず。
あの強い意志が何年かの間にそう簡単にガラリと変わるものともユンファには思えない。
言動から言って、彼の人を変える“何か”があったのは一目瞭然なのだが――…。
(―考えても、わかるわけないか―…)
考えることを早々に諦め、机に手を付きユンファはクワンダ城を見つめる。
明日は戦いの二日目。
なんにせよこの戦いが終わればすべてがわかることである。
解放軍のためにも、真実のためにも、この戦いは絶対に負けられないのだ。
□■□■□
「そろそろ休むことにするよ。アイツには俺から話しておく。
マッシュ、明日も頼むな」
「はい。しっかりとお休みください」
それから何点かの確認を行ってから、ユンファは作戦場の天幕を抜けた。
重要な話をするからとグレミオは下がらしておいたので、護衛もなくユンファはひとり気侭に歩いた。
真っ直ぐと伸びた広い通りの両側には等間隔を開けて立てた兵たちのテントが張ってあって、少し行ったところで兵たちが焚き火の元で食料や酒を手に笑いあっている。
ビクトールが酒を持っているところを見ると、ずいぶんと騒がしくしているようだ。
性格からいってあんな場所にはいないかと、ユンファは人がいないような静かな場所へと進路を変えた。
紋章の気配を辿れれば手っ取り早いのだが、あいにくユンファはまだそこまで真の紋章の扱いに慣れていない。
出会った兵に居場所を聞きながらテント群の端を歩いていくと、少し入った雑草林の中、幹に背を預けて座り込んでいる風使いの姿を見つけた。
ゆっくりと近寄れば、ルックが嫌そうに瞼を上げる。
「何? 何か用? 僕は疲れてるんだけど」
「まあちょっと役目の変更があったんでね。隣いいか?」
「………好きにすれば」
億劫そうにルックは息をついた。
いつもより不機嫌な様子なのは、相当疲れているからだろう。
不服そうな了承の意と受け取って、ユンファは隣へ座り込んだ。
軍主様がわざわざ言いに来るなんてありがたいことだね、なんて皮肉る声が聞こえるがユンファは特に気にしない。
「それで? 変更って何さ。戦場に出なくていいとか今更言っても聞かないからね」
「そんなに攻撃的になるなよ。違うから」
ルック曰く、師の命令で天魁星を助けるよう言われているから、戦争への参加は絶対らしい。
ユンファは近くに落ちていた棒を拾って、それで魔法兵の隊位置を地面へ書き込んだ。
夜といっても闇夜ではないので、それくらいは見える。
三角形とその右上に小さな四角形を書いたところで、ユンファは木の棒で三角形をとんっと叩いた。
「これが簡略的に書いた魔法兵団の隊形。
ルックにも今日はこっちで居てもらったが、明日はこっち。
この右上の隊に移動してもらう」
「…そこってなんなわけ…? 今日はそんなものなかったはずだけど」
「三角が攻撃なら四角は守り。つまり攻撃主体の魔法兵を守る隊だな。
横風を吹かせて、敵兵が放つ矢を退かせるのがこの隊の役目だ」
片眉を上げて不思議そうに聞いてくるルックに、ユンファは淡々と答えた。
敵の弓兵部隊によって魔法部隊に多くの犠牲者が出たことでの考慮だ。
ルックもその現場にいたから事情は分かったが――、
「ずいぶんと急な変更だね。魔法兵が弓矢に弱いってことは最初から分かってるじゃないか。
守りの隊を作るってことは、攻撃魔法を使う隊から人を引き抜くってことだろ?
戦況が有利だからって、そんな戦力を減らすようなことしてたら負けるよ」
「さすがは高名な星見の弟子だな。鋭い見解をお持ちのようで」
「茶化してんじゃないよ」
一般的な表はすぐに見破られた。
どうして今頃そんな部隊を作るのさと、ルックの瞳が語っている。
……話していてだんだんと分かったことだが、ルックは物事の根本的理由を知りたがる。
早く言えば何事に対しても、好奇心旺盛なのだ。
人を小馬鹿にして歳の割りに大人びている彼だが、こんなところがまだ子どもっぽいなとユンファは少し笑ってしまった。
ルックが大層不愉快そうに眉を顰める。
「…なに? 何か言いたいことでもあるわけ?」
「いや、違うよ。
そうだな。まあ今更と言えば今更な変更だが、ちょっと進言をされたんでね」
「進言…?」
「そう」
ユンファの含むような言葉に、ルックが問いかける。
ユンファは頷いて、ルックの目を真っ直ぐと見て言った。
「報告を受ける際、魔法兵団長が提案してきたんだ。
ルック、お前のほうが団長になるべきだとな」