進み行く導2 |
ルックはしばらくの間呆然と瞬きを繰り返した。
まるで魔法兵団長を任命すると言われたかと思って驚いた。
けれど数回の瞬きの後、平素を取り戻したルックは落ち着きを払って「何を馬鹿なことを」と呟いた。
「だからなんだって言うのさ。子どもが団長なんかしたって締まらないよ。
第一、アンタは前に僕に将は任せられないって言ったじゃないか」
『力があるのは認める。けど、将として人の命は任せられない。一番重要なことがルックには欠けているんだ』
――まだこの戦いが始まる前に、ルックはユンファに呼び出されてそう言われたのだ。
そのことを今更撤回するのか? と目で問えば、ユンファはなんてことはないように肩を竦めた。
「うちは実力主義なんだけどな。今もあの時同様、お前を兵団長にするつもりはないよ。
俺がしたくない理由があるからそのことについては断った」
「そう。僕も面倒事はごめんだね」
「けどルック。なんで兵団長がそんなことをわざわざ言って来たのか分かるか?」
「さあ」
ルックは魔法兵団の一員として配属されたから、一応宿星ではない兵団長の顔も覚えていた。
十分な指揮力と判断力をもつ、団長として適正な男だ。
少なくとも自分の任を簡単に投げ出す人間ではない。
ユンファはちらりとこちらを窺って、木向こうのかがり火に集う兵たちを見ながら口を開いた。
「お前のほうが力があるからだそうだ。
魔法は同調魔法として敵にぶつけるだろ?
その時に受けるルックの魔力だけが色濃く違って、魔力の高さがわかるんだとさ。
そんな人材を一般兵としとくのはもったいない! って力説されたよ」
「…………」
その時のことを思い出してユンファは笑っているけれど、こちらとしてはちっとも面白くない話だ。
当人がいない間になんて勝手な話を進めてくれているのか。
けれど漸く納得がいったと、ルックは思った。
「…なるほどね。同調魔法の失敗を恐れて、急遽魔法兵を守る部隊を作ってそっちに移されたわけか」
魔力の違いだけは一や二ですぐにどうにもなるものでもない。
ユンファはざっと足で地面の陣形図を消して頷いた。
「まあそれだけじゃなくて、団長はお前に兵の上に立つ素質があるから是非ともって言っていたけどな」
「………は?」
「なあルック。なんで俺が力のあるお前を将にしないのか、分かるか?」
頭がついていかないうちに話を切り替えされて、ルックはすぐに答えを返せなかった。
――というか、思いつかなかった。
ユンファは自分に一番重要なものがないと言った。けれどそれがなんなのか、ルックには皆目検討がたたない。
しばらくの沈黙が続いてから、ユンファが問いかけてくる。
「ルック、お前の戦う理由は?」
「師匠の命令だから」
「じゃあそれで命を落としたら?」
「それはそれでしょうがないんじゃない。
命が惜しいと思ったことは、一度もないよ」
それは正直な感想だった。
逆に死んでもいいと、ルックは思っている。
死んでしまえばあの夢に魘されることも、光のない道を歩くことさえなしなくていいのだ。
平坦な声で答えるルックに、ユンファは大袈裟な溜息を吐いた。
「それがダメなんだよなー。
死ぬことを怖がっていない、というか死んでもいいと思ってる奴に兵は預けられないだろ」
「…それが理由か…」
「な? 一番重要だろ?」
「……さあ…ね。よくわからないよ」
そんなこと言われたって、それは価値観の違いだ。
死ぬことを怖いと思う、思わない、生きたい、どうでもいい。
…やっぱり、よくわからないことである。
死んだらそこで終わり、生きてもこの世界は悲しいことばかり。
不老の身は生き抜いたとしても、世界の終わりに嘆くばかりだ。
死を怖がることと受け入れること、一体何が違うというのか…。
「アンタは死を怖いと思うの?」
「そりゃ怖いさ。怖いから死ぬことを抗うし、生きたいから死にたくない」
「その身が不老でも生きることを望むんだ。
長い間生きたその先に目を塞ぐようなことがあったとしても?」
―まるで物語の続きを聞く無垢な子どものように、ルックは聞いてくる。
「…そんな先の長いことなんて、考えてないさ。
実際に目を塞ぐようなことに出会ったら、それはその時になってから考える」
楽天的な考えに、ルックは自嘲気味な笑みを零した。
「……やっぱり、夢を見ないアンタに聞いたのが間違いだった」
「? なんて言った?」
「別に。ほら、もう話も終わったんだからとっとと行ったら?」
追い出すルックに、ユンファは「はいはい」と下ろしていた腰を上げた。
立ち上がり一歩踏み出したところで、またこちらを振り返って言葉を投げかけてくる。
「でもな、ルック。俺もお前が団長に向いていると正直思ってるよ。
性格上の問題もあるかもしれないけど、慣れたらそんなもん意味のないものだ。
…お前がこの戦いに自分の意思を持って参加してくれたら一番いいんだけどな…」
そんなことを言い残して去るユンファの姿を、ルックは見えなくなるまで見ていた。
師から命じられて来ただけのこの戦いに、自分の意思を見出す?
終わりを知っているのに生きることを望め?
(――そんなことは無理だ…)
だってこの内には何もない。
しかしユンファの言葉に何か蟠りを抱いたのもまた事実で、けれどやっぱりルックにはその正体が何かわからなかった。
□■□■□
明朝、再び戦争が始まった。
それぞれの隊位置についた軍兵たちが、銅鑼の音を合図に相手へと雪崩れ込む。
砂埃が巻き上がり、喊声が静かな平野に響き渡った。
剣で斬りあい、時には空を弓矢が裂いて、人の命の割れる音がする。
世界は美しくもあり、そして醜くもある。
これはレックナートから学んだことだ。
人が集まれば必ず争いが生まれ、欲に駆られた人間が浮き彫りになる。
世界とは、人とは、美しいばかりじゃない。
けれどルック、これだけはわかって。
あなたが世界を美しいと思ったように、醜さを持つ人の集まりもまた、美しい世界の一部なのです。
…ふと蘇った言葉に、ルックは遠くの戦況を眺めた。
師の言葉には頷けない。
血と血で鬩ぎ合う争いを、どう見れば美しいといえるのか。
「何か見えますか?」
戦場に目をやるルックの隣に、ひとりの男が並んだ。
横目でちらりと窺って、すぐに興味がないといった風に視線を戻す。
「何か用? 昨日はよくもいらないことをいろいろと言ってくれたね」
口調さえ正さないルックに、隣についた魔法兵団長は気を悪くするでもなく口元を緩めた。
「それはすいません。けど私にはそれが一番だと思ったのですよ。あなたにはその力がある」
「…どうでもいいけど、なんでアンタは僕にそんな口調なわけ? これでもアンタの隊の一員なんだけど」
とても上の者に対して使う言葉でない言葉で返せば、魔法兵団長はきょとんとして笑い、やはり下の者に使う言葉じゃない言葉で返した。
「だからそれは貴方がいつか私の上に立つからですよ。私の勘がそう言ってます」
「…呆れた。アンタ、軍主から無理だって言われたんでしょ? いい加減諦めたらどうなのさ」
「私はわりと強情でして」
外見からはそうは見えないのに、子供っぽいというか傲慢なところが、誰かを思い出す。
しっかりと言ってくるその態度に、ルックは心底呆れるしかなかった。
「よくそんなので団長に抜擢されたね」
皮肉を残して、ルックは広がる戦場に再度視線を向けた。
右方向から攻め込んだビクトールの部隊が、もうすぐで敵の防衛線を突破しそうである。
狂ったように声を上げて、人が暴れまわる光景。
「ねえ、アンタはあの争いを美しいものと思う?」
ポツリとしたルックの言葉に、団長はルックを見た後、ルックの視線を辿った。
解放軍と帝国軍が争う光景を目に映して、しばらくして口を開く。
「…そうですね。一眼に美しいとは言えませんが、近いものはあるかもしれません」
「近いもの?」
予想もしてなかった言葉に、ルックは片眉を上げて食いついた。
「醜いだけのあれのどこに、近いものがあるっていうのさ。あんなのただ、」
ふと言葉を区切り、何かを感じ取ったルックは左へと顔を向けた。
纏う風がさっと色を変える。なんだか嫌な気配がだんだんと近づいてきているようだ。
「…何か、来る…」
男もなんらかの気配を感じ取ったらしく、ルックが見つめる方向、森へと視線を移した。
風が耳元へ音を届けてくる。
人の足音に馬の蹄、甲冑の金属音が地鳴りを上げてこちらに近づいてきている。
(――これは…)
「敵襲だ!!」
突如、丘へと駆け上がってきた兵のひとりが叫んだ。
森の中からクワンダ軍の騎馬兵や歩兵団が、黒い群れとなって姿を現してくる。
少ない数ではない。
剣を掲げ、血気盛んに駆け込んでくるのは敵国の突撃部隊だ。
「隊を組め! 第一部隊は北西、第二・第三はその斜め後方にて詠唱!
防衛隊も先の殲滅に集中し、半数は攻撃に加われ!」
魔法兵団長の怒号に、混乱する前に兵団たちは素早く陣を組んだ。
けれど今回団長が宿していたのは運悪く雷。これでは広範囲の敵を一掃できない。
ルックは吐き捨てるように舌打ちをし、右手を掲げて風の紋章で攻撃呪文を紡ぎ始めた。
「雷雨!」
詠唱を完了した主力部隊が先に言葉を放った。
何本もの稲妻が雨のように降り注ぎ、騎馬隊や重い甲冑を纏った兵たちが地面に沈む。
けれどそれぐらいで殲滅できる数ではない。
どうやら森に留まり様子を見ていたらしい第二軍の奇襲部隊が、魔法が止むと同時に迫ってきた。
ルックがそこで風を放ち、防衛隊の風もその後に続く。
「うわっ!」
横一線に広がった風が、駆けてくる敵を容赦なく襲った。
けれど雷ほど威力はなく、前衛にしか致命的な傷を負わせられない。
ルックは素早く詠唱を済ませ、次の攻撃を仕掛けようとした――けれどその時。
状況を見計らったように空を切って無数の矢がとんできた。
敵の弓矢部隊である。
(――こんなときに…!)
ルックは魔法の方向を変え、風を空へと放った。
突風に矢が流され被害は免れたが、けれどその隙に、呪文を唱えるタイムラグを狙った敵兵の進入を許してしまう。
対陣は一瞬で崩された。
騎馬兵や歩兵団が入り乱れ、平野が叫び声に包まれる。
完璧な敵軍による独壇場となった。
「風の紋章よ…」
後方にいたルックは襲ってくる敵兵を次々と風で薙ぎ払っていった。
なぜこんなに必死になるかはわからないほど、ルックは魔法を放った。
目の端に切りつけられる魔法兵が映っても、気にかけている余裕などない。
何十人かの敵を倒したところで、ルックの魔力はついに底を見せ始めた。
体が重く、足さえもふらついてくる。
「くそっ!」
剣を振り上げた敵兵に魔法を放ったところで、ルックの息は絶え絶えだった。
もう限界は近い。
けれどルックは必死だった。
額の汗を拭い、次の詠唱に入りかけた――その時。
ルックは背後の敵に気がつかなかった。
一寸遅れで気配を感じ取り振り返ったところで、敵兵が剣を横薙ぎに振ってくる。
ルックは咄嗟に後ろへと跳んだが、剣先が横腹を掠めた。
鋭い痛みが電流のように流れて疼き、流れ出てくる血を抑えるように左手を添える。
「切り裂、」
短い詠唱でルックは呪文を紡いだ。だがそれを言い終わる前に背後から蹴りつけられて、どさりと地面に倒れてしまう。
細い腕を突っ張って肩越しに睨むと、敵兵が剣を高く掲げているのが見えた。
逆光で顔はわからない。
けれどこのままでは殺されるのは明確だ。
殺されたらどうなる?
もちろん死ぬ。
では死んだら?
―――そこで終わり。
『 ――死にたくない』
――頭の中を駆け巡る自問自答は、なんだったのか。
どくりと何かが脈打って、見開いた新緑の瞳の色が微妙に変化し、ルックの纏う風が一気に逆立ち始める。
振り下ろされた大剣が身を裂く、その前に。
…風が暴走した。