進み行く導5 エピローグ

本拠地に戻ると、飲んだり騒いだりの盛大な宴が開かれた。
クワンダを迎えての歓迎会と祝賀会が同時に行われているらしい。男たちの笑い声や下手な歌がトラン湖城に響き渡っていた。


「…うるさい」


騒がしいことも人が多いことも嫌いなルックは当然避難していて、まず人は来ない城の屋上に身を寄せていた。
定位置となっている石版前にも階下の喧騒は届いていて、そんな場所にいることもかといって寝れそうにもない。
こんな夜中に騒ぐ奴らの気がしれないと、ルックは腰を下ろして心中で呟いた。
塔の生活とは大違いだ。こんなにも騒がしくて、うるさくて、人がいる。
けれど不思議とそれほど苛立ちはかんじられなかった。
騒がしさに「いい加減にしてくれ」とは思うものの、その程度。
自分でもどうかしたのだろうかと思うほど、ルックの気持ちは落ち着いていた。


少し前の自分なら絶対に理解できなかったけれど、今は馬鹿みたいに騒ぎたい気持ちも、わからなくはないのだ。
戦争に、戦いに勝った。
それもひとりの力ではなく、ここに集まった大勢の力で共に戦ったのだ。
喜び合いたい気持ちも、大きいはず。


はじめての戦争だった。
モンスター相手に戦ったことはあるけれど、人間相手に魔法を使ったのははじめてだった。
どれもこれもが今でも鮮明に思い出せる。
地面が弾む感触、舞う砂埃、人の多さに大気を揺るがす叫び、魔法が暴走した時の、あの駆け上がってくるような謎の感触も。
あの風が運ぶ血の臭いも何もかもがまだ身体に残っている。
知らなくていいことも知った争いだった。
――けれどあの時の、クワンダ・ロスマンを仲間にして城内から出てきたとき。
あの時の歓声はすごいものだった。大勢の人間が声をあげて勝利をうたっていた。


『あなたが世界を美しいと思ったように、醜さを持つ人の集まりもまた、美しい世界の一部なのです』


その光景を見たとき、師が言っていた言葉を、ルックはなんとなくわかったような気がした。
確かに傍から見れば人と人が争い合う醜い争いだった。
けれど醜いだけではない――何か譲れないものに命に賭けて戦っているのだ。
相変わらず下で馬鹿騒ぎをしている奴らだって、“自由”という譲れないものをもっている。
そんな簡単で難しいことが、漸くわかった気がした。
そのために必死になって戦って、こんなに喜んで、………馬鹿みたいだけれど、もうその姿を知ってしまったから簡単に醜いとは言えなかった。
こういう人々の持つ強い意思も美しい世界の一部だと、師は言いたかったのか。




暗い湖の上にゆらりと灯火が映っているのはまだ城内が起きている証拠で、やがて下手くそな歌の大合唱が始まってきてルックはだんだん石版が心配になってきた。
酔っ払いは何をするかわからない。こんなときでも石版守の役目を彼はしっかりと案じていた。
喧騒の中に自ら進んでいくのは気が進まないが、仕方がない。ひゅっと風を呼んで、ルックは石版の間へと転移した。
と、


「あ、やっぱり逃げてた」


石版に背を凭れさせた軍主が、そこにはいた。
なんだよ、とルックははっきりと不機嫌な顔をもって対応する。


「何、何か用なの? っていうか人がいない間に勝手に入らないでくれない? 気分悪いから」
「…人との円滑な付き合い方っていうのを教えてやろうか?」
「結構だよ。で、なんの用なの」


あくまで先を促すルックに、ユンファは大袈裟なため息をつきつつ何かの書類(巻物)を渡してきた。
それを受け取りペラリと広げながら、中身を確認したルックは訝しげに眉を顰める。


「…本気で言ってるわけ?」
「そ。適材な人間がルック以外にいないみたいだからな。前団長の意も配慮してこうなったわけさ」
「…………」


それは魔法兵団長への新任書だった。
名前のところはまだ何も書かれていなくて、了承したならサインしろということだろう。
一通り目にした後でユンファを見ると、彼はどこか楽しそうに口の端を上げた。


「どうだ? やってみるか?」


柔らかい問いかけ――けれどその黒の双眸は明らかに挑発するような色を見せていた。


(……面白い)

ちょうど人の戦いに興味を持ち始めたのだ、星の上に立つコイツがどんな幕引きをするのか見届けてやろうとルックは思った。
それに前の魔法兵団長の男に対しても罪悪感がないわけではなかった。
たとえあのまま押し入られた敵に殺されていたとしても、魔法を暴走させて息の根を止めたのは自分なのだ。そのことは重々受け入れなければならない。


「―いいよ、やってやろうじゃないか」


綺麗に口の端を上げて言うルックに、はじめてそんな顔を見たユンファは一瞬きょとんとした。


「………なに?」
「いや、そんな表情はじめて見たというか、そういうのも似合うんだなあっと」
「……もしかして酔ってんの?」


笑みをすぐに崩したルックはそう言って半眼でユンファを睨んだ。
ユンファは「グレミオから禁止令が出てたよ」と答えながら、重たい腰を漸上げる。


「じゃあその書類はサインして、また明日にでも持ってきてくれ。宴はもう終わりだからどこかに避難する必要もないよ」


ユンファはそれだけ言ってルックの横を通りすぎた。
しかし石版の間から出て行こうとした時、ふと足を止めてルックへと振り返る。


「―そうだ。拳突き出してくれないか」
「なんで?」


まさかまだ用があるとは思ってなかったので、ルックはびくりとしてそう問うた。


「いいから」


けれどそう押し切られて、相手の目がどこかじっとこちらを見ていたからルックは釈然としないながらも素直に拳を突き出した。
ユンファがそれにコツンと自分の拳を合わせる。
ルックが目をぱちくりとさせた。


「テッドってやつとさ、何かの度に毎回こうしてたんだよ。やりたかったけど相手がいなくてさ」


ユンファが楽しそうににかっと笑った。
子どもっぽい、いつかはじめてコイツと会ったときに見た、前ソウルイーターの宿主と同じ笑い方だった。
そんなことをルックが考えているとは露知らず、ユンファは「じゃあな、ルック。期待してるよ」とそう言って部屋から出て行った。


「……なんなんだ、アイツ…」


ひとり取り残されたルックはきょとんとして、未だ突き出している拳を見てもう一度瞬きをした。
なんでそんなことをされるのが自分なのか、わけがわからない。
けれどきっと掴みどころのないアイツのことだ、きっと大した理由もないんだろうとルックはため息をついて拳を下ろした。考えるだけ馬鹿らしい。


石版に歩み寄り、ルックは一番上の名前をなぞってみた。
天魁星、ユンファ・マクドール。
掴みどころがなくて、人の意を取るのが上手くけれどそれを逆に嫌味で返してくる、突飛な行動もして、子ども、――不思議な人間。


「……期待してる、ね……」


巻物を見た後、突き合した手を見てルックは呟いた。