知りたくないことを知ってしまったという悔しさにも似た腹立たしさ。
こんなところで躊躇するわけにはいかないのに。…胸を占めるのはそんな歯痒さ。
けれど一度知った恐怖心でか足は竦み、こんな感情をどうすればいいのかさえわからない。
こんなところで、とは思うものの、それでも揺らぐ心。
けれど交わした会話の最後に、挑むように言われつい反発して零れた言葉。


『まだ死ぬわけにはいかない』――そういえば。


「そっか」とアイツが機嫌よく笑うものだから、なんだか拍子抜けして不安がぽっかりとおちた。
その笑みに、『それでいいんだ』と言われた気がして、ああそれでいいんだと納得した。
進まなければ、ならないのだ。
去っていく背をルックは見つめた。
明日はやってやると、負けず嫌いな子どものような笑みを見せて。

進み行く導4

戦の三日目ともなると、兵力もだいぶ削がれた。
雑魚の集まりと侮っていた一日目は思いもよらない反乱軍の勢いに圧されたが、前日は地の利を使った奇襲撃が成功して撤退させることができた。
戦争慣れをしていない人間の集まりなど、所詮そんなものである。しかも反乱軍の頭は子どもというではないか。どうやら帝国を追われてテオ・マクドールの倅もやきが回ったらしい。まだ二十にも満たない子どもである。培った経歴が違う。


布陣を終えた馬上の上で、甲冑に身を包んだクワンダは勝利の絶対的な自信を笑みに変えていた。
帝国に逆らおうとは無謀な奴らである。
このクワンダの軍が、その息の根を止めてやるとしよう――クワンダはそう考えていた。


「クワンダ様。昨日の奇襲部隊はどのようにしますか?」
「構わん。昨日と同じように森の中を行くように伝えておけ」


鎧の音を立てながら近づいてきた伝令兵に、クワンダは簡潔にそう返した。
地の利はこちらにあるのだ。昨日の道はまだ使い道がある。
けれど解放軍の軍師にはあのシルババーグ家の人間が就いているというではないか――二度も同じ手が通用するとは思えず、伝令兵は上司へ素直に危惧を申し立てた。
しかしクワンダはそれを鼻で笑った。


「森を最後まで抜けずに敵の本線を横から叩けばいいだろう。そうすれば出口で待ち構えていたとしても問題はない」
「しかし、敵も向こうから森へ侵入してくる恐れがあります。防衛するのも手だと…」
「帝国に仕える者がえらく弱気だな。
 この辺りの地形を知るエルフは滅び、コボルトも手のうちよ。
 反乱軍にあの道を抜けられる術などないわ」


片膝をつき、恐る恐る馬上のクワンダを見上げてくる兵をクワンダは冷めた目で追いやった。
あんな寄せ集めの集団に恐れを抱く部下に怒号を飛ばし、布陣を敷いた戦場へと目を向ける。
クワンダにぞくぞくとした高揚が駆け上がった。まるで震える兎を追う獣のような気分だ。寄せ集めを追いつめていく様子が簡単に思い描けて、それが楽しくてしょうがない。
やがてドォォンと鈍い銅鑼の音が響き、解放軍の騎馬隊や歩兵団が前進してきた。
それを認めて、クワンダも出陣の合図を出す。
戦いの、三日目だった。




□■□■□




森の入り口へ待機していた騎馬兵や歩兵、奇襲部隊は、出陣の合図を聞いて森へと出立した。
木々の間を縫うような細い道を馬や人が駆けていく。
森の中は本当に複雑だった。周りが木ばかりで、北も南もわからない。
けれど何度も訓練しただけあって、部隊は迷わず足を進めていた。


「けど隊長。本当に大丈夫なんですかね」


先頭を走る軍馬の横に馬をつけた兵が、首を傾げるように言った。
部隊長の男はそれを一瞥して視線を前へ戻す。


「何がだ?」
「昨日の部隊ですよ。敵の魔法兵を壊滅させたはいいですけど、誰一人戻ってこなかったじゃないですか。確認させたらみんな死んでたって言うし」
「…不安を簡単に口に出すな。士気が下がる」


ぼそりと言われた言葉に、男はまたかと息を吐きつつ注意した。
軽い調子の男は肩を竦める。


「だいたい奇襲ってこと自体が好きじゃないんですよね、俺としては。真っ向から立ち向かうっていうのが好きというか」
「安心しろ。今回の奇襲は本線の意表をつくことだ。お前の好きな戦いもすぐできるさ」


勝敗を決める奇襲隊だというのに、肝が据わっているというかなんというか、ごちゃごちゃと続く愚痴に部隊長は呆れるしかなかった。
説教は戦争が終わった後だと男は心に固く決め、手綱を横へと引いて馬の針路を変える。
さらに細い道を奇襲部隊は進んだ。あともう少しすれば解放軍の本隊を横付けできる位置までくる。そうすれば後は森から一斉に飛び出せばこの奇襲は成功だ。
部隊は少しでも早くつけるよう足を速めた。
けれどおかしなことに目標の場所が一向に見えてこない。
はて記憶違いだっただろうかと男は首を傾げたが、この密林のルートは完璧に知り尽くしている。言わば自分の庭のようなものだ。そんなところで迷うなんてことはないだろう。


「隊長、なんかおかしいですぜ。もう目標地点に着いてもいいころなのに、幹の太い木がどこにもない」


横に並んでいる軽口の部下が片眉を上げながら不思議そうに辺りを見回した。
異変に気付いたのはどうやら自分だけではなかったようだ。
こうなったらますますおかしい。
いったん部隊を止めて、男は辺りを注意深く見回すことにした。鬱蒼と生える木々の特徴から、今の場所がどこなのかを推測する。
文字を読むようにそれはすぐにわかった。先程曲がったはずの森の分岐点だ。そこは軽口の部下を注意した後に曲がった。

(どうなってるんだ―…?)

男は見取った事実に唖然とした。そこを曲がってもう大分走ったのに、何故そこから進めていないのだ。
隊長は道を戻らせ、今度は逆に十歩ほど馬を走らせた。
そして回りを見る。
今度は先程の分岐点から4メートルほど行ったところだった。
戻ったはずなのに、今度は進んでいるときた。
ということは、自分たちは同じところをぐるぐる回っていることになる。


「…しまった、罠かっ」


木の後ろを確認した部隊長は口惜しげに呟いた。
幹の後ろに果物の汁で書かれた小さな魔法陣と、読めない文字が綴ってある。
こんな奇妙なことができるのはエルフの仕業だ。結界を張られたのだ。


「気をつけろ―、」


緊急事態だと後ろの部下たちへ振り向くと、しゅばっと何かが素早く掠め飛んできた。
歩兵の部下の頭へ、それは勢いよく刺さる。
矢だ。敵が放ったのだ。
倒れる部下を視界の端に捕らえつつ上を見上げると、高い木の枝へ何人もの人間が弓に矢を番えてぎりぎりと弦を唸らせていた。


「故郷の恨みだ! 覚悟しろ!」


オレンジ色の髪をしたエルフの恨み言葉が、森中へ響いた。
やばいと思う間もなく矢の雨が一斉に降り注ぐ。
狭い場所で狙い撃ちされてはどうにもならなかった。すぐに馬から転げ降りて木の陰に隠れたが、矢の雨が去った後に残ったのは無残な姿の馬と部下たちだった。
「くそっ」と部隊長は舌打ちした。どうすることもできないが、せめてひとりでも多く道連れにしてやると腰の剣を抜く。
―と、どこからか蹄の音が聞こえてきて部隊長は振り返った。
一体いつの間にいたのか、そこには軍馬に跨ったひとりの少年がいた。
赤い服に緑のバンダナを巻いて、後ろへ何体かの騎馬隊を従えている。
男はすぐに理解した。ただの少年ではない――これが解放軍の軍主なのだと。


「ここまでか…」


振り上げた剣を見て、男は自分の死を理解した。
噴出した赤黒い鮮血とともに命が流れた。




□■□■□




奇襲線路を乗っ取ることに成功したとの報告を受け、マッシュはひとつ、息をついた。
隣には軍主と同じような格好をさせた影武者がいて、どうやら不審には捉えられずに済んだらしい。といっても、互いの奥など豆粒のようなもので、はっきりと姿を認識できるものでもなかったのだが。
奇襲部隊へ人数を割いたことから前線は少々圧され気味だが、そこは予想通りの結果である。
後方で戦況を眺めていたルックが、マッシュの隣へ並んだ。


「ねえ、あの前線の中央、今にも破られそうなんだけど、あれはあのままでいいの?」


なるべく横に広がらせた自軍の状況を、しっかりと見極めているらしい。
歳のわりに賢い子どもだと、マッシュはルックを見て頷いた。


「そうです。あのままではいずれ突破されてしまいます。
 だからそこで、あなたに頑張ってほしいのです」
「? …言ってる意味がわからないんだけど…」


訝しげにするルックを尻目に、マッシュはさっと十人ほどの人間を呼び集めた。
肉弾戦には向かないような兵たちで、一般よりかは魔力が高いことからどちらかといえば魔法兵よりである。
まさかと思うルックと、マッシュの細い目とかち合った。


「ユンファ殿が本日この時だけ、あなたを臨時の魔法兵団長にするそうです。この者たちを率いて、敵がこちらへ来るのを防いでください」
「……それ、本気で言ってるの?」


昨日紋章を暴走させたなんて失態をしたのに。
軍師として名高いシルババーグの性をもつこの軍師のことだ、今回自分が争いに加わるのもあまり色よく思っていないだろうとルックは思っていた。
けれどマッシュが平然と言った言葉に、逆にルックがカチンときた。


「もちろんです。それとも魔法を行使するのが怖いですか?」
「…そんなわけないだろう」


もしかしたらマッシュはマッシュで、今後のルックの使い道を考えるためにこんなことを言ってきたのかもしれない。
けれどそれはこちらとしても都合がいいこと、また戦うことができる、あんな失態のまま終わらすことはしない。


「もう一度聞くよ。僕が兵を率いて戦場に参加してもいいんだね?」
「ええ。今日の戦いで勝負は決まります。くれぐれも昨日のような失敗はなさらないように」
「わかってるよ」


嫌味ったらしい事実に眉を顰めながら、ルックは弓兵の前に歩き出した。
マッシュは呼び出した兵たちにルックに就くように言い、ふと息を吐く――ルックを戦場に出すことに渋るマッシュに、あいつは戦力になるからとユンファが言葉巧みに説得したことを当然ルックは知らなかった。


こちらの陣と横這いに広がった自軍の兵の中間地点まで来たルックは、兵たちに魔力を自分に送るように言い、前線の緩みがもちそうにないので早速集中にはいった。
杖を握る手が少しだけ震えていて、思わず舌打ちしそうになる。
………まだ不安が拭えていないというのか。この僕が?


「―大気に潜む精霊たちよ」


後ろから送られてくる魔力をかんじ、ルックは呪文を唱え始めた。
興味のない戦争なんかに加勢しているのは師の言いつけのせいだが、足手まといだけはごめんだ。杖を握る手に力を入れ、目を閉じて魔力と意識を一点に向けて集中する。


「流れる汝に言葉を移し、わが意に駆け抜けりは刃となりて我が敵を討て」


どっと前線の中央が破られ、敵兵が一気に攻め入ってきた。
怒号の声と地面を揺らす足音、それが猛烈の勢いで迫ってくるのが目蓋越しに聞こえる。
だがルックは時を間違えなかった。
雪崩れ込んできた敵が守備範囲に入ってきた頃合を見計らって、目を開き杖を大群へと向けて呪文を完成させる。


「切り裂け!」


横一直線の風が唸り声を上げてそれらをすべて飲み込んだ。
迫ってきていた敵兵が声を上げて一斉に倒れる。


魔法は暴走しなかった。後ろの魔法兵たちが「やった」と小さな歓喜をあげて、揺るいでいた前線もどうにか立ち直ったらしい。
全滅させたと思っていた魔法兵が生きていたことに敵兵は動揺しているようだった。


――と、左方の森から怒号の声を上げて、騎馬兵と歩兵が突如その姿を現した。
掲げている軍旗は解放を求めるもの、奇襲路線を乗っ取った部隊が逆に奇襲を仕掛けたところで。
その先陣を切っているのはユンファ・マクドール。
赤い服に黒い髪、茶褐色の馬に跨り、ユンファたちは砂埃を上げて本線を横から攻めた。
いつも飄々としている姿からは想像できないような真剣な黒い瞳を、ルックは瞬きもせずに見つめた。大勢の味方を引き連れるそれは、確かに解放軍軍主の姿だった。


思ってもいない魔法攻撃と横からの奇襲に、クワンダの兵は畳み掛けるように潰れていった。
戦いの三日目にしてついに敵は城に立て篭もったクワンダのみとなった。



そしてクワンダ・ロスマンも解放軍の仲間となり、こうして解放軍は新たな勢力を手に入れるとともに帝国軍に初の勝利を得ることができたのだった。