早くこい、この馬鹿息子っ。
ひとりの少年が来てからというもの、そんなレパントの声が度々城中に響くようになった。
シーナは今日も今日とて城からの脱走に失敗し、誰かの密告によりやって来たレパントの太い腕に耳を引っ張られながら部屋へと連行される最中である。
つくづくついてないとシーナは思う。
自由気侭に満喫していた旅も親父に見つかって連れ戻されるし、挙句こんなところまで来る羽目になって戦争の強制参加、しかも逃げ出せないとくれば、つくづく自分はついてない。
そんなことを思いながら容赦のない耳の痛さにぎゃあぎゃあ騒いでいると、突然立ち止まったレパントの広い背中にシーナは顔面からぶち当たった。
なんだと思いつつ耳を掴まれたまま前を見ると、途端にレパントが喜色満面の笑みでその人物へ声を上げる。
今のレパントが心底敬っている人物がいた。自分と同じぐらいの年なのに、その肩に重い軍主という役目を背負っているそれが。


私の馬鹿息子がご迷惑をと話すレパントに対し、笑みと自信に満ちた顔で接するユンファをシーナは耳を抓られたまま不審そうに眺めた。





強 敵
3.均一な色





兵員の増加と勢力の向上を理由に、トラン湖に佇む解放軍本拠地は現在改装工事に勤しむ日々を送っていた。
初戦を勝ち取りクワンダの軍も交え一層士気も高まった解放軍は、クワンダの軍にも帝国に不信感を抱く者も多かったのだろう、城の改装にも皆が晴れ晴れとした様子で精を出している。まあよくやるものだと、少し猫背の傾向があるシーナは思った。


そんな中で専らやる気のない若い労働力は、サボりを決め込むために最早通うのが日課となった溜まり場へとやって来た。
仕切られた一角に入った途端、そこにいた綺麗な翡翠の瞳の少年がこちらをちらりと一瞥して皮肉るように一言言う。


「何、また失敗したんだ」
「………悲しいことにな」


この場合の失敗とは、城からの脱出をいう。
もうここには来ないからなと意気込んで挨拶をしていったのはつい昨日のことだっただろうか。
あの時はこの生意気な少年の顔をもう二度と見ることはないと思っていたのに、結局はこれかとシーナはげんなりする。
どうやっても逃げれない。



見聞を広める旅に出ると偽ってふらふらとひとり旅を満喫していた最中、親の威光を傘に女を誘っていたところに運悪く頑固親父に見つかってこんなところまで連行され。
一応剣術と魔術はそれなりに会得しているが、今まで貴族ということで物騒な争いごともしたことないというのに、いきなり戦争への強制参加。
しかも城が湖の中になんかに建っているから近くの町にも遊びには行けないし、男ばかりでほとんど女がいない上に許可がないと舟も出してくれないとくれば。
いくら人々の夢と希望を託され結成した解放軍といっても、シーナにとってはただの牢獄でしかない。


シーナは壁に背を預けてどかりと座り込み、部屋の主の了承を取らずに勝手にそのまま居座る体制をとった。
ルックはそれに嫌そうな顔をしたが、毎日のようにシーナが来るものだから今ではもう何も言わずに見て見ぬ振りだ。
いやこの生意気な子どもはシーナを端からいない存在として考えているのかもしれない。
男にしては華奢な身体つきで綺麗な顔をしているのに、吐くのは辛辣な正論と毒で、全く可愛い性格をしてないのだ。
けれど育ちからか誰かと話すことを好むシーナは、暇な時はほとんど年近いルックを相手に過ごしていた。
あまり相手にはされないが、ルックの毒舌も嫌味な態度も慣れればどうってことはない。
妙な庇護欲と弟を作ったぐらいの気分だった。


「ったく、こんなところで過ごすなんて冗談じゃねえよ。華はないし、いるのは汗水流すがたいのいい男ばっかだし」
「うるさいよ。愚痴なら他所行ったら」
「へいへい。ってかルックは何してんの?」
「サボってばっかりのあんたと違って仕事だよ」
「仕事ってお前それ……、」


ルックは石版に凭れて座り込み、ひたすら書類に判を押す作業を繰り返している。
面倒そうにぽんぽんと判をおざなりに押して書類を流している様は、誰がどう見たって適当であって、シーナはちょっぴり心配になる。


「なあ、それちゃんと読んでんの?」


読み流しのルックは興味なさそうに言った。


「まさか。読むわけないだろ、こんなの。僕が教えるのは魔法の技術面であって、予算申請だとか兵員の人物評なんかどうでもいいんだよ」
「でも判子がいるってことは、一応上が目を通しとかなきゃいけない事項なんじゃねえの?」
「知らない。僕にとってはお門違いさ」
「…お前、それ立派な怠慢だぞ……」
「何か言った? 逃げることばっかりに精を出している人間の口に似つかわしくない台詞が聞こえてきた気がしたんだけど」
「ちゃんと聞こえてるじゃねえか、っていやまあ、そんなこと軍主さまにバレてもしらねえぞ」
「平気だよ、黙認だから」
「………左様で…」


ルックが魔法兵団長という地位についていると初め知った頃は、こんな子どもがとそりゃもう驚いたものだ。
けれど身をもって体験した魔力の強さ―女みたいと言ったのがいけなかったらしい―、今ではそのことにシーナも納得している。
けれど父親が心底慕っている軍主だってまだ、自分と同じぐらいの歳。
深入りはしないつもりだが、それだけ若いと逆に不安も覚えるというものだ。
組んだ足の首を動かしながら、シーナは朝目にした軍主の顔を思い出した。


「なあ、軍主さまって前からあんな感じなのか?」
「あんな感じってどういうことさ? 抽象的表現はやめてほしいんだけど」
「だからああいう笑い方を前からするのかってこと」


シーナは軍主のあの仮面のような完璧な目が好きじゃなかった。
元来貴族というだけあって、それこそ他人と接することが多かったシーナは昔から観察力や洞察力に優れている。
己の利益の為には下卑し、愛想よくする笑う人間も多かった貴族間ならではの、自然と身に付いたものだった。
それは父親も母親も同じで、だからこそ軍へ参加したのだろうが、けれどシーナには軍主の笑みや動作がどうも不自然に見えてしょうがない。
見慣れたああいう見え透いたものではないのだが、完璧すぎるとでも言えばいいのだろうか。整いすぎているのだ。


(だってまだ子どもだぞ――?)


近い年頃だからこそわかる不自然さだった。
重い軍主という役目がそうさせているのだろう。
しかしそのことを億尾にも出さず、しかも周りの面子も気付いないことが、シーナは気に入らなかった。


それまで判子を押すという機械的な動作をだけをやっていたルックが、シーナの言葉を受けて、へえ、と少しは感心するように笑った。


「人を見る目はちゃんとあるみたいだね」
「これでもいろいろと体験してますから」


おどけた調子ながらも、シーナはルックの言葉を待った。レパントには否定されただが、何故だかルックは軍主の変化に気づいていそうな気がした。
そういうことに関しては、この島育ちの少年は鋭いというのがシーナの見解だ。
いい加減に積み上げていた書類をとんとんと整い直し、ルックは言った。


「そうだね、アイツがああやってしっかりとしてきたのはクワンダとの戦争が終わってからかな」
「…。軍主としての自覚が芽生えたってことか?」
「さあ、そうじゃない? アイツだっていつまでも子どもじゃやっていけないってわかったんだろ」
「そう、当たりだな」


―と、不意の第三者の声にシーナは大きく目を見開いた。
見ればいつの間にいたのか、軍主が当たり前の顔をして入り口に立っている。
全くの気配のなさに驚くシーナを他所に、ルックは整えた書類を軍主へ手渡した。
軍主が書類を受け取る様を呆然と目におさめて、やっとシーナは復帰する。
へらりと笑うのは、親父の様にこの軍主に飲まれないためであった。


「軍主さまが立ち聞きなんて、感心しないなあ」


わざと単語を強めて言いシーナが肩を竦めてみせると、こちらを向いた軍主は口端を上げて余裕の笑み。


「俺も脱走の失敗を二度も三度も繰り返すのは、感心しないな」
「んだと、」


明らかな売り言葉。座っている体勢のせいか、ひどく見下されているようにも思える。
シーナは勢いよく立った。
あまり大差のない身長になったにも関わらず、軍主は自信に満ちた目で、しかもどこか挑戦的な色を向けてくる。
そうだ、その黒い目が気に食わないんだ。
何にも屈しないようなその目が、その態度が。
自分とは年も近いのに不釣合いで不自然で―――腹が立つ。
シーナは言う。


「子どもなんかが軍主を務めているような不安要素満載な軍に、誰も長居したいとは思わないぜ。
 俺は親父と違ってただの帝国5代将軍の息子になんかに期待してないからな」
「何に苛立っているのかは知らないが、いちいち突っ掛かってくる短気さはどうにかした方がいいと思うぞ」
「…なんだと」
「あと未だに親の傘を当てにふらふらしているボンボンよりかは、余程いいと思うがな」
「こんのっ!」
「うるさい。喧嘩ならどっか別のところでやってよね」


息巻くシーナが飛び掛りそうになり軍主も構えの体勢に入る前に割って入った呆れたような声、ふたりはぴたりと動きを止めた。
ルックに顔に思いっきり邪魔と書いてある。
本気の喧嘩を見てそれか。


どこまでも彼であった仲裁の言葉に、気が削がれたのか軍主は書類を手にそのまま部屋を出て行く。
その姿が見えなくなると、ぶつける先を失った怒りにシーナは吠えた。


「だあっ! くそ! あいつ完全に人を馬鹿にしてやがるっ!」
「ひとりになってもうるさいなあ」


シーナは憤慨し、それを露にするようにどしどしと出入り口へ歩いていった。
これは親父やおふくろに言って、あんな化けの皮を被ったような奴に就くのはのはやめるように言わなければならない。


けれどこのところシーナにはとことん運が向いてないように思える。


「っと、ごめんよ」
「いでっ!」


入り口から一歩踏み出した瞬間、運んでいた木材の角がダイレクトに頭に当たり、シーナはその痛さに頭を抱えてしゃがみ込んだ。
目には涙が浮かんでいる。かなり痛そうだ。
馬鹿じゃない? とルックの心底呆れた声が聞こえる。
ちくしょうとシーナは呟いた。


「絶対あいつの化けの皮剥がしてやる」


それはシーナが初めて挑む大きな大きな敵だった。