きみにできること4

リュウカンの薬で毒を制して、解放軍はスカーレティシアを破った。
あれだけ猛威を振るっていた薔薇はまるで悲鳴を上げたように蠢き、炎に包まれ呆気なく灰と化した。


「こ…これはどうしたことだ……」


ミルイヒは崩れ落ち、己の手を見つめてうわ言を繰り返している。
ユンファはそれを静かに見下ろしていた。


グレミオの仇だ、許すわけにはいかない。
背後でビクトールやパーンが得物を掲げて今にも飛び掛らんとしているが、ミルイヒはそれにも覚えがないようで、グレミオ? かたき? などとその怒りが理解できてない様子だ。
クワンダの時と同じで、ミルイヒもまたブラックルーンの力で姑息にウインディに操られていたのだ。
それでもこの男がグレミオを死に追いやったのに変わりはない。
怒りを訴えるビクトールたち。
それを抑えたのは以外にも直情型のフリックであった。


「ユンファ。お前はどう思う?」


決断を急かすのではなく、フリックはユンファの答えを求める。
ユンファは目を閉じた。


この西方の地を強いていたミルイヒ。
毒と冷酷さをもって独断的な政治で人々を苦しめていた。
そして操られていたとはいえミルイヒが放った胞子によって、グレミオは死んだ。


ユンファは目を開けてきっぱりと言った。


「この男に罪はない」


―強い言葉だった。
ミルイヒが恐る恐る見上げて問う。


「わたしが憎くないのですか? 解放軍のリーダー、ユンファどの。
 わたしが、グレミオという者を殺したのでしょう…?」
「けれど貴方はそれを覚えてないと言った。貴方はウインディに操られていただけだ。違いますか?」
「それは……」
「貴方がもし自分の意思でこれまでのことをやったというのなら、絶対に許しませんよ。
 けれど憎むべき相手が違う。復讐は復讐しか生み出さない。
 ミルイヒ殿、私たちは解放を求めて戦っているんです。新しい憎しみの種を植え付けていくわけじゃない」


ひとつひとつを語りかけていくように、真っ直ぐとした言葉。
長い眠りから解放されたミルイヒにとって、それは漠然と広がる青い空のようにも思えた。
知らずに頬に一筋の涙が落ちる。
それを見てユンファは穏やかに笑って言った。


「将軍ミルイヒ殿、貴方と貴方の軍の力が解放軍には必要です。
 この国のために共に戦ってください」
「…もちろんです…」


ミルイヒは縋るように差し出された手を握った。




□■□■□




さあっと吹き抜ける風は青空のようにあっさりと駆けていく。
解放軍の屋上で、ユンファはトラン湖を眺めていた。
するとその背中にある声が掛かる。


「なんだ、先客がいたや」


階段を上がってきたルックはユンファの姿を見るなり、嫌そうに息を吐いた。
対するユンファは振り返るとおどけたように言う。


「これはこれは誇り高き魔法兵団長のお越しで。
 石版と自室の他に屋上に出現可能性あり、っていう噂は本当だったらしいな」


いつもの調子でわざとらしく、ユンファは作法の整った礼をしたりと何らその様子は普段と変らない。
その様子がひどくルックの勘に触る。
あんなに毎日構っていた付き人が死んだというのに、何故こうも悠然とそれを受け入れているのだ。
その余裕さがルックにはただの演技に見える――そうとしか見えない。
近寄ると、ルックは口の端を引いて吐き捨てた。


「“復讐は復讐しか生み出さない”…ね。よくあの場でそんなこと言えたものだよ。
 本当は憎くてたまらないのに」
「…………………」
「大切な人を殺されて笑って許せるほど、人間っていうのは綺麗に出来てないんだ。
 今からだってやろうと思えれば仇を討てるよ。相手はこの城にいる。加担してやろうか?
 平気さ、事情を言えば誰もあんたを蔑んだりはしない」


ねえ、憎いんだろ―――?


息のかかるほどの近距離に顔を近づけ、目を見つめてルックは問う。
まるで甘い蜜を誘うように、囁く。
その口から『憎い』という言葉をルックは引きずり出したかった。
許しているなんて嘘だ。
憎くてたまらないはず―――――それが例えどんな強い光をもった者だとしても。


翡翠の瞳を真っ直ぐと受け止めていたユンファは、
けれど次第にぽかんと呆気にとられた顔になる。


「……何さ、」
「…いや、さすがに「今でも仇をとれる」とかそんな言葉を言われるとは予想してなかったからさ…、驚いた。
 ってゆーかルック、それ石版守の言う言葉じゃないぞ。ミルイヒも宿星だったんだろ」


人が真剣に言っているというのに、ユンファは可笑しそうにそう言って笑った。
腹の立つやつだと、ルックはちっと舌打ちをしてそっぽを向く。


「言い様は悪いけど、なんだかんだ言ってルックって優しいんだな」
「は? なんだよ、それ。しらばっくれた気?」
「いやそうじゃないけど、率直な感想」


今からでも思い直していいなんて、
ルックは気付いていないけど、大きな許しだとユンファは思った。
その真っ直ぐとした翡翠に嘘は付けそうにない。
しかし今更あの時の決断を変える―そんな甘さに惑わされれてはいけないと、ユンファは決断が鈍らないように人知れず拳を握った。
ふっと息を吐く。


「正直言って―、憎いさ。どう思ってもソニエールの時のミルイヒの顔が、頭から離れない」
「ほらやっぱり。憎いんじゃないか。
 あいつを許したのは解放軍のリーダーとしての決断ってわけ? くだらないね」


ルックが吐き捨てる。
けれどそれは違うとユンファはきっぱりと首を振った。


「…確かにミルイヒを許したのは、解放軍の戦力を考えたっていうのもある。
 けど憤りに任せて衝動的になったら、また同じことが繰り返される。そんなの獣さ。
 変える為に戦っているんだ、みんなで。必死にやってるんだから、いい国をつくりたいじゃないか」


胸に潜めたとてつもなく大きな真理。
そう言って、にかりとユンファが笑う。
それに暫し呆然とし、なんだそれとルックは遠くで思った。
憎いと認めているのに、憎いはずなのに、それに堪えるという。
ユンファの目は嘘をついていない―――今までに見たことのない、強い光だ。
どうしてそういう考え方ができるのか、ルックには理解ができなかった。
ルックはどう思っても、あの北の国を許すことは出来ない…。



ルックが顔を伏せている傍で、ユンファは遠く響き渡る鐘の音を聞いた。
眼下にいくつもの小舟がトラン湖に浮かんでいる。
その舟には戦争で死んでいった者たちが乗せてあって、その身体を兵たちが舟からトラン湖へ投げ入れていた。
解放軍として戦った者は水葬することになっている。
持ち帰ることができれば身体を、出来なければ遺品や名前の彫られたタグを水へと帰す。


ユンファはその鎮魂歌が響き渡っているのを聞きながら、ポケットからひとつのタグを取り出した。
それにはグレミオの名前が彫られている。 胞子に蝕われたグレミオは骨も残っていなかった。
その名前をユンファは一文字ずつなぞり、語りかける。


「…………最後まで走り通すから、見ていてくれ」


グレミオが望んだように、貫き通すから。
小さく囁き、そしてそれをトラン湖へ投げ入れるべくユンファは腕を振り上げた。
そして振り投げようとした瞬間、
――ぱっと細い手に手首を掴まれる。
見ればルックが眉を細めていた。


「ちょっと待ちなよ。トラン湖に水葬するのは解放軍として戦った者に対しての賞賛だろ。
 グレミオはあんたを守る為に、あんたの従者として死んだんだ。
 だったらそれはあんたのとこの墓にでも埋めてやるのが礼ってもんじゃないの」
「……………ルック、」


その言葉に、ユンファは上げていた手を力なく下ろした。
――この少年は、なんでこういうことを言ってくれるのだろう…。
そのことに、感謝した。


「……そうだな…」


ゆるく息を吐いて、ユンファは遠くを見つめる。
このタグはすべてが終わったその時に…。


「なんかルックって、やっぱり優しいのな」
「気持ち悪いよ」


グレミオの最初で最後のその願いをちゃんと叶える―――。
だから見ていてくれ、ユンファはそれをしっかりと胸に抱いた。



ユンファにとって最大の敵が、すぐそこまで忍び寄っていた。