兄弟って?〜ちいさな絆〜
お前は今日から総悟くんのお兄ちゃんになるんだ。
そう言われて、「はいそうですか」と言えるほど俺は大人じゃなかった。
世間でいう絶賛反抗期中の俺にとって、新しい家族というのは鬱陶しさしか感じない。
他人からの干渉を最も嫌う時期だった。それに父親の味方が増えるようで、浮かび上がる感情は煩わしさしか生まれない。冗談じゃない。独りごちる。
大人ふたりを一瞥した後目線を下に下げると、女の足に隠れるようにして子どもがひとり俺をじっと見上げていた。
空色の大きな瞳、亜麻色の髪に丸い頭をした7歳下の子どもは、先の父親の言葉を借りるなら今日から俺の弟になるらしい。
(アホらし)
今更弟なんて。
しかもこんな蹴りひとつ入れたら壊れそうなのが俺の弟なんて。
まったくもって冗談じゃない。
新たな関係に対して、俺は徹底的に干渉を許さなかった。
名前を呼ばれて返事はしても、作ったご飯を食べて言葉に耳を貸したとしても、距離を縮めることはしなかった。
あくまで”知り合いの共同生活”というスタンスを崩さず、近寄ることを良しとはしない。
始めは何か言いたそうな素振りを見せていた義母もやがては諦めたようで、俺が引いた線を越えてこようとはしなかった。理解がいい。
しかし、ちょろちょろと動きまわる義弟だけは違った。俺の後を必死になって付いてきて、俺のやることなすこと大きな目でじっと見てくる。まるで何をやっているの?と言わんばかりだ。
父や母は「総悟はお兄ちゃんが好きなのね」なんて笑みを浮かべて暢気なことを言う。何がお兄ちゃんが好きなのね、だ。ふざけるな。鬱陶しい。
ついてくるなといくら言っても、クソガキは俺の後を追うことを止めなかった。何が楽しいのか、金魚のフンみたいについてくる。
すたすたすた。てこてこてこ。
望まない追いかけっこに俺は苛々する毎日だ。
ある日、いい加減腹立たしくなって、俺は外にまでついてくるアイツを置き去りにした。
途中から全力で走って、公園の前に置き去りにしたんだ。驚いたのだろう、必死になって追いかけてくる音や声が聞こえたが、それはすぐに風に紛れて聞こえなくなった。
母は帰って来ない実息子を心底心配したらしい。
十四郎くん総悟を知らない?そう問われたが、さあと知らないフリをした。
公園には置き去りにしたが、ひとりで帰って来られない距離ではないから、いずれ帰ってくるだろう。俺の知ったことではない。
結局総悟は夕方になっても戻って来ず、母が青褪めた顔で探しに行った。
その間俺は、自分は悪くないと繰り返した。
だってアイツが悪いんだ。ついてくるなって言ったのについてくるから、俺は自分の世界を守る為に仕方なくそうした。俺は悪くない。繰り返す。
暫くして、母は総悟を連れて戻ってきた。
「公園に居たわ」と安心した顔で母は言う。総悟はどうしてと言わんばかりの目で俺をじっと見ていたが、何も言葉は発しなかった。
無言で訴える青い目を見返し、その純粋さが癪で、俺は帰って来なければよかったのにと、心の底で思った。
俺の行為は総悟の中で余程の裏切りだったらしい。それからというもの、総悟は一切俺に纏わりついて来なくなった。
勿論俺としてはしてやったり。伸ばせなかった羽をようやく伸ばせたような、解放感。そんな気がして俺の足取りは以前よりも軽くなった。
こうして食卓の時にしか総悟を見なくなったが、改めて見ると金魚のフンもとい総悟は大層大人しい。
自分から主張することは少なく、学校の話も聞いたこともない。同じ家に暮らしているのに友達を連れてきたことも、実母と話すところもあまり見掛けなかった。
根暗そうだし、コイツは友達居ないんだろうな。というのが俺の見解だ。
少しの興味心があって、俺は学校帰りに総悟が通う小学校へと寄った。アイツはもう帰っているだろうが、暇と興味心がちょうどいい感じに重なったのだ。
敷地内をぶらぶらと歩き、適当に見回す先で、すっかり見慣れてしまった亜麻色を見つけた。
塊で居るから友達と遊んでいるのかと思いきや、どうも様子がおかしい。目を細めて見れば、対立した3人のガキたちが一方的に嘲笑混じりの言葉を総悟へ投げていた。対する総悟はただただじっと立っている。
3人のうちのひとりが前に出ると、両手で総悟を押した。あまりの乱暴さにずしゃっと総悟は地面へと倒れた。地面と仲良しの総悟を指差し笑うガキたちの声が空に響く。
(なるほど)
総悟はいじめられているのか。それは友達も居ないし、根も暗くなるわ。
泣き喚くのか逆上するのか。さて総悟はどうでるのか。
腕を組み物影から様子を見ながら、俺は傍観に徹した。助けようなんて殊勝な気は更々なかった。だって総悟がいじめられていようが、俺には何ら関係ない。
俺が眺める先で、総悟は静かに立ち上がった。体についた砂を払うでもなく、ゆらりと立ち上がるとじっとあの青い目で目の前のガキ達を睨む。
当然いじめている奴らは総悟が何も反応しないのが面白くなかったと見える。視線だけで攻める総悟の目に怯んだというのもあるのだろう、一層ガキたちはよってかかって総悟をいじめた。
けれどそれから叩かれて突かれて何度地面に倒れても、総悟は何も言わず立ち上がるだけで反撃という反撃をしない。青い目で睨むだけだ。
いつしか見ている俺のほうが腹立たしくなってきた。
あのクソガキ、何故立ち向かわない。何が原因かは知らないが、素直に謝り服従したフリをすればこの場は丸く収まるし痛い目にも合わない。
アイツは意外にも強情だからプライドが高いかもしれない。でもそんなもの振りかざしていたら上手く生きていけないと、どうして気付かない。捨てればいいんだ、そんなもの。捨てて、逃げればいい。
身の内で、ズキンと痛む動くものがあった。
俺は、いつだって逃げた。親の言うことは分けわかんねーし、毎日が苛々として早く家を出たかった。心配してくる奴、声を掛けてくる奴、全てが嫌で、何に苛々としているのか、それに向き合おうとはしなかった。そのほうがよっぽど楽だった。
そう、楽なんだ。背を向けて逃げちまえばいい。誰もお前を責めたりはしない。
それなのに何故立ち上がるんだ、総悟。
「あの馬鹿野郎」
いつの間にか握りしめた拳が震えた。
居ても立っても居られず、気付いた時には俺は駆け出していた。
尚も殴りかかろうとするガキの手を握り、総悟の前に庇い立つ。
あ、と背後で総悟が声を零した。俺は驚いた顔をするガキたちをひとりひとり睨むと唸るような声で言った。
「俺の弟に何してんだよ」
自分でも予想外の行動は、俺の大きな誤算だった。もう本当にやるんじゃなかった。
不本意ながら総悟を助けるかたちとなってしまい、それから、総悟はまた金魚のフンのように俺の後を付いてくるようになった。
すたすたすた。てこてこてこ。