兄弟って?〜人のものに手をだすな!〜


 暑い暑いと思いきや、季節はすっかり冬になって寒空を従えるようになった。
 コートを着込みマフラーで首元を覆っても寒さは隙間を見つけてやってくる。
 白い息を吐き出し、俺は通い慣れた通学路を歩き家へと帰る途中だった。
 早いものでこの道を歩くのもあと少しの間となる。なんとか希望の大学に合格し、残りの高校生活を送っている最中である。
 あっという間だったな。赤信号で止まり、絶えない車の流れをぼんやりと見た。
 大学に行ったら、何か変わるのだろうか。
 サークルとかに入ったり、自分で授業の取捨をして時間を選んだりして、高校と違う学生生活を送るのだろう。

(そういや大学は私服だっけ。めんどくせーな)

 これまでは学生服だったからいいものの、私服なんて面倒極まりない。
 そういえばこの学生服は総悟の為に取っておくのだろうか。7歳年下の弟はまだ小学生だから、高校に入る時には制服も変わっているかもしれない。
 っていうか、アイツ頭悪いから、俺が行ってる高校に入れるかも微妙なところだけれど。
 母親でもないのにそんなことを考えて、アイツの行く末に俺は頭が痛くなった。

 昔はひっきりなしに後を付いてきた総悟も、歳を重ねる度にだんだんと兄離れをして今では後を付いてくることもなくなった。
 俺は年下の扱いに慣れていない。親戚の子なんか近付く前に逃げられることもある。
 しかしどうしてそうなったのか、総悟は俺を慕って、後は付いて来なくなったものの家の中では常に一緒に居たがる。
 再婚した当初はそういう総悟を鬱陶しく感じていたが、さすがに18にもなるといちいち気にしたりもしない。
 まあでもそういう無償の信頼? みたいなのは今でもちょっとこそばゆくはあるのだが。

 そんなことを考えていると、ふと本屋の前で立ち読みをしている亜麻色の頭を見つけた。
 黒いランドセルを背負って、何やら熱心に本を読んでいる。昔はあまり物を言わず大人しいとばかり思っていた弟だが、年々思い出したようにやんちゃぶりを発揮し始めた。その証拠に背中のランドセルは傷だらけでボロボロだ。

「何を読んでいるんだ?」

 後ろから覗き込むように問いかけると、驚いた総悟が声を上げて飛び上がった。そんなにびっくりするとは思わず、俺のほうが驚いた。

「わ、悪い」
「いや…すみません。今帰りですかィ?」
「ああ。お前も?」
「へい」
「一緒に帰るか?」

 問うと総悟はぱっと花が開いたように笑った。大きく首を縦に振る。熱心に読んでいた漫画雑誌を未練なく置くと、俺の隣に付いて歩く。
 黒いランドセルがかちゃかちゃと鳴った。俺の身長にはまだまだ追いつかない小さな体。見下ろすと空色の瞳が一心にこっちを見上げていた。
 この距離感は未だに馴染めなかった。直向きな信頼はむず痒く、前を歩きながらふと白い息を吐き出す。

「何を読んでたんだ?」
「漫画でさァ。今学校で流行ってんです」
「ふーん。どんな漫画?」
「なんかね、銀色頭でもじゃもじゃ髪の男が、江戸を舞台に奔放するドタバタ劇でさァ。キャラがみんな破天荒で、面白いんですぜィ」
「へぇ。最近はそんなのが流行ってんだな」
「銀魂ってタイトルです」
「変な名前」

 小さな体で声だけじゃなく身ぶり手ぶりで話す総悟の動きは、俺に懐かしさを思い出させる。
 何もかもが一生懸命で、喜怒哀楽が激しくて、ちょっとしたことでも楽しそうで。誰にも分け与えようとするそれは、見ていて微笑ましくもある。
 一人っ子だった俺にとって、その感情は義弟が出来て初めて知ったものだった。
 冬の寒さにも凍えない、穏やかな風が身の内でそよぐ。

「土方くんじゃない」

 そんな風を叩き斬るみたいな、覚えのない女の声が後ろから聞こえて俺はうんざりとした。
 絶対、良いことがない。嫌な顔を隠しともせず振り返れば、何かと誘いを掛けてくる隣クラスの女が居た。げ、と思わず出た声を聞き咎めた女が眉を顰める。

「げ。とは何よ。人の顔見て」
「いや、悪い」
「そうだ。今から買い物するんだけど、付き合ってよ。ね、いいでしょ」
「は? なんでだよ。俺はお前の彼氏じゃねー」
「いいじゃない。だって土方くんいつも付き合い悪いんだもん。成績優秀でちょっと顔がいいからって、調子乗らないでよね。たまには私の我が侭に付き合ってくれてもいいでしょ。だいたいいつも適当に彼女作ってすぐ別れるのに、何回も誘っている私はどうして土方くんの彼女にしてくれないの? それって私に本気だからじゃないの?」

 何コレ。逆ギレしたかと思えば意味不明な御託を並べはじめた。
 つーか弟が居る前で俺の話は止めてくれねーかな。
 さっきの穏やかな気持ちはどこへやら、俺はため息を吐いてこの場をどうしようかと思考を巡らす。
 と、片腕にギュッと小さなものが飛びついてきて体が斜めになった。見れば総悟が両手で俺の腕を掴んで、ムスッと不機嫌な顔で女を見ている。
 はい! とでも言いそうなほど真っすぐと総悟が手を挙げた。

「お兄ちゃんは俺と一緒に帰るんでィ!」

 臆することなくハッキリと女に立ち向かう姿に、これがあのいじめられっ子かと、俺は場違いな感動を抱いた。
 誰? と問われて弟と答えると、女は興味なさそうにふーんと俺の腕を引っ掴んだ弟を見る。

「譲ってくれない?」
「嫌でィ。俺の自慢のお兄ちゃんでさ。文句ばっかり言うアンタにはあげやせん」

 怖がらせないように笑顔を浮かべていた女の眉がピクリと動いたのが分かった。
 その反応に笑いが込み上げたが、それより総悟の言葉にどう反応していいのか分からず、俺は無造作に頭を掻く。なんだこれ、ちょっと恥ずかしい。

「俺の自慢のお兄ちゃんだもん」
「そういうわけだから、お前には付き合えねーよ」

 ぐいぐいと総悟が腕を引っ張るから、女を一瞥してその場を去る。何それー!と憤慨する女の声が聞こえてきたが、振り向かなかった。それよりも総悟が必死な顔で俺の腕を引っ張るから、そっちのほうが気になった。
 ああそうだ。そういえば、俺も小さい頃は嫉妬深かったな、自分のものは自分のものって強欲だった。淡い気持ちを思い出したら笑いが込み上げてきた。
 女から離れたところで、もういいよ、と頭を叩いてやれば、勝気な目と、それでいて勝手をして申し訳なさそうな顔をしている。それにぷっと吹き出し、近くのコンビを俺は指指した。

「総悟。肉まん買ってやろうか」
「え! ほんとですかィ?!」

 今泣いたカラスがもう笑う。
 今度は肉まんの為に早く早くと引っ張る小さい塊を見下ろし、俺も丸くなったもんだと寒空には似合わない温かな気持ちを抱き総悟の後を追った。