兄弟って?〜兄弟って〜

初夏は夏というより春の印象のほうが強い。
 日差しは柔らかく、爽やかな風はさらりと素肌を撫でていく。
 ふと意識が浮上して目を開けた。ぼんやりとしつつ瞬き3回、徐々に影が実像を絵描いていく。
 あー寝ちまったのか。
 大きく伸びをしてゴロリと仰向けになった。天井をぼんやりと眺めて、現状を思い出す。
 そうだ。布団取り込んでいて、それがあまりにも温かかったからちょっと横になっている内に寝ちまったんだ。下に敷かれた布団を触ると、日差しを全身で吸いこんだそれは温もりと太陽のにおいで柔らかく体を包む。気持ちが良い。窓の外には青空が広がっていて、休日の午後はこんなにも穏やかなのかと目を細める。

「ん……」

 その時になって俺は初めて、隣に居る存在に気付いた。
 見れば亜麻色の頭がすやすやと体を丸めて気持ち良さそうに眠っている。
 一体何時の間に隣に寝転んでいたのだか。
 窓からの日差しに亜麻色の髪が反射してキラリと光った。手を伸ばして髪を触るとサラサラと手から零れる細い髪。普段は生意気なことばかり言っているが、寝顔はまだ幼く、無防備な様にふっと笑みが零れた。

 なんだかんだ言って、親が家を開けている今も、総悟とそれなりに楽しく毎日を送っている。
 弟が出来るのだと聞いた時は、こんな穏やかな日を迎えるとは思っていなかっただろう。
 あの時俺はまだ子どもだった。そしてコイツもチビだった。それが気付けばこんなにも大きくなった。

(もう高校生だって)

 そして自分は社会人だ。月日が流れるのはあまりにも早い。
 日頃触る機会もない髪を飽きずに弄んでいると、ううと唸って総悟が眉を寄せた。やばい、起こしたか、と焦って俺は手を引っ込める。
 眉を顰めた総悟はむず痒そうにしていたが、すぐにまた穏やかな寝息を立てはじめた。俺はホッと安堵する。

「今日のご飯は何?」

 すると総悟がそんなことを言う。小さな声で、どう聞いても寝言だった。
 ぷっと吐き出して俺はクスクスと笑う。お前その歳で寝言かよ。大人になってきたかな、とは思ったが、やっぱりまだ子どもだ。

 寝言に返事を返してはいけないと聞いたことがあるが、俺は誘惑に勝てなかった。
 聞こえるように、日頃の自分でも聞いたことがないような優しい声で答えてやる。

「今日はカレーだよ」
「甘口? 辛口?」
「辛口。好きだろ」

 うん、と総悟は返事のような愚図るような声を零す。一層体を丸めて夢の中から声を返す。

「ダメ。まだ食べちゃダメでさァ」
「どうしてダメなんだ」
「まだお兄ちゃんが帰ってきてやせん」

 総悟の夢の中ではカレーが出来たようだが、総悟はまだ食べないらしい。それどころか俺を待つと可愛らしいことを言う始末だ。
 お兄ちゃんなんて呼ばれるの、何年ぶりだろう。
 昔はそんな言葉で呼んでいたのに、いつの間にかそれは消えて、兄貴だの、アンタだの可愛げのない言い方に変わっていた。
 そりゃ何時までもお兄ちゃんっ子でも困るのだが、それでも一抹の寂しさは拭えない。

「今日は早く帰ってくる?」

 無邪気に問われた言葉に、胸を擽られるような気分だった。仕事をするようになってから、夕食が一緒に食べれない時の方が多い。男だし俺に対しては未だに反抗期だし気にしていないだろうと思っていたが、心のどこかでは総悟も寂しがっていたのかもしれない。
 総悟のことを考えると自然と笑みが零れた。
 コイツはこう見えて案外甘えたがりだ。

「ああ。早く帰ってくるよ」

 頭を撫でると総悟が安心したような顔をしてまた寝息を立てはじめた。
 と思ったら閉じていた空色の瞳がぱちりと開いた。
 え? と手もそのままに固まってしまった俺は、総悟がにやりと人の悪い笑みを口元に刻むのを信じられない気持で見る。狸寝入りだったのだと知ったのはその時だ。

「アンタ、弟離れしたほうがいいですぜィ」

 にやにやと笑い、それだけ言うと総悟は風のように自室へと戻って行った。
 やられた。自分の言動を思い出し恥ずかしすぎるだろと布団に突っ伏す。後でいろいろと言われるだろうと後悔しても後の祭りだ。

 すると近くに置いてあった携帯に着信が入った。ゆっくりした動作でそれを取る。

「はい」

 通話口からいつもの元気な声が聞こえてくる。発信元は親友の近藤さんで、用件は近いうちに飲みに行かないか? というものだった。
 俺は布団に包まれたまま太陽の空気を吸い込んで、ちょっと考えた。

「いいけど。……そうだ、近藤さん。今度うちで飲まないか? いや、最近家を開けてばかりだから、暫くは家に居ようかなと思ってさ。近藤さんが良ければだけど」

 そういえば弟がいるんだっけ、と近藤さんに問われ、ああうんと曖昧な返事を返す。
 言葉が曖昧になったのは、人を騙した狸が俺の弟なのかと思うと、遣る瀬無くなったからだ。

「うん。え? どんな弟かって? どんなってそれはもう人を馬鹿にするし、碌なことはしないし、俺を陥れようとする最悪な弟だよ」

 俺が挙げれるだけの罵倒を並べると、トシが躍起になるのも珍しいと近藤さんが笑って、逆に俺が虚を突かれる形となってしまった。
 それだけ見ているってことだろ、と返され、何も言えなくなってしまう。
 いい加減上半身を起こし、先程まで総悟が寝ていた後を指でなぞった。
 太陽の温かさとは違う人の温もりを感じて、先程の総悟の寝顔を思い出す。
 赤の他人だと言っていたのが、いつの間にか俺の弟だと胸を張って言えるようになってしまった。しかも今となっては弟の存在を、ほんの少し嬉しく思っている自分も居る。
 “兄弟"という離れようのない絆は、もう手放せないものとなっていた。

「ああ。うん。いや……そうかも。今度弟を紹介するよ」

 なんだかんだいってその一言に辿りついてしまうのだから、俺も甘いのだろう。

「かわいい弟だよ」

 そう言えば、総悟の部屋から枕が飛んできて俺の頭に直撃した。