兄弟って?〜空に指差し宣戦布告〜
屋上から見える空はあまりにも青く、抱えたものを吐き出したらそのまま持っていってくれそうな気がした。手放したら二度と帰って来ないほど、青空は遥か彼方まで広がっている。
手摺りに凭れ掛り、俺は口を開けて息を吸い込んだ。
声を出す気だった。
昼休みになり校舎内外から溢れ出した賑やかな声に混じって、俺の爆発寸前の感情も空に溶けていかないかと思ったからだ。
「あー」
しかし声は言葉にならず、結局喧騒の中で最も意味のない音源となった。むなしい。
「お前何してアルか」
後ろでチャイナが呆れた声を出した。振り返ると神楽はやっぱり酢昆布を食べていて、ブレないなあコイツと思う。
昼休みは独り気儘に立ち入り禁止の屋上で過ごしていたのに、勝手にチャイナが入り浸るようになってしまったのは一体いつからか。どっか行けと言ったところで聞くようなやつじゃないから放置しているが、何が楽しくてこんなところにいるのかは分からないが、
「なあチャイナ、お前って悩みとかあるか?」
「そりゃあ当然あるネ。頭空っぽなお前と違って女の子は悩みでいっぱいヨ!」
「例えば?」
「銀ちゃんとどうやったら付き合えるか!」
食いつかんばかりの勢いに、まあコイツは誰にも言えない恋心を俺にぶちまけたいだけなのかもしれないと俺はチャイナが屋上に居る理由を勝手に解釈している。
銀ちゃんっていうのは担任のことで、同じクラスで喧嘩仲間の神楽は何にときめいたのかある時から先生に恋心を寄せていた。
「どうやったら生徒じゃなく女として銀ちゃんに見てもらえるのか、日々頭を悩ませているネ」
「それで授業中寝てちゃ意味ねェよな」
俺は手摺りを掴んだまま、仰け反るようにして青空を眺める。いいなァ。声には出さず身の内で呟いた。
臆面もなく正直に自分の想いを言える、神楽がちょっぴり羨ましかった。
「今日の晩飯、肉じゃがなんでさァ。余ったら分やるから、それで先生落としてこいよ」
「ふん。サドの手を煩わすことないネ。お前はお兄ちゃんの分だけ作るがよろし」
チャイナは素っ気なく言っているが、多めの料理を作ることは俺の家事が増えると考えて言ってくれているのだろう。これでいて神楽は気が利く。
いい加減頭に血が昇ってきたから俺はまた手摺りに凭れた。眼下に広がるグラウンドを眺めていると、神楽が窺うように問いかける。
「お前、お兄ちゃんの世話とか家事ばっかりで辛くないアルか?」
「全然。俺、あの人の料理作るの好きだし。マヨネーズかけられるけど」
「サドはお兄ちゃん好きか?」
「うん」
声は、風に乗って飛んでいった。自分でも言ったのか分からないぐらいのあっさりさで、俺はもう一度口を開いて確かめるように空気を振動させる。
「好きでさ」
暫く間が空いた。声に何かを感じ取ったのかもしれない。
お前ブラコンだったか、と言われ、かもな、と笑う。
血の繋がらない兄は意外にもお節介なヤローで、あの人はいつだってヒーローだった。それは今も昔も変わらない。自覚するにつれ恥ずかしくなり俺の態度はとても反抗的だが、心の底では昔俺を庇ったあの背中がいつになっても色濃く残っていた。
あの人はもうとっくに忘れているかもしれないけれど、俺にとっては一番捨てがたい記憶でもある。それほど大切だ。それが長年俺を苦しめている感情のきっかけだとしても、きっと捨てることは出来ない。
「チャイナ。俺から言わせてもらえば、男と女なんだし、先生と生徒なんて壁は頑張ったらきっと越えられるぜ。そんな高い壁じゃねーよ」
「そう思うアルか?」
「そうそう。俺の悩みと比べれば、全然大したことねェ」
笑いながら俺は答える。
俺の悩みはもっと深くて大きい。底なし沼だ。俺は結構早い段階でその沼に嵌ってしまって、ぶくぶく沈んで沈んでもう浮き上がれなくなってしまった。だからあの人も引きずりこんでやろうとしたのに、手を伸ばしてもあの男は全然気付かない。いや、気に掛けてくれるが、沼の深さには気付かず、"兄”として手を伸ばしてくれる。けれど俺が欲しいのはその手じゃない。そんな浅さじゃない。
「鈍感」
チャイナに聞こえない程度に零して空を見た。本当はこの青空に体中に駆け巡る感情を大声にして叫びたかった。そうすれば何かが固まる気がした。諦める気はないからそれはきっと空だけが知る決意表明だ。
好きだと吐き出せ。心の底から声を出して青空を貫け。そんな俺の青春模様。知らないだろ、クソ兄貴。
「お前の悩みって何アルか?」
チャイナの声に、俺は空に向かって宣戦布告を突き付ける。
「どうやったらあの人が俺を弟じゃなくひとりの人間として見てもらえるか」
兄弟なんて、ぶち壊してやる!