い上げありがとうございます


 いろいろ悩んだ末に漸く心を決めて家を出た。街頭がチカチカとしていて、通り過ぎた車のテールランプが夜を派手に照らして去っていく。
 初冬とはいえ夜の空気は冷たい。白くなった息を吐きだして、歩みを進める。
 通い慣れた道を久しぶりに歩いた。するとあれだけその道を行き来していたというのに道を間違ってしまいため息をつく。あれから1カ月経っただけでこれだ。沖田も一時通っていた俺のことなんか忘れているかもしれない。

(それでもいいんだ)

 失恋をしてから俺は、あのコンビニへは行っていない。あれだけ常日頃頭の中を占めていた存在と離れて1カ月。その間もぐだぐだと悩んでいたが、やっと決心がついて重い腰を上げた。
 沖田 に告白しようと腹を括ったのだ。
 沖田が坂田を好きだと分かってから顔を見るのも苦しくて店にも寄りつかなくなって、それでもつい頭を過るのは沖田のことばかりだった。
 何も身に入らない。忘れられない。あれからどうなったのだろうかと気になる。急に来なくなった俺のことをちょっとは気にかけてくれているだろうか。いやそんな馬鹿な。
 会っても会わなくても俺の頭の中はアイツのことばかりだった。

 だから会って吐きだして、この不毛な感情に決着を付けようと思った。実らないと分かっていても沖田に想いの丈を告げて知ってほしいと思った。
 俺はマヨを買う為だけにここに来ていたのではない、俺は沖田に会う為に通っていたんだ。お前が好きだったんだ。
 告げて潔くフラれて俺の恋は終わろう。そうすればきっと次へ進める。俺は揺るぎない覚悟を胸にあのコンビニへと向かった。

 しかしコンビニに近付いて来るにつれて「やっぱ帰ろうかな」と囁く声があって、足取りがだんだんと重たくなってくる。白黒つけなくても勝手に想うのは自由じゃないかと諦めの悪い俺が耳元で囁く。
 煩い煩いと邪見にして体を引き摺ってきたが、明々と光るコンビニを目の前にした途端声は一層強くなる。
 あの中に沖田が居るんだ。沖田は入る曜日も上がる時間もほとんど変えなかったから居ることは間違いがない。
 沖田がそこに居て今から自分が何をするのかと考えるだけで、妙に緊張した。

「やっぱ帰るか…」

 いやいやいや!! 帰らねぇから!!
 零れた弱音に頭を振る。怯んだ心を叱咤してコンビニに近付いた。

 そろそろ上がる時間だろうからその時捕まえて話をしよう。中には入らず明々と光るコンビニの軒先に佇んだ。隣に4〜5人の如何にもやんちゃな男たちがたむろしていて、絡まれるのは厄介だと顔を合わせないように違う方向を向く。
 夜空には星がキラキラと輝いていた。携帯を取り出して時間を見るとあと30分程で上がりの時間で、ブランクがあるのに沖田のスケジュールを完璧に覚えている自分を冷静になって思うと、ストーカー染みた自分が気持ち悪くて遠い目をしてしまう。恋が盲目にも程がある。

「おい、あいつか?」
「そうそう。あの髪が派手で女っぽい奴」
「けっ。お前あんなのにやられたのかよ。情けない奴」
「うるせえな! 油断していたんだ」

 と不意に男たちの声が耳に入ってきて、チラリと見やると中の様子を見ながら隣に居た柄の悪い奴らが言い争っていた。
 どっかで見た顔で、気になってジロジロと見る。ソイツらの視線を追って中を窺い見るとレジをしている沖田の姿があった。硝子越しでもドキッとして慌てて視線を戻す。
 しかしあいつらが見ている先で髪が派手で女っぽい奴(ということは男だ)は沖田ぐらいしか居なかった。男たちの言葉をもう一度なぞる。沖田にやられた男…。

「あ゛!」

 思い出した瞬間声が出た。ヤベ、と思った時には既に遅く、男たちが驚いた顔をして俺を見る。俺を見た瞬間、2人の男たちが「あ゛―! テメェ!」と声を上げたのを見ると、どうやら間違いではなかったようだ。
 何時の日か俺に突っかかってきた男たちだ。喧嘩になって最終的には通りすがりの沖田に負けた。その時の仕返しに来たのだろうか。ご丁寧に仲間を引き連れて。
 俺はそういうのが大っ嫌いだ。指を差している男たちを流し見て鼻で笑う。

「はっ。またやられにきたのかよ」

 手を借りる奴も貸す奴も情けねぇ。弱い奴らほどよく群れるものだ。そう挑戦的に言うと男たちがギロッと目つきを変えた。

「試合はフェアじゃねぇと」

 沖田の言葉を真似てそう言えば、一方的に負けた男たちが黙っているはずがなかった。




 コンビニの裏に回って派手に暴れた。
 相手が何人だろうと俺の敵じゃない、無傷で俺は圧倒的な勝利を収めた。
 …なんて、どっかの映画でも漫画でもないし、喧嘩に自信があるとはいえ俺はただの二十歳にも満たないガキだ。
 クソ野郎! 覚えてろよ! なんて負け犬の常套句を吐いて男たちが立ち去る頃には、俺もズタボロで体中が悲鳴を上げていた。男たちの姿が見えなくなってからフェンスに寄りかかって荒く息をつく。切れた口の端が痛くて唾を吐き捨てると薄らと血が混じっていた。こんなに暴れたのは久しぶりだとフェンスを伝ってずるずるとその場に崩れ落ちた。
 見上げた空はさっきと全く変わっていない、遠くで星が輝いている。白い息はすっと音もなく消える。

「土方さん?」

 自分の呼吸音だけが耳に響く冬の夜に、懐かしい声が響く。もう帰っただろうと思っていた。
 視線を上げると、沖田がゴミ袋を片手に俺の前に立っていた。
 そうか、ゴミを捨てに来たのか。全く沖田には情けない姿ばかり見られると前髪を強く握りしめて笑う。俺、今から沖田にフラれるんだっけって思ったら、コンビニのゴミ捨て場の近くに座る自分がひどく滑稽に思えた。

「どうしたんですかィ。ボロボロじゃねェですか」
「大したことはねえよ。ただの喧嘩だ」
「喧嘩って…」

 ゴミを放り出して駆け寄ってきた沖田は、座りこんだ俺と視線を合わせるように膝を折る。青い目に覗き込まれて、こんな時でも綺麗だと思う自分に心底呆れた。

「沖田、俺お前に言いたいことがあるんだ」

 キョロキョロと傷を見る沖田に向けて言葉を発すると、忙しなく動いていた動きがピタリと止まって不思議そうな顔をして青い目がこっちを見た。
 透き通る青い目に嘘はつけない。その真っすぐとした目が好きだった。いや、好きだよ。今でもお前には惚れている。だけどもう終わらせなければいけない。
 冬の冷たい息を吸って、最後だからとしっかりと目を見つめたまま俺は告げた。

「俺はお前が好きだ」

 沖田の顔がぽかんとしている。言った意味をはかりかねているのだろう。しかしここで止まったらいけないと俺は言葉を続けた。

「初めて見た時から俺はお前が好きだった。一目惚れだったんだ。お前はマヨを買う為にここに通っていると思っていただろうが、本当はお前に会いにきていた。お前が坂田を好きだと知ってから諦めようとしたが、どうしても忘れられなかった。…俺は、お前が好きなんだ」

 全部全部吐きだした。勢いに任せて言い切った。
 未だにぽかんとしている沖田の顔に居心地が悪くなって顔を伏せる。急に悪い。お前の気持ちは知っているつもりだから返事は要らないと告げる声は地面に落ちる。

 暫く沈黙が続き、漸う居心地が悪くなって無理にでも体を奮い立たせてここから立ち去ろうかと思った時だった。
 意味分からねェという沖田の震えた声が耳に届いて、心臓がビクリと一瞬止まる。そうだろうなと浮かんだ自嘲。ただの客がそんなことを想っていたなんて、沖田にとっては青天の霹靂だろう。
 分からねェともう一度沖田の声が落ちる。
 そしてこんなことを言うのだ

「なんで俺が旦那を好きなことになってんです?」

 驚きか困惑か罵倒か謝罪か、いずれかを告げられるだろうと思っていたのに全く予想だにしない言葉が降ってきて、今度はこっちが言葉を理解するのに時間を要する。
 そろそろと顔を上げれば、沖田の不思議そうな、それでいてどこか怒ったような顔があって俺は瞬きを繰り返した。

「え? だってお前坂田を好きなんだろ」
「誰がンなこと言ったんですかィ」
「だって言ってたじゃねえか。坂田を好きだって」
「……? ああ、もしかしてアンタが急に帰った時のことですかィ? あれはただの」

 ノリです。
 はっきりと言われて頭の中で永遠リピート。沖田の目は嘘を言っているようには見えなかった。困惑する。
 え…? なに? ノリってなに?

「つまり…」
「俺は友達としては旦那が好きですけど、恋愛感情は持ってやせんよ」

 すげなく言われて頭が真っ白になった。決定打だと思っていたことをあっさりと覆されて何も言えなくなる。
 だいたい、と沖田は苛立ちを抑えるように息を吐いた。

「ンなことあんな場所で言いやしないでしょ。旦那、高杉と付き合ってんだし」

 それはそうだが…。

「けどお前片想いの相手が居るって言ってたじゃねぇか!」
「そりゃ居やすけど、それは旦那じゃありやせん」
「常連で昔から片想いだと言った」
「言いやしたけど、俺が言ってんのは別人です」

 土方さんは暴走気味でいけねェ。
 ふっと息を吐いた沖田は未だに唖然としている俺を見て、釣り上げている目を和らげて苦笑を浮かべる。自分が知っていることが全てだと思わない方がいい。そう呟いて沖田は言った。

「俺は片想いをしてやす。アンタと一緒で一目惚れでさァ。最初は俺が一方的に知ってるだけだったんですけど、偶然その人がコンビニに来て、通ってくれるようになりやした。仏頂面していつもマヨを買っていくんでさァ。独り暮らししてるって言ったら寂しくないかって心配してくれやした」
「……それって」

 呆然と呟くと沖田が照れたようにはにかんだ。夜空を背景に笑う沖田の顔が俺の目に飛び込んできて、目が逸らせない。沖田が目を細めて笑う。

「言ったじゃねェですかィ。自分が知っていることが全てだと思わない方がいいって。俺は土方さんが店に来る前から土方さんのことを知ってやした。俺が言ってた常連は、マヨを買っていく変な常連でさァ」

 そこまで言われれば疑いようがなかった。
 それはつまり、沖田が言っていた昔からの片想いっていうのは俺のことを言っているんだ。つまり俺は、失恋したわけでもフラれたわけでもなくてー…。

 一気に張っていた気が抜けおちて、がっくりと肩を落とす。嬉しいのと疲れが一気に押し寄せて両手で顔を覆って俯いた。耳が赤いと沖田が笑って茶化す。うるせえな!!

「俺の名前知ってたのかよ」
「知ってやした」
「どこで俺を見たんだ?」
「秘密でさァ」
「…お前、俺が告ろうとしたら止めたよな」
「あれ告白だったんですかィ? 気付きやせんでした」
「……」

 なんで俺はコイツに惚れたんだろうと、そう思う。
 全くもって手に負えない。愚痴は途切れることなく口から零れる。

「坂田が抱きついても平然としていたくせに」
「だからアレは旦那とのノリなんですって」
「それだ。坂田のこと旦那なんてまどろっこしい呼び方しやがるし」
「旦那は旦那でさァ」
「坂田のこと好きって普通に言うし」
「だからそれは、」
「ノリでもっ! …ノリでも嫌だろ、普通、そういうの」

 手に負えなくて意味分からないことなんて山ほどあるけど、それでもやっぱり俺はお前が好きで、今の状況がどうしようもなく嬉しい。時間が経つ度に実感が沸いて歓喜に体が震える。
 顔を伏せていて分からないが沖田が笑った気配がした。途端、

「わっ」

 どーんと沖田が飛びついてきた。突然のことで受け止められずびっくりしてガシャンとフェンスに凭れることになる。
 俺の首に腕を回した沖田。夜でも明るい髪色がすぐ隣にあって、数時間前じゃ考えられない状況に心臓がバクバクと跳ねる。聞こえてないよな、と照れながらちょいちょいと沖田の丸い頭をつついた。
 俺まだ返事聞いてないんだけど。そう促せば、体を離して沖田がにっこりと笑って特上の営業スマイルを浮かべて言う。

「お買い上げありがとうございます」

 茶化してんのかそう言う沖田が可笑しくて、つい噴き出してしまった。ああもうほんとコイツには敵わない。敵う術を俺は知らない。マヨを買いながら俺が本当に欲しいもの、分かってたのかよ?

「ついでに返品不可なんで、よろしくお願いしまさァ」
「誰がするかよ」

 綺麗に光ると思ったら雲のように掻き消えて俺を翻弄するひとつの光。
 一目惚れをして約4カ月ちょっと、漸く手に入れた温もりに冬の夜だっていうのに体が温かくて仕方がなかった。
 手に入れる前も入れた後も俺はお前に夢中だ。

 いい加減立ち上がって、放置していたゴミを沖田がゴミ入れにポイっと投げ入れると、あっと沖田が声を上げて肩越しにこっちを見た。

「お持ち帰りはダメですからねィ」
「ばっか! それは順番に段どりを踏んでからだなあ、」
「土方さん純情だー!」

 夜に沖田の笑い声が響いて、馬鹿にされていると分かって腹が立っても、その笑顔を見ているとトクンと高鳴る鼓動がひとつ。

 ああもうやっぱりお前はかわいい!!

 なんて、現金な俺は懲りないでそう思うわけだ。