い上げありがとうございます


 自動ドアが開けば軽快な音と共に扉が開く。
 いらっしゃいませーと気の抜けた声がどこからか聞こえてきて、商品の前出しでも行っていたのだろうか、棚向こうからひょいっと顔を出した沖田が俺の姿を見るなり口元にゆるく笑みを浮かべた。
 それに高鳴る胸はありながらも、前ほど素直に喜べず、俺は複雑な気分で足を進める。

 俺を翻弄する笑みを見ながら思い出すのはあの日のこと。俺が沖田に告白しようとした日のことだ。
 けれどそれは、苦い思い出と共に失敗に終わった。フラれたわけでもなく想いを告げる前に沖田が見事な爆弾発言を投下したからだ。
 俺も好きな人が居るんですよ、と。

 それ以降のことは、よく覚えていない。

「アンタもつくづく暇してるんですねィ」

 沖田が俺を見上げて呆れたような茶化すような声で言う。

「うるせぇ。偶然通りかかったんだ」

 俺は平然を装って嘘をつく。勿論偶然なんかじゃくて、沖田の言葉を聞いてからも俺は諦め悪くここに通っていた。惚れた弱みだ、沖田の姿を見ない日が続くと落ち着かなかった。
 ここに足を向ける度にコレばっかりは仕方がないんだと誰にとは言わず弁明を吐く。仕方がないんだ。かわいいものはかわいいし好きなものは好きだし譲れない、こればかりはしょうがない。呪文のように繰り返す。
 黙りこくって思案顔の俺を見て沖田が首を傾げた。「土方さん?」

「…ああ。なんでもない」

 教えた名前を不意に呼ばれてドキッとする。言葉を濁してそっぽを向けば、沖田がきょとんと大きな目を瞬かせた。
 あの一件を境に俺と沖田の距離は縮まった。店に来ても会計の時にしか沖田の声を聞かなかったのに、今じゃ顔見知りだと言わんばかりに「こんにちわ」と必ず声を掛けてくれる。現金なもので、俺はそれが嬉しかったりする。

 いつもは声を掛けた後すぐ作業に戻るのに、今日はのんびりとしているようだ。店内をぐるりと見渡した。

「今日は暇なのか?」

 沖田は肩を竦めた。

「昼過ぎですからねィ。ちょうど客足が途切れたぐらいでさァ」
「…にしても居なさすぎじゃねぇか? 潰れるんじゃねえよな」
「さァ。売上は店長しかしりやせんからねィ。そこまで切迫してないと思いやすけど」

 沖田はそこで言葉を切ってふと俺を見上げると、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「ここ潰れたらマヨを買う場所がなくなりやすもんねィ」
(違う。俺はお前に会うためにここに来ているんだ)

 そう言えるものなら言ってやりたい。

 俺たちの他に1人だけ居た立ち読み客が何も買わずに出て行った。すると店の中は俺と沖田だけになって、沖田に想いを寄せている俺としては、ちょっと、いやかなり気まずいシチュエーションだ。これ防犯カメラに映ってるんだよな…なんてことを考えてからはこっち、不自然にキョロキョロと視線を走らせてしまう。
 そうしているとそんな俺を沖田が不思議そうな顔をして大きな目でじっとこっちを見てくるから、たまったもんじゃなくて必死に視線を逸らす。
 逸らした先の店内の広告を見ながら、今日ここに来た目的を果たす為「よし」と腹を括った。下唇を湿らせて、チラリと沖田を見てから覚悟を決めて切り出す。

「えっとその、なんだ。よかったら今度飯でも食べに行かないか?」
「へ? 俺に言ってんですかィ?」
「ああ。ほら、この前のお礼ってゆーか」

 沖田はきょとんとしていた。俺にはその沈黙が辛い。
 青い目を2・3度瞬かせると「ああ」と妙に納得したようにひとつ頷く。そしてこう言う。

「そんなことしなくても、土方さんがゴミ捨て場に突っ込んだことは誰にも言いやせんぜ」

 だからその話題はもういいって…!!
 なんだ? お前の中の俺って一生“ゴミ箱に突っ込んだ臭い人“っていうレッテルを貼って生きてくのか?! もういっそソイツを殺してくれ!
 沖田は無邪気な顔をしているがこれはどう考えても俺への嫌がらせだ。じとりと睨めば、沖田が肩を竦めて笑う、その笑みが本当に嬉しそうで不意を突かれた。

「じゃあお言葉に甘えてゴチになりやす」
「あ、ああ」

 しまった、あてられた。
 自然と顔が熱くなるから見られないようにそっぽを向いてぶっきらぼうにそう返すのが精一杯だった。しかし約束を取り付けるのに成功して心の中で力強くガッツポーズを掲げる。
 沖田に好きな人がいると知ったが、本人は片想いだと言っていた。だったらまだ俺にもチャンスがあるはずだ。
 0%と諦めて尽きるにはまだ早い、少しでも可能性があるならそれに賭けたい、言い聞かせて奮い立たせる。俺は意外にも諦めが悪くて一途らしいと知ったのは、コイツに想いを寄せてからだ。

 よし、そうとなればさっさと約束を取り付けて日程を決めてしまおう。
 善は急げとそう思った時だった。

「あ、旦那だ」

 聞きなれた音がドアの開閉を知らせ、店内に人が入ってきた。
 振り返れば銀髪頭の男が気怠る気に歩いてくる。寝起きだろうか? 天パで髪先がくるくるとしている、俺よりも年上の男。
 誰だコイツ…と訝しむ俺の隣で、沖田が声を上げて男に駆け寄った。

「旦那ァ。こんな時間に来るなんて珍しいじゃねェですかィ」
「沖田くんの顔が見たかったからね」

 男はへらっとして沖田の頭を撫でた。
 聞いているこっちが恥ずかしくなるような歯の浮く台詞を言って、ギュッと沖田を抱きしめる。……イラッとしたのは言うまでもない。

(何なんだよコイツ…!!!)

 まるでそれが日常茶飯事当たり前とでも言うかのようにごく自然に交わされる光景に、呆然とした俺は我に帰るとヤカンみたいに沸騰した。
 腕の中にいる当の沖田は、旦那は面白いでさァなんて言って暢気なものだ。
 全然面白くねーよ!! っつーか誰だよソイツっ!!
 身の内で毛を逆立てて吠えまくると、銀髪の男もこっちに気付いたようで精気の感じられない目を向けてくる。銀髪の視線を追った沖田も「あ」と声を上げて放置プレイだった俺に気付いた。

「旦那。こっちは土方さんでさァ。土方さん、こっちは旦那」
「全然説明になってねーよ。俺坂田銀時っていうの。よろしく」
「土方十四郎だ」

 全く愛想のない声で言うと、坂田という男は不躾にじろじろと俺を見てくる。
 直感的に感じた。あ、なんかダメだ。コイツとはそりが合わない気がする。
 そう思ったのは俺だけじゃないようだ。坂田は俺の品定めが終えるともうそれ以上興味がないとばかりにぷいっと視線を逸らして、それが尚更俺を苛立たせる。ほんとなんなんだコイツ!!

「総一郎くん。俺のジャンプは?」
「総悟です。ちゃんと取ってありやすぜィ。もしかしてわざわざそれを取りに来たんで? どうせ後から高杉が持って行くのに」

 坂田と離れて沖田が苦笑を浮かべた。
 俺は、その時の沖田がどこか羨ましそうな顔をしているのに気付いた。何故そんな顔をするのかが不思議で、釘づけになる。
 坂田は続けた。

「ああ、ダメダメ。アイツ素直に渡してくれねーもん。託けて何かと要求してくるから今日は自分で取りに来たわけ」
「ンなこと言うと高杉が怒りやすぜ。恋人でしょうに」
「いいもーん。勝手に怒らせとけって。それに今日は銀ちゃん沖田くんに会いに来たの。俺総一郎くんも好きだよ」
「はは。俺も好きですぜィ」
「マジで。じゃあ両想いなわけだ」

 まるっきり置いてきぼりの俺ではあるが、その言葉を聞き逃すはずがなかった。
 目の前で繰り広げられている酔っ払いが女将に絡んでいるような茶番劇にぽかーんとしていたが、沖田の言葉に我に返る。
 慌てて沖田を見るが冗談で言っているのか本気で言っているのか判断がつかなかった。

(誰が誰を好きだって…?!)

 お、おいと上ずった声を上げる前に坂田が腕を伸ばしてガバッと沖田の肩を抱く。そしてこんなことを言うのだ。
 じゃあ俺たち付き合っちゃう? と。
 俺にとって、最も聞き逃せない言葉が坂田の口から零れた。

 はぁぁぁぁぁぁあああ?!!
 愕然とする中で、沖田が困ったように眉を下げてやんわりと坂田の腕を押し返す。

「ひどいなァ。旦那、俺の気持ち知ってるくせに」

 ……どうしよう。ものすごく意味ありげな言葉を言っている。

(これはもしかして…)

 困惑する俺の中に雷が落ちてひとつの仮説が浮き上がった。
 もしかしてこれは、三角関係ってやつじゃないだろうか。
 沖田は坂田が好きででも坂田は高杉(詳細不明)と付き合っていて、沖田は坂田に片想いをしているんじゃないだろうか。
 そう考えれば沖田の言動がピタリとハマる。坂田に高杉の話をする時のあの羨ましそうな横顔も、坂田のセクハラにも笑って付き合っているのも、ノリで言っているような好きって言葉も、全部本心から出ていているんじゃないだろうか。
 そして坂田は沖田の気持ちを知っている。でも応えてくれなかった。だから沖田は「俺の気持ちを知ってるくせに」と言ったのだ。
 だとしたら…。

「…なあ。アンタはこの店の常連なのか?」

 色のない言葉を漏らすと、沖田と坂田が揃って俺を見た。ぱちぱちと瞬きをして沖田が坂田を見ながら言う。

「そうですねィ。旦那は常連でさァ。付き合いも長いですぜ」
『俺も好きな人がいやすよ。常連で昔から絶賛片思い中なんでさァ』

 決定打だった。

(そういうことか)

 あの日、満面の笑みで好きな人が居ると言った沖田の笑顔を思い出す。
 突き付けられた現実が目の前に広がって真っ暗に塗りつぶされる。沖田は坂田が好きだ、解いてみれば耐え難い真実だった。

「…沖田悪い。誘った件また今度な」
「え? ちょ、ちょっと土方さん!」

 顔を伏せたまま坂田と沖田の横をすれ違って俺は店を出る。
 憂鬱な面持ちで空を見上げれば、どこまでも青い空が広がっていた。
 俺は失恋したんだと、認めるしかなかった。

 あの日沖田が好きな人が言って笑った笑顔は、はにかみにしては綺麗すぎた。その理由が漸く分かった気がしたんだ。
 あれは叶わないと知っての恋だった。分かっていても諦めきれず、沖田は友達として坂田と話せて触れられる現状に満足している。沖田がそれを幸せだと言って、笑顔で「好きな人が居る」と言うならば、俺にはもうどうしようもなかった。
 沖田は好きだが、沖田の幸せは壊したくない。

 綺麗事を並べても失恋という二文字は消えなくて、心臓をギュッと掴まれたような気がして、今なら死ねると、本気でそう思ったんだ。