ムーンスト


 平和と安全を掲げて働くと言ったってこっちはボランティアじゃねえ。
 井戸端会議よろしくおばさんの愚痴を聞かされるのも人が神経研ぎ澄まさせて目を光らせているっていうのになんでも知ったかぶったクソガキに「暇そうだなー」なんてナメられるのも、全部ぜんぶ仕事だ。

(仕事だから我慢しろってか…)

 ため息をつく。そう簡単に割りきれるものじゃないから腹だって立つしストレスだって溜まる現状。
 この職に就いてから知るものだ、世の中にはいろんな人間がいる、なんて。


「……それで? 今日は何をしでかしたんだ?」
「なーんもありやせん。ただちょーっと顔貸せって言われたんで、適当に遊んでただけでさァ」
「ほう。で? どんな遊び?」
「青春の殴り合いでさァ」
「違ェェェよ!! 喧嘩だろそれぇぇぇぇえええ!!!」

 交番の奥の小さな部屋で、机を引っぱたいて椅子を倒していきり立つ俺の怒声が空気という空気を震わせて反響する。俺ってこんなに大声出せんだな、なんて知らなくてもいいことを知ったのコイツと関わり出してからだ。
 所謂交番の中の取調室みたいな部屋に窓はひとつもなく、それなのに俺の声は壁を突き破ったのか驚いた犬がワンワンとけたたましく吠えて被害者並びに加害者の沖田も眉をしかめて両耳に指突っ込んで「煩ェなァ」と無言の視線で訴えてくる。
 誰のせいだ、誰の。
 ため息を吐くとどっと疲れが押し寄せて勘弁してくれとこっちが泣きたくなってきた。

 亜麻色の髪に青い瞳、チャラチャラとシルバーアクセサリーを付けてかなり目立つ外見だがこれでもれっきとした日本人で高校生だ。
 名前は沖田総悟。
 派手な外見とは裏腹に思ったよりも古風な名前には俺も最初驚いたが、かく言う俺も人のことが言えるたち(名前)じゃないから黙っている。
 口はよく回るが暴力で解決しようとするあたりコイツは頭が悪い。学生服を着ているが学校に行ってないのは明らかで、むしろこうやって交番に通う方が多いぐらいかもしれない。
 まったく何やってんだコイツと呆れたのは数知れず。新米だからかこうして常連並みに来る沖田の相手をさせられるのも専ら俺の役目で、まったく何やってんだ俺ってはなしだ。

「喧嘩相手は病院送り。一応向こうから先に手ェ出したから正当防衛ってことになったけど、それでもやり過ぎだろ」
「何言ってんですかィ。やり足りないぐらいでィ」
「…お前ね、ちょっと嘘でもいいから反省の色見せてみろよ」
「反省なんてしてたらこんなとこ二度と来てやせん」
「だよなぁ」

 変に自信満々な沖田に俺は呆れだか納得だかよくわからない息をついて感嘆する。
 これでも素行は随分よくなったらしい。前は喧嘩なんてものじゃ止まらなくて、傷害は勿論万引きに恐喝に揚げ句には強盗と手のつけられない少年だったとか(なんとか示談で済んだらしいが)。
 ったく、最近のガキっていうのは生き方が無茶苦茶で目が離せない。俺の時はもうちょっとマシだったぞ。

「…土方さん。やっぱ近藤さん呼ぶんですかィ?」
「ああ? ああ…仕方ねェだろう、引き取り人が来ねーと帰せないんだから。それが嫌なら問題起こすなって俺は何度も言ったぞ」
「だからさっきも言ったじゃねェですかィ。俺は仕掛けられた側で何も、」
「殴り返しただろう? 近藤さんに心配かけたくないんじゃなかったのか?」
「………」

 連絡はさっきしたからもうすぐ近藤さんが――沖田の引き取り人が来るはずだ。
 カリカリと書類に必要箇所を書きながらチラリと視線を向けると、パイプ椅子に座った向かいの沖田は目に見えてしょぼんとしている。こうして大人しくしていると可愛いもんだ。
 今の沖田に最も影響力のある人間、それが近藤さんだった。

 近藤さんは少し大柄で気さくな、小さな剣道場の師範代をやっている人だ。
 小さい頃は沖田も近藤さんの道場に通っていたらしい。
 聞けばその頃からの知り合いだそうで、かくいう俺も学生の時に剣道をかじっていてその時に近藤さんとは知り合っている。言わば共通の知り合いだ。
 近藤さんは本当に不思議な人で、俺も他の誰にも言えない悩みも近藤さん相手にはすんなりと言えてしまうから沖田が懐いているのもなんとなくわかる気がする。

 沖田が何か問題を起こした時、引き取り人が何故なんの血の繋がりもない近藤さんかというと、沖田の実親が迎えに来たのは最初のただの一度きりで後は全く取り合わないからだ。だからその頃まだ配属されていなかった俺も沖田の親の顔を拝んだことがなく、書類などの表面上の認識でしかない。
 母子家庭の上にどうやら母親と馬があっていないのは一目瞭然だった。家庭事情が複雑なのかもしれない。当人の苦しさなんて他人には分からない。だから一概に、コイツが全部悪いとも言えなくて。

(同情するべきじゃないんだろうな)

 可哀想だと思うのは間違っているのかもしれない。それでも書類から顔を上げてチラリと窺い見る沖田の横顔は確かにまだ子どもで、甘えたい年頃には違いなかった。

「沖田ァ」
「なんでィ」
「喧嘩なんざつまんねーことするぐらいなら、ここに来い」

 沖田はきょとんとしてから、次いで嫌そうに眉を寄せた。

「えー嫌でィ。サツばっかで息が詰まりまさァ。わざわざ監視されに来るなんて冗談じゃありやせんよ」
「監視じゃねーよ。話相手になってやるって言ってンだよ」

 言葉を飲み込むように沖田が黙った。そして大きくため息をつくとはあと机に突っ伏す。

「土方さん、アンタお人好しって言われやせん?」
「よく分かるな」
「苦労人の人相してやす」

 呆れたように言いながらも、その声色がどこか戸惑ったような焦ったような、それでいて一つまみの嬉しさが滲んでいるような気がしたのは気のせいだろうか。
 追求はせず、俺は見なかったことにして書類の作成に取りかかる。



 忙しさに忙殺される日々ではあるが、定期的に沖田は交番に引き摺られて、やっぱり俺が押し付けられる形で相手をしていた毎日。だがある日を境にパタリと来なくなった。
 見回りの時も誰も姿を見ていないようで、「最近見なくなったよなー」と居着いていた野良猫のように噂をする。あの頭の悪いワルガキがいきなり更正したとは思えない。引っ越しでもしたのかもな、というのが俺たち交番組の答えだった。
 俺ははたして沖田があの母親と美味くやっているのか気掛かりしたものの、引っ越したということは一緒に連れて行ってくれたのだろうと変に気に病むことはしなかった。心配したところで確かめる術はない。近藤さんに聞くのもなんだか憚れて、上手くいっているのだと信じて疑わず、青く晴れ渡った空を見上げてあの目を思い出し「よかったな」と呟いて微笑む。
 季節は秋になっていた。




 それから暫くして、俺は居なくなったはずの沖田に会った。
 けれどそれは沖田であって沖田ではなかった。

 沖田は記憶を失っていた。