ムーンダスト
土方は生まれて初めて、神というものに願った。どうか無事でいてくれと切に願う。
沖田が搬送されたと病院から連絡が入り、土方は急いでタクシーに飛び乗った。その距離をひどく長く感じる度に沖田の安否が気になった。
あれほど街に行くなと言っていたのに、沖田は街へと出向き、そして喧嘩に巻き込まれた。電話で病院側からそう言われ、沖田のことを問うがとにかく来てくれと様態については何も教えてくれなかった。
(覚悟しなければいけない状況だったら…)
何を考えても、もし、と最悪な考えしか思い浮かばず焦りばかりが募る。
土方は組んだ両手に額を付け頭を沈めた。なんでもいい、生きてさえいてくれればいい。
土方の頭の中では今いろんなことが流れていた。
死んだと思っていた沖田と対面した時、近藤さんは涙を流していた。
記憶を失くす前の沖田と今の沖田が別人だと言う俺に対して、総悟は総悟だと怒った近藤さんに殴られた。
土方は今、記憶があるなしに関わらず、沖田総悟という人間の心配をしていた。以前ではあれほど毛嫌いしていたというのに、その隔たりはいつの間にかなくなっている。土方自身がその事実に気付かないほど、土方は沖田を受け入れているのだ。
「沖田…」
土方は沖田の心配をする。
病室に飛び込んで唖然とし、居合わせた医者に引っ張り出されてきっかり15分経ってから土方は漸く沖田の病室に戻ってきた。慌てて飛び込んできた時の焦り様とは裏腹に、戻ってきた土方の顔は眉を顰めて呆れている。
医者に言われた。
何を言われたかと言えば、どんな躾をしているんだと説教を受けた。大の大人が、しかも警察官が、実の子どもでもない預かり子の、自分の意識の外で起こった喧嘩に対して説教を受けた。
どんなことを教えているんだ。喧嘩をするのもそうだが、三人相手に喧嘩をしてしかも怪我ひとつないというのはどういうことだ。空手や護身術でも習っているのか? 習ってない? じゃあどういう教育をしているんだ。しかもこんな時間にふらふらとしている。学校はどうした? サボりか? 目が届いていないんじゃないのか。
などなど思い出したらキリがない。
立て掛けてあったパイプ椅子を取り出してベッドの傍らに座り、土方はため息をついた。人の気など知らず眠る沖田を見やり、顔にかかった髪を避けてやる。くぅくぅと眠る沖田にやっと安堵の息が出た。
(何はともあれ、無事でよかった)
記憶を失くしても喧嘩のやり方は体が覚えていたのかもしれない。
バカのひとつ覚えみたいに喧嘩に強くてそれで病院に搬送されて、呼び出されたかと思って駆け付ければ暢気に眠っていやがって、ダメだと言ったのに勝手に街へと行って騒動は起こすし。
「ほんと、マイペースなやつだな」
おかげで俺は振り回されてばっかりだ。笑って、沖田、と名前を呼ぶ。
起きない。
ふと考えて、総悟、と再度名前を呼ぶ。
答えるようにパチリと青い目が覗いた。呼んだ土方が逆に驚く。
「沖田…?」
沖田は数度瞬き、土方を視界に入れた。その姿を認めるように何度か瞬き、土方さん、とその名を呼ぶ。
何故だろう、何年かぶりに名前を呼ばれたような気がして土方は戸惑った。
まだ寝ぼけている沖田の頭を撫でる。
「喧嘩したんだってな?」
「………」
「どうして俺の言うことを聞かなかった?」
「………」
沖田は何も言わなかった。土方とて怒っているわけではない。しかたないと土方は口角を緩めて、まあいいと息を吐く。
「今度は無茶をするなよ。仕掛けられても立ち向かうことはねぇ。逃げて巻いてやればいい。戦わずに勝つ方法だってある」
上体を起こした沖田は俯いて土方の言葉にただ頷いた。先ほどから黙ったままなのが気になったが、突然襲われてショックなのかもしれないと思えば、それも仕方がないことだ。全く記憶がないまま仕掛けられたのだ、驚かないほうが無理というものだろう。
「気分は悪くないか?」
「へィ」
「喧嘩したんだろう? 怖くなかったか」
「怖いも何も、青春の殴り合いでさァ。たいしたことありやせん」
「そうか。青春の殴り合いか。全く上手くない例えだな。まあ無事でよかったよ」
腕を組みそう言ったところで、ん? と土方は動きを止めた。そんなフレーズを以前聞いたことがあるような気がしたからだ。それに沖田の喋り方に妙な違和感を感じて、
「沖田?」
沖田を見れば俯いたまま肩を震わせていたから土方は焦った。恐怖を思い出して泣いているのかもしれないと思ったからだ。沖田、その名を呼び肩に手を掛けようとして、
「あーーー気持ち悪ィ! 優しい土方さんなんて気持ち悪いったらねェよ! ほら見てくだせェ、サブイボが出来てやすぜ! あー思い出しただけで寒気がしやす!」
無理無理無理と繰り返して突如笑いだした沖田に土方は唖然だ。沖田は泣いていたのではなく、笑いを堪えていたのだと知って、知ったからと言ってどうすることも出来ず、ただ口をポカンと開ける。沖田はネジが外れたようにケラケラと未だに笑っていた。
「沖田、お前…」
「まあお優しい土方さんには世話になりやしたし、笑うのは失礼ですかねィ」
「沖田、お前記憶が…?」
土方は信じられなかった。夢かと思った。かつて諦めたものがそこにある。
急展開すぎる事態についていけない土方を置いてきぼりに、背面に窓からの光を受け、沖田は敬礼をする。
「沖田総悟、只今戻りやしたー」
緊張感も感動も何もない、けれど一度は消えた存在がそこにある。
土方は手を伸ばしてその体を力強く抱きしめた。温かさにもう何も言えない。
冬の昼下がりの、優しい日差しが降り注ぐ。
もうすぐ春が来る。
「勝手に記憶失くしやがったと思えば急に記憶が戻るし、テメーはどこまで勝手なんだ」
「ごちゃごちゃ煩いですぜ。さっさと開けなせェ」
「命令するなって」
「開―けーてーわー何するのー!」
「廊下で騒ぐなッ! 近所の人に変な風に思われるだろッ!!」
「…土方さんのほうが煩ェですぜ」
こんなことなら前のほうがよかった。前のほうが大人しかった。可愛げがあった。
本心かどうか取れぬ独り事をぶつぶつと呟きながら土方は家のドアを開けた。ボストンバックを持った沖田がその隙間からするりと入る。
記憶を戻した沖田はそのまま検査入院をすることになって、本日退院した。
記憶が戻ったが以前の部屋は既に沖田の母親によって引き払われているから引き続き土方の部屋に住むことになる。
我が物顔で部屋へと入り冷蔵庫を開けてマヨばっかりだと叫んでいる沖田に土方はため息を吐かずにはいられなかった。元気で結構、しかし行動がアホすぎる。
寝室に入り土方は着変える。リビングに戻ってくると沖田がテーブルの上に置いてあった小鉢を持って眺めていた。
目敏いと土方は人知れずビクリとする。
「土方さん、この花どうしたんですかィ? 貰いモン?」
薄い紫と濃い紫が混じったカーネーションが珍しかったのだろう、くるくると回していろんな角度から見ていた。
「ちげーよ。お前の退院祝いだよ」
仕方なく土方は薄情する。
「えー俺どうせなら食べれるのが欲しかったんですけど。マヨ以外で」
「喧嘩売ってんのかテメー。俺は仕事に行ってくるから大人しくしておけ」
ぶっきらぼうにそう言って、土方は玄関へと歩いていく。
「土方さーん! この花の花言葉とかあるんですかィ?」
「テメーで調べろ」
背に向かって投げかけた問いかけの返事はひどく素っ気ないものだった。ガチャンと扉を開けてそのまま行ってしまう。
ちぇっと思いつつも先ほどの言葉にどこか照れくささが混ざっていたような気がして、沖田は本棚から事典を取り出すと鉢に刺さっていたネームタグの名前を探した。そしてそれはあった。
(だから気持ち悪ィって言ってんじゃねェか)
そう思いつつも、逆にこっちが照れくさくなってきて沖田はにやける口元を手で押さえた。ふいっと視線を逸らすと、ふとテーブルの上に財布を見つけた。土方の忘れものだ。
「仕方ねェ野郎だぜィ」
開いたまま本を置き、その財布を持って沖田は土方を追いかけた。
窓から入った日差しがそのページを照らす。花びらが光を受けて輝いた。
その花の名は、ムーンダスト。
花言葉は、永遠の幸福。
あなたに溢れんばかりの幸せがありますように。