※微妙にふたり恋の要素を引き摺ってます



 仕事が終わり家に戻ると、部屋から明かりが漏れていた。
 賑やかなテレビの音。玄関に脱ぎ捨てられたスポーツシューズ。リビングのドアを開けると一層強く飛び込んでくる光と音。
 ソファーに陣取りスナック菓子を頬張って寛いでいる男が、物音にくるりと顔だけをこっちに向けて「お帰りなせェ」と言う。
 それはこの部屋の合鍵を持つ唯一の人間。

「ただいま」

 その光景に土方は柔らかく笑った。


鍵をる人



 正月に土方は部屋の合鍵を総悟に渡した。
 総悟の性格を考えるとそれを使う可能性はかなり低いが、それでも勝ち気に見えて遠慮しがちな恋人のこと、何か形として特別だと言ってやりたかった。

 土方が総悟の隣に腰を下ろすと、ふたり分の重みでソファーがずっしりと沈む。
 土方はその横顔をじっと見つめた。
 見慣れた部屋に、見慣れた、けれど本来あるはずのないモノがある。
 己の領域を他人に荒らされるのは好きじゃない。
 そんな土方が他人に鍵を渡すというのは、それだけ本気だということだ。
 その決意を知ってか知らずか、意外にも総悟は時たま気が向いた猫のように合鍵を使って土方の部屋に遊びに来ていた。
 初めは幻かと思った光景も、今は徐々に慣れつつある。そのことが単純に嬉しい。

「何ニヤついているんでィ」

 じっと見ていたのがいけなかったのか、視線に気付いた総悟が横目でこっちを見て言った。けれど土方は表情を変えず「別に」と返して眺めることを止めない。
 テレビを見る総悟とそんな総悟を真横で見る土方。
 微妙な雰囲気に耐えかねて先に根を上げたのは総悟だった。ぴょんっとソファーから下りるとキッチンへと行ってしまう。
 見る対象がなくなって手持ちぶさたになった土方は総悟が読んでいたらしい漫画雑誌を手に取った。
 そんな時、テレビから聞き慣れた音楽が流れて土方はふと顔を上げる。見やると整髪剤のCMが流れていて、そこに見慣れない自分が映っていた。
 あー俺ってこんな風に映ってンだなあと他人事のように画面を見ていると、コップに飲み物を注いで総悟が戻ってきた。テレビ画面をちらりと見る。そしてこう言った。

「こういう時、同性って便利だなァって思いやす」
「ん?」

 ソファーに再度座るなり総悟はテーブルの上に広げたスナック菓子に手を伸ばして何でもないような声で続けた。

「だってこうしてアンタの部屋に来ても、男なら友達って言っちまえばスキャンダルにもなりやせんし、俺も気兼ねなく来れるってモンでさァ。どういう経緯で知り合ったとか、ちゃんとなんて言うか考えてんですぜ俺。偉ィだろ」
「…………」

 まさかそんな風に思っていたなんて考えもよらず、土方は唖然とする。
 俺はお前に恋人として鍵をやった。なのにテメーは友達と言い訳をしてここに来るのか。
 波風立たないやり方を考えれば、総悟の言い訳は賢いやり方だと分かる。が、しかし感情論としては別だ。どうしたって面白くない。
 隣から不穏な空気を感じて総悟が顔を向けると同時に土方がソファーから立ち上がった。そして窓辺へと行くと夜だというのにシャッと音を立ててカーテンを開ける。

「総悟。ちょっとこっちに来い」
「なんでィ」

 命令口調にムッとしたが不機嫌な声色に折れて渋々土方の立つ窓際へと近寄った。
 ら、いきなり腕を掴まれてバンッと窓に押し付けられた。背中にひんやりとしたガラスの冷たさを感じながらいきなりなんだと土方を睨み付けるが、土方は総悟の手首を窓ガラスに縫い付けたまま離さない。歳も容姿も大人なのに感情は子どものように素直だった。相手が怒っているのだとすぐに気付いて総悟の口がひくりと引き攣る。しかしあまりに唐突だ。訳が分からない状況に総悟が文句を言おうと口を開こうとすれば、いきなり唇で唇を塞がれた。突然すぎて目を白黒させる。しかも上手いとだけあってすぐに総悟は追い詰められる。声も息も理性も奪われる。与えられる熱に総悟は翻弄されっぱなしだ。

「な、にしやがる…」

 漸く解放されてみれば息も絶え絶えで、睨み付けたってなんの効果もありゃしない。
 器用に片方だけ目を細めて上機嫌そうに土方が笑う。
 耳元に口を近付けて甘く擽るように言った。

「俺のスキャンダルを狙っている奴が居るンなら、こうやって窓でヤりゃ撮りたい放題だな」

 その言葉に総悟はゾッとしてガラス越しに外を見る。けれど高くて暗い夜のこと、誰がどこに潜んでいるなんて分かるわけがなかった。逆を言えば眼下で光る無数の街の明かりにどれも見られているような気がして背筋に居嫌な汗が流れる。
 焦る総悟にはお構いなく土方は事を進めようとする。耳を甘噛みされて快楽に飲まれる一歩寸前、こんなところで冗談じゃないと、総悟は思うのだ。

(このエロ方…ッ!)

 心中で罵った瞬間土方の携帯がピリリっと音を立てた。
 それに一瞬気を取られた隙に総悟は土方の拘束から抜け出して「今日は帰りやすッ」と捨て台詞上等、鞄を掴むとドアを蹴破るように行ってしまう。

「チッ。今に見てろよ」

 逃げた魚の大きさに、土方は悔しげに舌打ちする。




 チャリンと鍵が鳴る。
 机にダラッと頭を伸せてコタツに埋もれた状態で総悟はぼんやりと掲げた鍵を眺めていた。
 正月に貰った土方の家の鍵。多分女であれば誰もが欲しがるだろう物。そんな物が己の手の中にあるのがたまらなく不思議で、総悟はふとゆるく息を吐いた。

「なんだかなァ」

 ゴロンと寝転がれば天井の蛍光灯が明々と光っていて総悟は目を眇める。
 いつもこの鍵を使う理由を考えていた。恋人だから鍵を持っているし気兼ねなく使うことが出来る、それが最もな理由だけれど、それは他人に軽々しく言える言葉ではない。
 それに鍵を使って部屋に入っても土方が居た例がないから、本当は使う機会だってないのだ。暇が出来れば土方から連絡が来るから、行くならそれからでいい。部屋に入っていつ帰ってくるのか分からない相手を待つのを有意義だとは言えないだろう。
 けれど何故か、総悟はついつい行ってしまう。
 居ないと分かっているのに足が自然とそっちに行ってしまう。
 マスコミが居た場合の答えも用意してだから大丈夫だと安心させて、食べる物がない、大きなテレビで映画を見たい等と適当な理由を付けては出向く足。
 居ないと分かっているのに行くまでに多少緊張して、ポケットに入れた鍵の存在に常に気を配って、鍵穴に差し込んだ瞬間カチャリと立てる解錠の音、部屋に入って人気のない部屋にどこかで落胆しつつそれでも嗅ぎ慣れたにおいがする空間にホッと息を吐く。

 はァとため息を吐いて総悟はテーブルの上に鍵を置いた。
 土方の行動どころか土方に関する物にまで翻弄されているのかと思うと、情けなくなってくる。鍵を持っているのはこっちなのに、土方に総悟という鍵を握られているような気がしてきてああもうほんと敵わない。
 総悟は上体を起こして机の上に置いてあった大きな封筒を手に取った。ポストに入っていたものだ。宛名もなく切手もなく直接入れたのだろう、差出人は土方で中には「見ろ」とだけ書かれた紙切れと一冊の雑誌が入っていた。
 雑誌はファッション誌で、特集で『トシ』のインタビューが組み込まれている。
 わざわざこんな物を送ってきて何がしたいんだと総悟は呆れ、しかしこんなことは初めてで総悟はゆっくりと雑誌を取り出すとページを捲った。
 記事にはこう書かれていた。


Q.いやー最近は寒いですね。この間は雪が降りましたし。
トシ「冬だから寒いのは当たり前だろう? っつーか時間がねぇんだから聞きたいことはさっさと聞きやがれ」

Q.(すごい強気…)じゃあ早速。彼女はいらっしゃいますか?
トシ「彼女?……彼女は、居ねーな」


「……なにカッコつけてんでィ」

 記事の横に、不敵な笑みを浮かべた土方の写真が載っていた。
 この言葉から彼女は居ないが彼氏が居るということを誰が想像するだろうか。誰も居やしない。
 雑誌の横には冷たい鍵が置いてある。コレを使う時、もし誰かにバレた場合の言い訳も考えている。しかしその反面、言い訳などせず堂々と本当のことを言えたらどんなに気持ちがいいだろうかと思う時もある。言うことが出来ない秘密ごと。
 一度ゆっくり目を伏せて、意識を雑誌に戻した。


Q.最近ホームパーティーが流行っていますが、トシは興味ありますか?
トシ「全く。そもそも自分の家に誰かを上がらせること自体好きじゃねえ。家族だろうと友達だろうと勝手に入られるのは嫌いだ」

Q.そうなんですか。家族もっていうのは意外ですね。じゃあ家族の方もトシの部屋の鍵は持っていないのですか?
トシ「ああ。マネージャーも持ってねえよ。そうだな、もし持っている奴が居れば」

Q.居れば?

 居れば。
 記事の横に椅子に足を組んで座って、口元に笑みを浮かべこっちをじっと見ている土方の写真がある。次の言葉は自然と視界に飛び込んできた。


「もし持っている奴が居れば、それは俺にとって大切な奴だと思ってくれていい」


「……キザ方…」

 総悟はそこで、やっと土方がこの雑誌をわざわざ送った意味が分かった。
 もしバレても男だったら友達だと言えばいいと言った総悟の言葉を、土方は根に持って雑誌でそれは違うと公言したのだ。
 総悟は呆然としつつ机の上の鍵を見つめた。
 ああどうしよう。なんでこうやることの規模がデカいんだ。こんな雑誌に、不特定多数の人が見る中で載せてしまえばもうあの言い訳は使えない。土方自身がそれを潰してしまった。
 土方の立場を案じての言い訳だったのに、と思うと、罵る言葉が幾つも浮かんでくる。
 畜生、だとか、馬鹿じゃねーの、だとか、傲慢、だとか、それから、それから。
 ああどうすればいい。怒りや呆れよりも嬉しさが勝つなんて。

 総悟はすくっと立ち上がるとコートを羽織り机の上に置いてあった鍵を掴んで外へと飛び出していった。駆け足で走りながら携帯を取り出すと土方に「部屋で待ってろ」と短いメールを送る。すぐに返信は来た。「来いよ」という3文字がなんとも挑戦的だ。
 ポケットの中に無造作に入れた鍵の存在に意識を向ける。冗談じゃない。鍵を持っているのもアンタの鍵を握っているのもこの俺だ。アンタに翻弄されるなんて真っ平御免、面と向かって宣戦布告、しっかりとそのことを突き付けてやる。
 総悟は白い息を吐きながら冬の夜を駆けた。
 駆けて駆けて辿り着いた先、堂々と鍵を使って入っていく。
 それは土方の大切な人だ。