監獄の中を馬で駆け抜け一分でも一秒でも早くアイツの元に行きたかったがそうはさせまいと影が立ちはだかり行く手を阻む。やはり簡単にはいかないらしい、馬を乗り捨て先程総悟に会う前に坂田から渡された木刀を構えた。

「退けェェェッ!」

 ほぼ勢いに近かった。声を上げて自分を奮い立たせて突っ込むと我武者羅に木刀を振り回す。
 はっきり言って俺に大した剣術はない。精々護身術程度か人知れず部屋で竹刀を振り回していた趣味程度のものだ。
 正直震えていた、影の持つ細身の刀がギラリと鈍く光る度に冷や汗がじわりと流れる。けれど立ち止まってもいられない、アイツが屋上に居る、居て俺を待っている。もう一度掴むまで怯んでなんかいられなかった。

 木刀を振り回しながら俺は総悟の姿を思い出していた。狐の面を被って影の仕事をする時、総悟はどんな風に敵と戦っていただろうか、と。
 身を屈め身長差を利用して攻撃する、喉元を突く、相手が仕掛けてきた瞬間体勢を低くくし足元を狙って薙ぎ払う。
 見よう見まねでやってみると、総悟と一緒に戦っているようなそんな錯覚を覚えた。まさかアイツの戦い方がこんな風に役立つなんて、あの時は思ってもいなかった。俺は総悟のことを全く覚えていなかった。苦笑する。それでも真似事が出来るほど俺は総悟を見ていたんだ。
 俺の剣術もわりと通用するみたいだ。我武者羅な戦い方だったが、息が切れて汗を拭う頃になるとあらかた片付けることが出来た。最中に依頼者の息子だと飛び交う声があったから俺に対して手荒くすることが出来なかったのかもしれない。
 ヨロリと体をふらつかせながら足を動かし駆けた。走って階段を上がり上へと急ぐ。
 2階には幸い誰も居ない――というかもうすでに伸びていた。多分先に乗り込んでいた坂田の仕業だ――、3階へと駆け上がり廊下を進む。と、いきなりガツンッと頭に衝撃を受けた。殴られたのだ、前のめりに倒れながら横目で見やると、柱の陰に奇妙な面を付けた影が長い棒を持って立っていた。
 カランと軽い音を立てて木刀が落ちる。強烈な痛さに思わず呻いた。意識が薄れかかったが叩き起こす。落ちかかる目蓋に力を入れて、こんな所で倒れていられるかッと吼えた。
 木刀を掴もうと手を伸ばす。けれど無情にもゆっくりと近付いてきた影にグイッと手の甲を踏まれて阻まれた。

「ぐっ、」
「全く手間をかけさせやがる」

 木刀を拾い上げた影は、俺を見下ろして吐き捨てた。ここで暫く寝ていな、そう言って影は木刀を構えると躊躇なく振り下ろす、

「なーんて」

 だが衝撃はいつまで経ってもやってこなかった。代わりに抜けたような間抜けな声が聞こえて顔を上げる。
 見上げた先には影ともうひとり銀髪の男が居た。相変わらず眠たそうなやる気のない目で影の後ろに立って、俺を見下ろしている。

「なっ、」
「はーい寝るのはお前だから」

 坂田の突然の登場に影は驚き後ろを振り向いた、と同時に坂田の足が影を投げ飛ばし昏倒させる。
 坂田はひとつ息をつくとあっけらかんとする俺を見下ろして小馬鹿にしたように口元を歪ませた。

「いい眺め」
「ンだとテメーッ!」

 立ち上がり容赦なく殴りかかる。痛みよりも怒りだ。コイツに笑われるのだけは勘弁ならねェ。
 しかしこんなヤツでも影には間違えなかった、俺の渾身の一撃を坂田はひらりときれいに避ける。

「おっと。おいおい助けてやった恩人にその態度はねーんじゃねーの」
「うるせーよ!こっちは助けろなんて頼んでねェッ」
「あーなんか損した気分。一生に一度のチャンスをみすみす逃した気分。銀さんショック。まあでも、ここで助けねェとアイツが可哀想だからなあ」

 床に落ちていた木刀をよいしょと拾い上げながら坂田がぼそりと呟いた。
 え?と瞬く俺に向かって木刀をヒュンッと鳴らして刃先を向ける。
 坂田は真面目な顔をして口端を釣り上げた。

「俺の相棒を取っちまったんだ。今度忘れたりなんかしたら俺が奪うからな」
「………」

 坂田が誰のことを指して言っているのかすぐにわかった。だから向けられた木刀をぶん取って風を斬って、坂田がやったみたいに刃先を向けるとやれるモンならやってみろよと俺も挑戦的に笑ってやる。

「忘れねーよ」

 絶対忘れねー、もう一度誓うと坂田は目を少しだけ細めた。そして満更でもなさそうにふっと笑う。

「俺やっぱお前嫌いだわ」
「奇遇だな。俺もだ」

 坂田は俺の肩をトンっと叩くと頭をぼりぼりと掻きながら気だる気に監獄を去っていった。横を通り抜ける際にアイツは屋上に居ると呟いて。
 その後、銀狼の名を聞くことはなかった。




 ガンッ!と乱暴に屋上のドアを開け放つ。肩で息を切らし、喉が渇いているのに気付いて唾を飲み込む。上下に激しく肩を揺らしながら見渡す中、見つけたのは亜麻色の、

「総悟ッ!」

 名を呼んで駆け寄って、手が届く距離になると手を伸ばして抱き締めた。ビクリと跳ねる体に構うことなく力を入れる。
 ようやっと掴めた体は想像していたよりも一回りほど小さく、しかし記憶の中よりもずっとずっと大きかった。喧嘩ばっかした俺の幼なじみ、失ったとばかり思っていた存在。
 でもまた掴むことが出来たんだと、取り戻せたと。言いようのない安堵と激情が込み上げてくる。つい力が入ってしまって、大人しく収まっていた体がもぞりと身じろいだ。
 体をくっつけたまま見下ろすと亜麻色の髪はぼさぼさだった。ずいぶん痛めつけられたらしい、体のいたるところがぼろぼろだ。そして俺もへとへと。こんなに疲れたのは久しぶりだった。(初めてかもしれない)
 そういえば昔、総悟と遊ぶにはいっつも全力だった。思えば今も同じだ。記憶がない時だって総悟に会ってからというもの、俺は何をするにも全力だった気がする。予告状の出た現場に乗り込んで追っかけて義理父に突っかかって暴れてここまでやってきた。必死すぎて自分でも呆れてしまう。たったひとりの為に。

「遅い」

 体を離すと総悟が俯いてぼそりとそう零した。屋上の風に掻き消されそうなほど小さな声だったが、相手との距離が近かったこともあり俺が聞き逃すことはなかった。土方コノヤローと何故か喧嘩腰で、ひとり舞いあがっていた俺は意味は図り損ねて首を傾げる。

「何が?」
「来るのが遅いって言ってるんでさァ」
「多目に見ろよ。これでもかっ飛ばして来たんだ」

 会っても再会の喜びひとつ見せない。それどころか文句ばかり言う、昔と何も変わっていない総悟に呆れを通り越して笑うしかなかった。
 本当に変わらない。容姿もそのままデッカくしたみたいだし勝気な性格もひんまがった根性も零れ落ちそうな大きな眼も俺を呼ぶ声も何もかも。どうして思い出さなかったのか不思議なぐらいだ。こんな強烈なヤツ、忘れようにも忘れられない。
 遅いと再度文句を垂れて、総悟は俺を見上げた。青い、どこまでも広がる青空を連想させる空色の瞳で俺を睨む。

「いったい何年待ったと思ってんでさァ。アンタがコロリと忘れちまうから、俺は振り回されてばっかりだ」

 恨めしく呟やかれた言葉にぴたりと息を飲む。そうだった。ついさっき思い出した俺と違って総悟はもうずっとこの世界にひとりで生きてきたのだ。
 会った時には影だった。しかもその世界で名が通るほど実績を持った影。舞うように人の命を奪い命のやり取りに何の感慨も見せない。どうして総悟が影になったのか影として生きてきたのか、俺は何も知らない。

「―――ごめん」

 謝罪の言葉は素直に飛び出してきた。もう手放さないから。心の中で固く誓ってもう一度抱き締める。
 耳元で「今度忘れたら針千本一気飲みしてもらいますから」なんて言う総悟の声に、全くコイツは変わらないと盛大に笑ってしまった。
 聞かせてほしい。いろんなことを、今までどうやって生きてきたのかを。それを全部聞く時間はこれから有り余るほどあるのだから。






「はーいここで止まってー。止まらないと斬っちまいやすよー」

 間の抜けた声に迫力なんて欠片もなかった。けれど両手を広げて体ごと行く手を阻まれてはたまらない。後ろばかりを気にしながら全力疾走をしていたソイツはうわッと短い声を上げてズテンとずっこけた。転んだところですかさず背中を踏みつけて空き巣を地面に縫い付けた総悟は、ニヤリと不気味に笑う。

「大人しくお縄に付きなせェ。俺が可愛がってやりますから」
「ヒィィィ」

 空き巣を追いかけてひたすら走ってきた俺はもう息も絶え絶えだった。追い付いてみれば総悟が空き巣に縄を掛けているところで(何故か慣れた手付きだ)、俺はがっくり肩を落とす。

「テメー、俺を囮に使いやがったな」
「おや土方さん、遅かったですねィ。そんなにチンタラチンタラ走ってたんじゃ日も暮れやすぜ。もっと早く走りなせェ。大気圏を突き抜けるぐらいに」
「燃え尽きるわァァァァァァァ!!」


 俺と総悟はあの後監獄から脱出して遠い土地まで逃げてきた。そこで偶然にも、死んだとばかり思っていた近藤さんと出会った。
 近藤さんはあの水害の直前にミツバの様態が悪化した為に隣町の医者の所に居て、難を逃れたらしい。俺は記憶を忘れていたし総悟も知る術がなかったから知らなかったが、近藤さんとミツバがあの水害で生き残った唯一の生存者だった。
 ばったり街中で会った近藤さんは、俺と総悟を見るなりぶわっとそれはもう滝のような涙を流し続けた。トシ、総悟、と代わり代わりに名前を呼び続けてよかった生きていたと涙声に言っていた。そんな姿にもらい泣きはしなかったがじんわりと胸に響くものも確かにあった。総悟もそれは同じで、困ったようなどこか居心地が悪そうな顔をしていた。
 村が沈んだ後ミツバと一緒に散々お前たちのことを探したんだぞ。
 茶屋に場所を移して近藤さんがポツリと零した言葉に姉ちゃんもこの町に居るんですかィ!と総悟は詰め寄った。泣きすぎて目元を真っ赤にした近藤さんはくしゃりと顔を歪ませて、フルフルと首を振った。
 ミツバは去年の秋に亡くなったよ。近藤さんの言葉に空色の目がまあるくなって色を失くす。俺も膝の上で拳を握りしめた。去年の秋と言えば1年ぐらい前だ。つい最近までミツバは生きていたのだ。知っていれば記憶があれば会うことが出来たんだ。無事を、生きているって伝えることが出来た。それは総悟も同じで会おうと思えば捜せば会うことが出来たのだと知って、呆然としている。
 ずっと捜してたんだけどな。近藤さんは優しげな顔で呟いた。

「ミツバが言ってたんだ。『もしそーちゃんに会ったら言ってあげてね』って」
「なんて…?」

 ぎゅっと拳を握りしめて恐る恐る問う総悟と俺を近藤さんは静かに見やって、ぎゅっと俺たちを抱きしめた。

「おかえりなさいってさ」

 何があっても泣かなかったのだという。もう涙なんてどっかいっちまったんですよ。あっけらかんとした声でそんなことを言っていた総悟が、その言葉にぽろぽろと涙を流した。嗚咽を交えながら息を詰まらせ、ごめんなさいと今は亡き姉にひたすら謝っている。
 俺の脳裏にはあの日の総悟の姿が浮かび上がっていた。あの雨の日もコイツは姉に花を摘んであげようとただそれだけに一生懸命だった。
 誰よりも総悟がミツバを大切にしていたのを知っている。俺も近藤さんの太くて逞しい腕に抱かれながら、ミツバが総悟に預けたただ一言にじんわりと目元をにじませた。


 行く宛もない俺たちに近藤さんは仕事を紹介してくれた。
 近藤さんは今この町で自警団のようなことをしているらしい。俺と総悟もそこに入ればいいと薦めてくれたのだ。
 今は俺も総悟も駆け出しで自警団といっても雑用みたいなことばかりやっているが、少しずつでも前に、新しい世界を進んでいる。
 昔よりも破天荒というか手に負えない総悟の言動に頭を痛める日々も多いが、それでも俺は俺なりに毎日を過ごしている。

「ちっ。なんでィ、俺たちはまだ取り調べもさせてくんねーのかよ」
「仕方ねェだろ。俺たちはまだひよっこなんだから」
「土方さんはもう一生ひよっこでいいですぜ。俺が足で使ってやりやすから」
「御免被る」

 俺も記憶を取り戻してから日もだいぶ経っているが、それでも総悟の口から発せられる俺の名前が心地よかったりする。
 空き巣を自警団の本部に送り届け引き続き町のパトロールに戻ると、思わぬ再会を果たした。
 道の向こうから見慣れた銀髪がゆっくりと頭をぼりぼりと掻きながら歩いてくるのが目に入ったのだ。あ、と口から漏らせばつい足も止まってしまった。隣の総悟も足を止めてゆっくりと瞬きを繰り返している。坂田もこっちに気付いて足を止めた。
 なあアレ、そう問いかける前に総悟は歩きだす。坂田も足を動かして、そしてそのまま総悟と坂田はすれ違った。一言も声を掛けることもなく視線を交わすこともなく、全く知らない他人のように横を通り抜けていく。
 俺の横も通りすぎて坂田は行ってしまった。駆け足で総悟に追いつくと、坂田が歩いてきた方向から眼鏡の少年と傘を持った少女が「銀さん」「銀ちゃん」と叫びながら走って行った。坂田を呼んでいるのは明らかで、なんだあれときょとんとする俺とは逆に、総悟が小さく噴いた。

「なんでィ。やっぱガキの相手してんじゃねーかよ」
「総悟?」
「なんでもないでさァ」

 総悟はけらけらと笑ってゆったりと歩きだした。
 俺はといえばどこか上機嫌そうに見える総悟に対して、少し不安だったりする。もしかして坂田と一緒にまた影に戻りたいんじゃないだろうか。そんな不安が付き纏う。今更影の生業がどうこう言うつもりもないが、総悟はそれなりに影の仕事にプライドを持っていたのだ。
 戻りたいか?素直に問うと総悟は足を止めてぱちぱちと空色の大きな瞳を瞬いて俺を見て、いいや、とはっきり言ってわらった。

「俺はもう覚悟決めたんで戻りませんよ。未練もないし」
「覚悟?」
「ヘタレと生きる覚悟ですよ」

 青空の下で吐かれた言葉に、不覚にも俺は思考を停止してしまう。
 この場合ヘタレとは誰だなんて問うのは愚問だった。間違いなく俺のことだ。
 照れ隠しのようになーんてなんて呟いてさっさと先へ行ってしまう亜麻色を追いかけた。追いかけて手首を掴んで振り向かせる。

「俺はもうガキの頃から馬鹿と付き合っていく覚悟を決めてんだよ」

 負け時と言えば馬鹿って誰でィと挑戦的に総悟は笑う。
 馬鹿は馬鹿だ。馬鹿でガキでどうしようもなくたいせつな。
 掴んだ手首を緩ませて下へとずらして手をつなぐ。気持ち悪いと笑う総悟を小突いてでも離さない振りほどかれない。覚悟なんてもう無意味に近いものだった。青空の下で俺は今日も取り戻した温かみを思い知る。何度切れても何度離れても何度だってこの手を掴む。空色の瞳と同じ青空の下で誓って、我ながら青くさいと笑ってしまった。



天落ちるるはそら

そら舞い上がって青

のちキミ