天落ちるるはそら。そら舞い上がって青
「暑い時って熱いモン食べたくなりやせんか?」
「は? 暑い時に熱いモン食べたら余計に熱くなるだろうが」
「何を当たり前のことを言ってるんでィ。そうじゃなくて、人間の心理的な話をしているんですよ」
「…。全くわからねー」
「夏に鍋を食べたくなったり冬にアイスを無性に食べたくなったりしやせん?」
「別に。俺は年中マヨがあったら何でもいいけどな」
「アンタに聞いた俺が間違ってたや」
この男とは"さよなら"をしたはずだった。その筈なのにどうして今も尚この崖の上でこうやって定期的に会っているのだろう、この男の考えも俺自身の考えすらわからない、わからないままいつの間にかコレが日課になりつつあった。
あの後、再会したあの日、俺は何故飛び降りるような真似をしたのか、それとなく悩みを聞いてやった。(あの日俺が結果的にアンタを助けてやったっていうのに、また飛び降りるようなことをされてはたまったもんじゃないから仕方なく、だ)
今の家族が本物ではないこと。
故郷も家族もぜんぶ水で流されてしまったこと。
義父に認められない、それが辛いということ。
よっぽど誰かにぶちまけったのかなんなのか、ソイツはペラペラと隠しもせず全部俺に悩みをぶちまけた。全く暫く会わない間に素直になったもんだと表情には出さず心の中でだけで感心する。
中でも"必要とされない"という苦しみは俺も一時期似たようなものを味わったからか、必要以上に親身になって聞いてしまった。何をそんなに真剣に聞いているんだか、自分でも呆れて心中で苦笑い。けれどふとソイツが漏らした言葉は頂けなかった。
『何を言われても何も感じなくなった。俺はもう死んでるみたいなモンだ』
真剣な顔で辛そうに迷った子どものように言う。急に笑い出したくなった。突然笑い出した俺をぼけっとした顔でソイツは見ている。一頻り笑って笑ってやっと落ち着いてあーあとひとつ息をつけば、途端に怒りが込み上げてきた。ふざけんな。心の中でそんな言葉が暴れている。俺はアンタの手を離してアンタを助けた、その後俺は確かに地獄を見た。何度死のうかと思ったかわからない。そして今俺は人の命を奪って生きている。けれどそれでも、村が沈むと知るまで辛い地獄の中でアンタが生きているならと、近藤さんや姉ちゃんと一緒に居て俺の分までふたりを助けているならと思うことで心の負担を減らしてきた。あの時手を離したことでアンタが助かったと知っているからだ。アンタが生きていると知っていたからこそ。
それなのに、それなのにアンタ自身が自分のことを死んでいるというのか。ならば俺がアンタが生きていると信じて心の支えにしてきた日々はなんだったのか。答えろ。人の気も知らないで。
衝動が暴れる。今すぐにでも罵倒して胸倉を掴んであの崖先で押し倒して問い詰めてやりたい。
けれど自制する。この男は何も覚えていないのだと。覚えていない、俺の知るあの男ではないのだから仕方ないじゃないかと。そっと拳を握り締めて衝動も叫びも怒りも納めようとする。
しかしそれがどう奴の目に映ったのか、背を向ける俺に「明日も来るか?」とソイツは声を投げてきた。そして俺は、否定をするでもなくただ手を振り返しただけで。どうしてそういう態度をとったのか、自分でもわからない。
それからだ。コイツとこうして会うようになったのは。
話をしても意気投合というより、大抵は食い違ったりすることのほうが多い。会話を楽しむというより彼にとっては誰かと共に居るということで寂しさを紛らわしているというかんじなのかもしれない。それともただ単に暇つぶしか。
ソイツがどう思ってどんな考えで俺と会っていたのかはわからなかった。記憶のことを一度尋ねたことがあったのが全く覚えていないというから俺のことを覚えているわけでもないだろう。
それなのにどうしてだろう。少なくとも俺はアンタと会うのが楽しみだった。話を交わして空気を共有して何度気付かされたことだろう、記憶があってもなくとも、アンタは昔とまったく変わっていなかった。
だからだ。
もう共に居てはダメだと気付いたのは。
このままこうして居れば俺はきっと多少なりとも情を彼に抱いてしまう。そうなれば根無し草の俺はこの町から出られなくなってきっと影の仕事も出来なくなる。
それだけはダメだ。俺が俺でなくなる。
だからまだ仕事が終わっていないと渋る旦那を説得して町を出ようと思ったのは。
アイツには何も告げずに出て行くはずだった。そのつもりだった。そのほうがいい、元々会う約束もせず同じ場所に居たから会話を交わしていた程度の認識なのだ。彼にとっては。だから出て行く。逃げるようで嫌だったが、それよりもこれ以上ここに居れば混乱してしまう。
それなのに。
アイツは。
俺を追ってきた。
予告状を出した場所に乗り込んできた。一歩間違えば殺されるかもしれないのに追ってきて俺の正体もバレて(バラして)、どうしてこんな場所に来たのかと問うと俺のことを知りたかったからだと言う。
馬鹿じゃねーの。そんなつまらない理由で命賭けて。それで本当に死んだらどうするんだ。救いようのない馬鹿だ。そんな、そんなくだらない理由で。
(俺はお前のことが知りたかったんだよッ)
本当に変わらない。
「アンタの名前教えてくだせーよ」
本当はアンタの名前をアンタの口から聞きたくなんてなかった。アンタが別人になってしまったのだと認めるようで嫌だった。だから今まで尋ねなかったのだけれど、ああもうコレは仕方ない。アンタの根性勝ちだ。
その口から出てくる似合わない名前は、やっぱり俺の中ではアンタとは似つかわなくてしっくりこない。
でも認めようと思った。
秋山蓮という人間を。今のアンタを認めようと思った。昔の俺の知っているあの男とは今度こそさよならを言おうと思った。
それがどういう因果か町を出ることによって別れる筈が、その男も着いてきた。
「俺も連れて行け」と強引に言ってきた時は心の底から呆れたものだ。さすが金持ちの下で過ごしてきただけある、少し我が儘癖が付いているのかもしれない。
旦那はアイツが俺の幼馴染のことも知っている。けれどそれについて俺にどうこう言ってくることはない。あくまでもそれは自分で考えて決めろという主体だ。旦那らしいが、こういう時は少しばかり助けてほしかったりする。ぐるぐるしたところで全くもって解決の糸口なんか見えやしない。そればかりか終始彼と行動を共にすることになって俺は何度も何度もアンタを昔のアンタと間違えそうになる。名前を呼びそうになる。その度に自制をかける度に、俺は追い詰められていく気がしていた。
秋山蓮という人間認めた筈だったが俺は俺が思っていた以上に貪欲な性格だったらしい。
アンタを違う人間なのだと受け入れようとしては昔のアンタと同じ部分を見つけては何故忘れたのだと言い寄りそうになる。俺を見て。昔みたいに気をかけて。沖田沖田呼ぶな、そんな呼び方じゃねーだろ。俺がアンタの名前を呼ばないだって? それはそうだ。だってアンタの名前はソレじゃない。それにアンタだって俺の名前を呼ばないくせに。
馬鹿みたいに自問自答する。まったく嫌になる。なんで俺はこんなに女々しいんだ。
限界だった。
しかもアンタは段々と記憶を取り戻しつつある。
素直になろう。怖かった。アンタに、あきやまれんじゃなくてアンタに人殺しをしているって知られるのも。
俺が秋山にソイツの身元を渡そうと思ったのも何も急に思い立ってのことじゃない。
アンタは無理にこっちの世界に来なくていいんだ。秋山の下なら金もあるし何不自由なく暮らせる。人生は金だ。それも俺が溝鼠みたいに生きて学んだこと。大丈夫ですよ、今をちょっと我慢してアンタが成長したら秋山を蹴り落としてアンタの思うようにすればいい。そうすれば秋山に認められない見てくれないなんてそんな悩み、しょうもないの一言で片付けられるようになる。
(だから本当のお別れをしやしょう)
アンタとも、秋山連とも。
金なんて別にどうでもよかった。あのがめつい秋山が素直に俺に金を渡すなんて思ってなかったし用心棒でも影でも何らかの対俺対策をしてくるのは目に見えていた。
けれど計算外だったのは、アンタが俺を思い出したこと。記憶を取り戻したこと。
逃げようと思えば簡単に逃げれた。でももうそれも無意味だった。
ああだって、アンタに沖田総悟が人殺しを生業にして生きているって知られてしまった。
なあ、昔無邪気にアンタと戯れて遊んでいた俺とはもう違うんですぜ?
アンタが知っている沖田総悟はもういないんだ。
拘束された中、傷ついた目をしていたアンタの顔が俺の頭から焼き付いて離れない。
元気があれば自分を自分で笑いものにしてやりたかった。本当に女々しくて嫌になる。ははっとわらう。
「俺ってこんなに弱かったのかねィ…」
「まったくだ。人が居ない間にこんな面倒なことをしやがって。おかげで俺のおやつの時間が無駄になっちまったじゃねーかよ」
「え?」
聞こえるはずのない声が聞こえてバッと勢いよく顔を上げる。見上げた先牢屋の向こうで、銀髪の男が面倒くさいと言わんばかりの顔でそこに居た。しかも銀狼の面まで持っている。何故旦那が?現状が飲み込めず瞬きを繰り返し呆然とする俺を見て、旦那は心の底からため息を付いた。
「たくよー、人が仕事で居ない間に勝手なことしやがって。だからテメーは周りを見ようとしない猪だって言うんだ。猪突猛進だっけ?頭弱いんだからひとりで突っ走ンなって言ってんだろ」
「旦那…」
「しかもあんな三流に捕まって逃げようともしねー。お縄にかかって抵抗しないなんてお前もしかしてM?Sと見せ掛けたMかよ。だったらSとしての俺は大歓迎だけど」
旦那はブツブツと小言を言いながら懐から鍵の束を出すと、それを鍵穴に差し込んで牢屋の扉を開けてしまった。ただただ声を出さずぽかーんと眺めている俺の側まで来てバサリと縄を切る。体はまだ痛くて仕方なかったが旦那の前でヘバっているわけにもいかない。壊れた玩具みたいにギギギと関節を軋ませて足を動かすと、立ち上がった瞬間ふらりとよろけたがそこは旦那が軽く手で支えてくれた。
「旦那がどうしてここに居るんです?」
渡してくれた予備の小刀を腰に差して再度問うと、旦那は軽く肩を竦めた。
「情報通な野郎が知り合いに居てな、お前がピンチだって教えてくれたんだよ」
「そりゃ手間をかけさせちまいやした。すいやせん、ちっとミスっちまって」
「よく言うぜ。最初から死ぬつもりじゃねーのかよ」
長い時間を共にした、俺の考えをすぐに見抜いてしまう旦那には何を言っても通用しなかった。何も言い返せなかった。さしずまるところその通りなのだ。諦めていた。もう死んでもいいと、本気で。
まいったなァと呟く声は自分でも頼りない、迷子の子供のような声だった。まいったのは俺の方だってーの。旦那はため息と一緒に小さくそう呟いて、俺の頭を優しく撫でた。
「総一郎くん、」
「総悟です」
「俺たちここで解散しよっか」
「え?」
柔らかく紡いだ旦那の言葉がよくわかなくて瞬きを繰り返す。何故?と口を開く前に旦那は言った。
「もうそろそろ俺もこの世界から手を引こうかなーとか考えてたんだよ。でもお前も居るしひとりにさせとくには危なっかしいし、保護者的立場に居た俺としてはいろいろ考えてたワケ。で、この騒動だろ?いい機会なんじゃねェのかって思ってな」
「旦那ァ、本気ですかィ?」
「俺はいつだって本気だっつーの。それに昼夜逆転の生活送ってたらケーキ屋も開いてねェし、甘党の銀さんとしてはそろそろ我慢の限界だしな」
だからお前も足を洗え。
ストレートに言われて頭が真っ白になる。
こうもおおっぴらに顔を見られたらもう仕事も出来ない、捕まった時点で俺たちの生業は終わりなのだ。そんなこと言われずとも百も承知、けれど俺はずっとこの仕事で生きていたのだ、今更他のことをして生きろと言われてもどうすればいいのか。
ぐるぐるぐるぐる迷う俺を見かねてか旦那がひとつ息を吐いて俺の頭をぽんぽんと叩いた。そして腕をぐいっと引く。
「旦那?」
「ちょっと来いよ」
手を引かれ転けないように支えられてひょこひょこと着いて行った先は監獄の屋上だった。見張りの影を全て昏倒させて旦那は縁のほうへ歩いてヒョイヒョイと手招きをする。
促されるまま屋上の縁まで歩いて眼下に目を向けた。
「総悟ッ!」
「ッ、」
覗き込んで見やった先、眼下に黒髪の男が馬に乗ってそこに居た。艶やかな茶色の毛並みを持つ馬の手綱を持ってソイツが白い息を吐きながら真っ直ぐにこっちを見ている。何故彼がここに居るのか、訳が分からずただ呆然と隣を仰ぎ見ると旦那は木刀を肩に乗せて馬鹿だよなーと言って笑った。
「馬を走らせて一睡もせずに駆け付けて来たらしいぜ。秋山の元に居りゃ何不自由なく暮らせただろうによ」
「そんな…。じゃあ俺がしたことはなんだっていうんですかィ」
「それはお前が最善だと思い込んでいたただのお節介だったってことだよ」
旦那はさも当然のようにそう言った。秋山の元に居るのはアイツの望んだことではなかったのだと。そして重ねて言う。
「お前はどうしてーの」
「え?」
「アイツと、」
下に居る彼を指差して、
「一緒に居たいんじゃねーのかよ」
「………」
「もーいい加減素直になってみ?多少なりでも我が儘で自分の気持ちに正直な方がガキらしいんだよ」
「旦那ァ。だから俺と解散するって言ったんですか」
旦那はガリガリと頭を掻いた。
「俺もお前みたいな可愛くないガキの面倒を見るのも疲れたの。せっかくお前を預けられそうな人間が出てきたんだからお前を押し付ける絶好の機会だろ」
どこまで本気なのかよくわからない声音でそう言う。多分半分本気で半分嘘なのだろう、無駄に旦那と共に時間を過ごしてきたわけではない。
旦那から眼下の彼に視線を移すと見下ろした先でその口が開いた。
「おい総悟ッ!そこの縄を斬れ!そうしねェとここの門が開かねェッ」
張り上げた声にソイツが指を差す方向を見やると、滑車を通り縄が縁の下へピンっと引っ張られていた。その縄は監獄の門に続いている。紐を緩めれば監獄を閉ざしている扉が地面へと倒れて監獄の入り口が開く仕組みだ。
俺の腰には旦那から渡された小刀がある。この門を開く術を持っている。
アイツは記憶を取り戻した。
幼なじみの沖田総悟が人殺しを生業としているのを知っている。
あのまま秋山の所で居れば光に満ちた未来が待っていた。
俺はアイツを裏切った。
なのに。
どうしてアンタがここに居るんですかィ?
一緒に居たいんじゃねーの?
いい加減素直になれよ
何もかも取っ払って簡単に単純に。単純に?
(俺は…)
旦那に言われた言葉を反芻しながら俺の名前を絶えず張り上げる彼の声を耳にしながらゆっくりと縄に近付いてすっと小刀を抜いた。
(俺は、)
「そーご」
「俺お前に名前呼んでもらったことねーんだけど」
「アンタだって俺の名前呼ばないくせに」
「いつも呼んでんじゃねーか」
「総悟ッ!」
「いい加減素直になれよ」
(俺は!)
一閃する。
斬る。
縄も空もめちゃくちゃに絡まった柵も何もかも斬って縁から身を乗り出して声のかぎり叫ぶ。
「早く助けに来やがれ土方ァァァァァ!!」
少し掠れた。けれど声になって空に還った声、やっと名前を呼んだ。
地面を震わせてドォンと門が開く。手綱を操って俺の叫びを聞いて土方がにやっと不敵に笑って言った。
「上等だッ!」
そう叫んで馬ごと門をくぐり監獄内に突入する。姿が見えなくなって俺は力が抜けてすとんと座り込んでしまう。よくやったと言わんばかりに旦那が頭を撫でてくれた。
さあもう逃げられない。土方は直にここへ来るだろう。覚悟を決めなければならない。逃げる覚悟ではない。俺は土方…いや秋山の未来を奪ってしまったのだ。
「旦那。俺、影抜けます」
「はいよ」
目を瞑って息を吸う。仰いだ空には青空がどこまでも広がっていた。決めよう。彼と生きる覚悟を。
吹っ切れた俺の瞳に映り込んできた空は、最高にきれいだった。