入れ換わったまま過ごし、ついに3日が経った。その日の夜、クタクタになった沖田が部屋で伸びていると、珍しく土方がやってきた。「飲みに行かないか」と顔を覗かせ、手でクイッと杯を傾ける仕草をする。この世界の土方ともっと話してみたいと、沖田は常々思っていた。断る理由もなく、コクリと頷くと沖田は土方と共に出掛けた。
「土方さんってこっちの俺とよく飲みに行くんですかィ?」
近くの居酒屋へ着き何品か頼むと、沖田はふと問うた。この世界の、土方と沖田の距離に沖田は興味があった。しかし土方の声色は相変わらず一定だ。土方はメニュー表を見ながら、いいや、と短く答える。
「ふたりっきりで、っていうのはねーな。複数でたまに、ぐらい」
「なんでですかィ?」
「端的に言えば、女だから。俺たちは気にしなくても、アイツ曰く周りの目が鬱陶しいんだってよ」
茶漬けが食いてぇとぼやきながら、土方はメニュー表を戻すと煙草に火を付けた。性別の違いは沖田が思っている以上にややこしいのかもしれない。沖田はお通しのつまみをパクリと食べた。
「アンタとここの俺って、仲悪ィんですかィ?」
土方がふうっと長く煙を吐き出し、頬杖をついてこっちを見る。銀色の髪の間から覗く目が、見透かすように真っすぐと沖田に突き刺さる。
「なんで?」
「いや、俺たちの関係とか空気と違うから・・・」
沖田は言葉を濁した。じゃあどういう関係かと聞かれて恋仲と答える恥ずかしさもあったが、この土方にそれを告げるのは何故か後ろめたい気がした。
しかし土方の言葉に、沖田は頭が真っ白になった。
「お前の世界じゃ、俺とお前は付き合ってるみてーだしな」
「え?!」
沖田は青い目を丸くした。思ってもいなかった言葉に、思考が止まる。言質を取ったとばかりに土方がニヤリと口角を上げた。沖田が焦る。
「な、なんで分かったんですかィ?」
「簡単だろ。お前が俺に向けてくる目は、ただの上司に向けるものとは違う。まあ俺っていうより、”土方"に向ける目なんだろうけど」
予想していなかった言葉に、沖田は恥ずかしそうに俯いた。唇をギュッと結び、瞳をうろうろと彷徨わせる。
沖田の様子に、土方が愉快そうに笑った。目元を緩ませ、愉しそうに沖田を見る。
「ほんと、お前は沖田だよ。アイツと一緒で、分かりやすい」
沖田は顔を上げた。耳まで赤くなっている自覚はあったが、どうしようもない。
「アンタはこっちの俺のこと、好きじゃねェの?」
何かしらの反応があるだろうという予想とは裏腹に、土方は目元を緩ませたまま優位な姿勢を崩さなかった。灰皿で煙草の灰をトントンっと落とすと、沖田から視線を外しどこか遠くを見る。土方の瞳は、とても深い。
「俺はな、沖田。アイツを女と思ったり、そういう対象として考えたことねぇんだわ」
「なんで?」
今度は沖田が問うた。土方がふっと笑う。
「アイツは戦いが好きなんだよ。だからアイツ自身、恋愛に興味がない。女だけでも厄介なのに、そんなもん抱いたら戦いには邪魔だって思ってやがる。難儀だが、本人がそんな努力してるのに、俺がその対象として見ちゃいけねぇだろ」
「はァ。そんなもんですかねェ」
「っていうのは建前で」
土方は横目で沖田を見ると、目を閉じてまるで歌うように言葉を重ねる。
「俺がうっかりアイツを好きになってみろ、どんな手を使っても離さない。刀なんて取り上げて、戦いから遠ざけて、囲って、子ども産ませて、一生俺の傍に居させる。でもそんなこと、アレは望まないだろ」
沖田はぱちくりと目を瞬く。だから俺は考えない、との土方の言葉に、まじまじと目の前の男を眺める。そしてだんだんと腹の底から笑いが込み上げてきた。仮面を身に付け本心をひた隠す無感情な男かと思えば、なんだ、ただの不器用な男じゃないか。
あはは、と沖田が笑うと、土方がどこか拗ねたような顔をする。沖田が知る土方もよくする照れた時の顔だ。
「やっぱり土方さんはどこいっても土方さんだ」
まったく違うと思っていた世界が実はよく似ていたのだと知って、沖田はそれが嬉しかった。目の前の男がひどく愛しく見えた。でもこの男の隣に居るべきは、自分じゃない。
「じゃあこっちの俺が先にアンタを好きになればいいってわけだ」
「おい。俺がいつアイツに惚れてるなんて言った?」
「違ェの?」
沖田が笑いながら問う。からかう声色が混じっていて、土方は鬱陶しそうにふんっと鼻を鳴らした。
「沖田のくせに俺をからかうなんて生意気だ」
手を伸ばして沖田の額をデコピンで弾く。結構痛い。けれどやっぱり胸を擽る温かさは残っていて、沖田はもう一度問うた。
「アンタ、こっちの俺のこと好きだろ」
土方は沖田を一瞥して、立ち向かうように笑う。
「さぁな。俺の心は俺のモンだ。部外者なんかに教えてたまるかよ」
「部外者ねェ」
沖田は不器用な彼らを見ながら、目元を緩ませた。どうやらどの世界でも、土方と沖田の仲はいろんな意味で厄介らしい。それを少しくすぐったく感じながら、沖田はもうひとりの土方に会いたくて仕方がなかった。
土方がふと部屋の前を通りかかると、襖が開けっ放しになっていた。部屋の真ん中で沖田が体を丸めてくぅくぅと寝息を立てている。
土方はふっと息をつき部屋へ入ると、押し入れから掛け布団を取り出した。入れ換わって3日が経過したが、まだ沖田は元に戻っていない。慣れない環境で疲れているんだろうと、土方は男より細身の体に布団を掛ける。
土方は枕元にストンと座ると、沖田の寝顔を眺めた。目を閉じると途端に幼くなる顔は、土方の知る沖田と同じだ。
寝顔を眺めていると、土方の手が持ちあがってその頭を撫でようとしていた。全くの無意識だった。ハッと我に返り、土方は手を引っ込めると頭を掻いた。
「何やってんだ、俺は」
ため息を吐くと、いそいそと立ち上がり部屋を出て行く。その背に、声が掛った。
「触らないの?」
振り向くと、沖田がジッとこっちを見ていた。土方はバツが悪い顔をして、戻ってくる。すとんと沖田の前に座り直すと、悪かったと謝罪した。沖田は目をぱちぱちと瞬いて不思議そうな顔をすると、上体を起こした。
「なんで謝るの?」
「触ろうとしただろ。悪かった。こっちの沖田とつい間違えちまったんだ」
「土方さんとこっちのあたしは、恋人同士だもんね」
沖田の抑揚のない言葉に、土方は息を止めた。ジッと沖田を見つめると、違った? と沖田が首を傾げる。
「なんでそう思うんだ?」
「だって土方さん、いつもあたしに手を伸ばそうとするじゃない。それにあたしが知ってる土方さんとは違う目であたしを見るから、多分そうなんじゃないかなって。どっちも癖なんだろうね、それ」
バレていないと思っていたことが筒抜けで、土方が拗ねた顔をした。沖田はなんとなく、これは照れているのかもしれないと分かるようになってきた。
「お前らはどうなんだよ」
拗ねきった土方が話題を変えてきた。どっしりと構えて胡坐を掻く。
「どうって、ただの上司と部下」
「そうかよ」
「なに? 残念?」
土方の声色は、どこか残念がっている節があった。自分たちがそうだから、別の世界も同じ関係なのだと思っていたらしい。暢気な人だなぁと沖田は思った。
自分の膝をとんとんっと指で叩いて、土方は少し言い辛そうに問う。
「他に好きな人、居るの?」
土方が恋愛話を持ちかけてくるのはとても不思議な感覚だった。
「居ないよ。それはあたしには要らない感情なの」
「要らないって、お前・・・」
「だって戦いには邪魔でしょう?」
さも当然とばかりに言われて、土方は言葉に詰まった。沖田は膝を抱えると、はぁと息をつく。
「あたしも男が良かった。男だったら、ずっと戦っていけるじゃない。勿論ずっと戦っていくつもりだけど、やっぱり体力とか力とか、男の人とは違うし」
「・・・戦い以外の生き方もあるだろう?」
「ないよ」
どうしてそんなことを聞くの? と言わんばかりの顔で、沖田は不思議そうに土方を見た。ぱちぱちと瞬くその目があまりにも純粋で、土方は愕然とした。
もしかしたらこの沖田も向こうの自分と繋がっていて、しかも女だから家庭を作るのかもしれないと抱いていた淡い期待が崩れた瞬間だった。この沖田は真っ白だ。純粋で無垢で、それ以外の世界を知らないとばかりに、戦いしか知らない。
「どうしてそんなに固執するんだ」
戦う以外にも道はあるだろうと言いたかった。女に生まれたからには、女の幸せもあるだろうって。けれど沖田は、そんな土方の言葉吹き飛ばすようにまっすぐと土方を見て言った。
「それが、土方さんが教えてくれた道だからだよ」
優しく沖田が笑った。あの人が教えてくれたものなんだと、沖田は嬉しそうに笑う。
「近藤さんや土方さん、真選組のみんなと歩いていける道を教えてくれたの。そうすればみんなと一緒に居られる。だから大切なの。戦うことは、あたしの幸せなんだ」
あまりにも澄んだ声に、土方は目の前に居るのが沖田だと痛感した。真っすぐと、こっちが驚くほど無邪気に追いかけてくる。昔から一直線に走ってきて、必死で、寂しがり屋で隣に居たがる。それは土方が想う沖田の愛しい部分だった。そうか、と呟き、土方は顔を伏せた。自分が情けない顔をしている自覚があった。
「かわいいよ、お前」
「なに? 土方さんもしかして口説いてる?」
「ばーか。お前はアイツじゃないだろ」
沖田はますます笑みを深くした。
ここの沖田と土方は恋仲だ。互いを想いあっている。そこに別世界の沖田とはいえ、女の沖田が転がり込んできたのだ。全く同じではなくても根本的なところはきっと同じだ。もしかしたら手を出してくるかもな、と沖田は心の隅で思っていた。その時はどんな罪になっても殺してやろうと思っていた。きっとこっちの沖田も同じことをするだろう。
でも土方は、手を出すどころか一切触れなかった。癖で何度も伸ばした手を慌てて引っ込める。その不器用さは、やっぱり土方に違いがなかった。
「土方さん、あたしに触らなかったよね」
沖田の言葉に、土方が顔を上げる。当たり前だろ、と苦虫を噛み潰したような顔をする。
土方がどっちの沖田も大切にしているのだと知って、沖田はそれがとても嬉しかった。胸を擽る温かな感情のまま、沖田はふわりと笑った。
「ありがとう土方さん。あたしたちを裏切らないでくれて」
きょとんとした後拗ねた顔をする黒髪の男を見て、沖田は声を上げて笑った。もう一人の土方に、無性に会いたくて仕方がなかった。
町が寝静まった夜更け、沖田は部屋から抜け出し洗面所へと向かった。明かりを付けると、鏡の前に立つ。見慣れた顔を沖田はじっと見つめた。
――ここはとても過ごしやすい。土方との関係はただの仕事仲間で、何の感情にも惑わされることなく戦いに身を投じることが出来る。単純に目の前の敵を倒すことだけを考えていればいいのだから、それはきっと簡潔だ。でもこの身は、戦い以外の感情を知ってしまっている。腕の中の温かさや声の柔らかさを知っている。それをゼロにするのは、とても辛い。伸ばされる手を掴みたい。ここはとても過ごしやすい。けれど。
沖田は左手で鏡に触れた。
――ここはとても居心地がいい。土方や他の隊士たちも戦いにガツガツしていなくて、どこか余裕がある。みんなで馬鹿やって笑いあえば、戦い以外の道も見えてくるかもしれない。土方は甘くて優しいから、きっと簡単に別の道を見つけてしまうだろう。でもこの身は、戦いで守れるものを知っている。守りたいと思うものがある。それは大切な人がくれた道で、その期待を、伸ばされた手を、裏切りたくない。ここはとても居心地がいい。けれど。
沖田は右手で鏡に触れた。
コツンと額を鏡に付けて、沖田はたったひとつを願った。
「「それでもやっぱり、俺は、あたしは、アンタの傍がいい」」
沖田はガバッと跳ね起きると、ドタバタと屯所の廊下を走って副長室へと向かった。まだ鶏が鳴いていないが、それどころではない。戻ってきたという漠然とした思いが、沖田を囃し立てた。
バンッ!
乱暴に襖を開けると、徹夜明けか煙草を山盛りに書類と格闘していた顔が不機嫌そうに持ちあがった。誰だと射殺しそうな目はしかし、沖田の姿を見ると呆然とした顔になる。沖田はそれを、何かを探るようにじっと眺めた。
土方は暫く呆然としていたが、我に返ると「戻ってきたのか」とひとつ息をついた。
「こっちに女の俺が来やしたか?」
「ああ来たぜ」
ふうんと沖田が答える。沖田があまりにも見るものだから、土方は居心地が悪くなってまた不機嫌な顔になった。「なんだよ」と少し怒ったように問うと、沖田がニッと嫌な笑みを浮かべた。
「土方さん浮気しやしたか?」
「はぁ? ンなわけねーだろ」
「ですよね。ちょっと安心しやした」
沖田の素直な言葉に、土方は面食らった顔をした。視線を逸らし頭を掻くと、沖田に向かって恥ずかしそうに両手を広げる。
「何でィ?」
それが何を意味するのか分かっているが、沖田は分からないフリをする。拗ねた顔をして土方が言った。
「何って、ハグだよ。ほら、再会のハグとか言うだろ」
「抱擁って言いなせェ」
「ハァ?! テメッ!」
「はは、土方さんはロマンチストでいけねェや」
沖田は笑った。久しぶりのやり取りに、全身が跳ねるような嬉しさに満ちている。まあたまにはと言い訳を吐いて、沖田は土方の腕の中へと飛び込んだ。慣れた感触やにおい、温かさが途端に体へ染み渡る。
「おかえり」
やっと帰ってきた愛し子を腕の中に閉じ込め告げると、沖田が照れくさそうに笑った。
「ただいま」
沖田は閉じられた襖の前で佇んでいた。戻ってきたのだという漠然とした思いを抱いているが、もし副長室に居るのが黒髪の土方だったらどうしようと襖を開けられないでいる。
(嫌だなぁ。あたしいつからこんなに弱くなっちゃったんだろう)
沖田が拗ねていると、目の前の襖がスパンッと勢い良く開いた。驚いたのは沖田の方だ。顔を覗かせたのは沖田のよく知る銀髪で、ああちゃんと帰ってきたんだと、沖田は安堵の息を零した。
「土方さん。あたしね、別世界の土方さんに会ってきたよ」
「あっそう」
「あっちの土方さんね、天パじゃなくて髪がストレートで、カッコよかった」
「・・・そうかよ」
土方はジッと沖田を見て、はぁっとため息を吐き出した。せっかく帰ってきたのに、いつになく不機嫌そうだ。沖田は不思議そうな顔で土方を見る。朝が早いからまだ眠たいのかもしれない。
「こっちにも別世界のあたしが来た?」
「来た来た。永倉がお前どこやったって吠えてたぜ」
「土方さんはどう思った?」
沖田は自分より背が高い土方を、ジッと見上げた。まっすぐとした目で、変に言葉を誤魔化さないで、ストレートに問う。
「あたし、男のほうがよかった?」
「・・・・・・」
土方は沖田の視線を受け止めると、手を持ち上げて沖田の頭をぐちゃぐちゃと掻き混ぜた。乱暴で、大きな手の平だ。ちょっと煙草臭い。
「馬鹿言ってんじゃねーよ。俺の知ってる沖田はお前だけだ」
触れてくる手の温かさと土方の言葉に、沖田は口元が緩んだ。ニッと口角を持ち上げると、顔を上げて土方を覗き込む。目に見えて嬉しそうだ。
「土方さん、あたし仕事に行ってくる!」
永倉ぁ、とまるで犬を呼ぶように声を投げる沖田に、土方は笑った。全く、ウチの姫さまは健気でいけない。
「ああ、そうだ。言い忘れていた」
土方は沖田を呼びとめると、やっと帰ってきた愛し子に言葉を投げた。
「おかえり」
沖田は晴れやかに笑う。
「ただいま」