雪の花、雪の傷痕


アンタのこと、嫌いじゃなかった。


 現実はいつだって残酷でシビアでそれがすべてで。瞼を持ち上げると見慣れた天井と上布団を掛けられていて、今度こそこれが現実なんだと知って明らかな落胆と喪失感を覚える。
 ゆっくりと体を起こすとまだじんわりと腹に痛みが残っていた。本当に力任せだと少し恨めしく思うが、暴走したのは俺だから文句を言うことは出来ない。近藤さんは昔から俺たちの止め方を本能的に理解している。気を失う前の衝動を思い出して馬鹿なことをしたと溜息を吐いた。前髪を掻き上げる。山崎にも悪いことをした、受身も取れていなかったからさぞかし痛かったことだろう。


「トシ、起きたか?」
「近藤さん…」
「そのままでいいから俺の部屋に来てくれ」


 障子を開けて顔を覗かせた近藤さんはそれだけ言って、先に行ってしまった。黙って後を着いて行く俺はただの大きなガキのようで、その俺の後ろを、ガキのあいつが着いて来ているような錯覚を覚える。一瞬ここが武州の古道場のようにも思えた。ほんの、一瞬だったけれど。どうやら俺はまだ夢から醒めきっていないらしい。どこかで総悟の姿を探す俺を、容赦なく冬の寒さが嘲笑う。髪をまた掻き上げた。


「調べてみたが、これは本当に総悟の刀だったよ」
「…ああ、知ってる。そんなの見りゃ分かるって。ほんとは分かってたよ」
「トシ、」
「分かんねーわけないだろ。どんだけその刀に命狙われて来たと思ってんだよ」


 俯いて、向かい合った近藤さんと俺の間に置かれた刀を見て軽く笑うはずが震えないようにするのが精一杯だった。刀の鍔や鞘をそっと撫でると無機質なはずなのに何故か温かくかんじて急に懐かしくなって泣きそうになって最悪だった。なんて情けない様なんだろう。感情を上手くコントールすることが出来ない。下唇を強く噛んで必死に声が漏れないようにするが、どうやら壊れてしまったらしい、耐え切れなかった涙がひとつ頬を伝って落ちて、吸い込まれるように刀に降った。ひとつ落ちれば後はもう無理だ、止めることなく流れ落ちる。

(――ほんとは知ってた)

 総悟がもうこの世界に居なくなったんじゃないかって毎日考えていた。不安でたまらなかった。だから――俺はずっと、信じてたんだ。ひたすらに、総悟の手紙に書かれていた言葉を、帰ってくるというその言葉を信じてた。
 今まで以上に必死に近藤さんを守って真選組を守って、アイツがいつ帰ってきてもいいように帰ってこれるように、躍起になってこの場所を俺は守ろうとしていたんだ。そうすれば総悟がいつか帰ってくる気がして。


「…ばかやろう…」


 なんで刀なんて送って来たのだろう。これを送ってさえ来なければ俺はきっと総悟の言葉を疑うことはなかった。これさえなければ俺は淡い期待を抱えたまま生きていけた。それが偽りだろうとまやかしだろうとなんでもよかった、いつも通りの元気な姿で帰って来て相変わらず生意気で俺を茶化して笑う、俺を呼ぶ、そんな未来の総悟を思い描くことももう許されなくなってしまった。あの時はこうだったこの時はああだった、そんな風に過去に姿を見出すことしか出来ない。過去に埋もれて消えてしまう。

 鞘を力いっぱい握り締めて片方の手を膝の上でぎゅっと握る、漏れる嗚咽を耐える。近藤さんは俺が眠っている間に散々泣き濡らしたようだった、うさぎのように目が赤くて腫れている。きっと俺もあんな風になるだろう。ぼたぼたと畳みに落ちる涙は止まりそうになかった。
 そんな俺を見て、近藤さんはすっと鼻を啜り少し迷って、実はな、と切り出した。

「総悟が俺宛に置いていった文にはな、多分もう帰って来れないかもって書いてたんだよ。医者に宣告された、手遅れだってな」
「―――え。な、なんだよ、それ…。だって俺のやつには帰って来るって、帰ったら副長の座奪うから待ってろって、」
「トシには待っててほしかったんじゃないのか?」

 近藤さんは優しく笑った。

「アイツ、素直じゃないからなぁ」
『待っててください』
「、」


 その言葉に促されるように顔を上げると、どこか苦しそうに泣きそうに、けれど愛しい子どもを想う父親のように優しげに微笑む近藤さんの顔があった。その顔を見ているとプライドも何もかもがどろどろに溶けて堰を切ったように込み上げてきた。激情が止まらない。また俯いた。

「待っててほしかったんだよ」
「――――」
「だから刀だけ帰したんじゃないのか。な。総悟は帰って来たじゃないか」
「―――くぅッ、」

 嗚咽なんてどうでもいい。誰に聞こえたっていい。子どものように嗚咽を漏らして声を上げて泣いた。顔は上げられない、刀を握り締めたまま尽きない思い出が浮かんでは弾けて込み上げて溢れ出してくる。力を入れすぎてカタカタと刀がないた。
 俺の様を笑っているのだろうか。屯所に帰ってこれて喜んでいるのだろうか。それとも悔しくてコイツも泣いているのだろうか。総悟だって帰りたかったに違いない。悔しかったに違いない。だって俺や近藤さんとおんなじぐらいここが好きだった。

「雪は嫌いだ。だってアイツの姿が見えなくなる」
「トシ…」
「消えてなくなる…ッ」
「――俺たちがその場所を、覚えておいてやればいいじゃないか」

 近藤さんもいつの間にか泣いていて、こっちを向いて腫れた目で無理に笑みを作ろうとして失敗して、歪んだ顔でぎこちなく笑う。

「お前は総悟がサボっても一番に見つけてたじゃないか。総悟を見つけるの得意だろ。総悟が居た場所、ちゃんと覚えててやろう」
「…うん」

 総悟の刀を持ち上げて胸に仕舞うように握り締めた。ずっしりとした重量感を感じた、確かに、確かに総悟の刀はここにある。天邪鬼の癖にさいごのさいごはしっかりと約束を守って帰ってきた。
 ああでもやっぱり、どんな姿でもよかった、お前自身に帰って来てほしかった。
 そう思うとまた泣けてきた。







真選組のこと、よろしく頼みます。


 二度と叶わない夢になった。
 総悟のことは隊士の全員に報告し、葬式を上げるにしても総悟自身がいないのだから隊服に身を包み隊士全員で黙祷を捧げるだけで済ました。総悟はしんみりするのが嫌いだからそういうのは止そう、との誰かの言葉にみんなが賛同し、以前と変わらない明るさと賑やかさで真選組は今も尚動いている。けれどそれは見た目上で、裏ではこっそり嘆いているのを誰彼知っていながら口にはしない。総悟の為に、みんなが口を揃えてそう言う。ここにもひとつ、総悟の足跡があったと俺は感じた。総悟は確かにここに居て、みんなから愛されて仲間として家族として、ここに居たのだ。
 俺も変わらない日常を送っているが、ふとした瞬間、総悟が居た足跡を探している。俺が見ようとしていなかっただけで総悟の足跡はいろんな場所にあった。見回りの最中に立ち寄ることが多かった団子屋や駄菓子の婆さんは次はいつ来るのかと待っている。アレでも子どもとはよく遊んでいたようで、俺が仕事サボってガキと遊ぶ総悟を連れ戻しに来るからだろう、広場で遊んでいたガキたちは俺の顔を見るなり兄ちゃんは?と口を揃えて期待の目を向けてきた。交友関係は広かったようだ、思いがけないところで総悟の名を出されて驚く。
 いろんな場所に総悟の足跡は、生きた証は、散らばっていた。それを見つけては嬉しさと悲しさを一緒に仕舞いこむ。



「生き残れ」



 俺たちの戦いは銃器を捨て刀に戻った。そう、刀を奪われた俺達は近藤さんの手によってまた刀を掴むことが出来たのだ。だからこいつで戦うことに意味があるのだと、やっと俺は目を覚ました。死と隣合わせの戦場に戻ってきて、総悟のいない心許なさにどれだけアイツの腕に頼っていたのかを知る。ここにもひとつ、また足跡があった。

 総悟の刀は俺の腰に差してある。総悟は近藤さんの傍に居たいだろうからと言えば、トシと総悟が俺を守ってくれるのだろう、と総悟の刀を渡された。これからもふたりで俺と真選組を守ってくれ。そう言われては受け取るしかなかった。お前は不服かもしれないけれど、頼むから俺と一緒に戦ってくれ。そしてみんなを守ろう。


「副長ッ!」
「ッ、」

 呼ばれてハッと我に返れば、敵が俺に刀を向けた瞬間だった。けれど振り上げたそれで斬られることなく、ソイツの体は地面へぐしゃりと沈んだ。俺ではない。ふと見やれば一番隊のヤツが刀を振って血を落としているところだった。

「大丈夫ですか?」
「ああ、悪い。助かった」
「しっかりしてください。そんなんじゃ沖田隊長に笑われますよ」

 そう言って隊士は笑った。周りを見ると他の一番隊の隊士たちが襲い掛かってくる敵をバッサバッサと薙ぎ払っている。どことなく総悟の太刀筋と重なった。立ち回りや間合い、総悟の隊だけあって、やっぱり戦い方が似ている。ほらこんなところにもまたひとつ足跡があった。


「なあ、総悟から未来の真選組について話を聞いたことはなかったか?」
「…ありますよ。隊長、俺たちを扱きながら言ってました。立ち上がってこい、未来の真選組は俺たちが創るんだって」
「――そうか」


 カンカンカンと鐘の音が鳴り響く。一通り終わったという合図だ。ふっと息をついて足を踏み出すとぴしゃりと血の池を踏んだ音がする。
 いつまでも感傷に浸っているわけにはいかない。だって俺たちは生きている。これからも歩き続けなければならない。

 それでも足跡を見つけては思い出しては変わらない愛おしさが胸に積もった。これからもずっと歩いていく、けれど振り返るぐらいは許してくれるだろうか。

 ああだってこんなにも、お前は俺の傍に居た。

 こんなにも、俺はお前を愛してる。