異変に気がついたのは、戦争が始まってそう経たない頃だった。
突撃隊が防衛線を突破し、戦況がこちらに傾いた頃。
昨日は先陣を切った解放軍の軍主も、今日はマッシュの助言もあり本陣にて戦況を見守っている最中、
突然稲妻が空に光り、ユンファは驚いてその方を振り返った。
遠くに陣を構えている魔法兵団が、別方向へ次々と攻撃魔法を放っている。
「マッシュ」
「はい。まだ攻撃予定には早いはずです」
魔法兵団の陣地で何か異常事態が起こっているのは、火を見るより明らかだった。
マッシュに後を頼み、近くにいた護衛の兵士たちを引き連れてユンファは馬を走らせた。
魔法兵を襲うとしたら当然突撃部隊。もし敵兵がそこを攻めたとしたら、近距離戦で魔法兵に勝てる要素はない。
破られれば本陣を狙われるか、主力部隊を背後から挟み撃ちされるかのどちらかだ。
最悪の結果にはならないよう願いながら手綱を握り締め全速力で馬を走らせていると、半ばまで来たところで吹いた強い突風にユンファたちは進路を拒まれた。
自然の風ではない。突然巻き起こった大きな嵐のような風だった。
左右の騎馬兵たちはバランスを崩して落馬し、馬は驚きに声を上げて一歩も動かなくなる。
ユンファは落馬しないよう上手く手綱を操ったが、それでも顔を上げられないほどの強い風だった。
散々に暴れた風はしばらくすると嘘のように止み、平野は嵐前の静けさを取り戻した。
突発的な嵐に嫌な予感を感じつつも、ユンファは馬を走らせ魔法兵が陣を構えていた丘を登った。
そして辺りを見回して、ユンファはその光景に目を瞠る。
魔法兵団が配置されていた跡地。
味方か敵かも見分けられないほど人と血で埋め尽くされた中で、ぽつりとひとり。
ルックだけが全身を赤に染めて、その中心に座っていた。
虚ろな目は空しか見ていない。
誰が見ても異常すぎる光景がそこには広がっていた。
背後の護衛兵が息を呑む。
ぞくりと――その時ユンファの中で駆け抜けたのは恐怖か疑問か。
「…ルック、」
漂った魔力の余韻に紋章を暴走させたことを悟ったユンファは、座り込んだままのルックにそっと近づきそう声をかけた。
少年はどこを見ているのか、ぴくりと瞬きさえしない。
少し躊躇してからそっと肩に手を置いてみると、びくりと。ルックは大きく肩を震わせ、逆にユンファのほうが驚いた。
そしてゆっくりと顔を動かし、肩に置いていたユンファの手を掴んで、震える声で小さく、
「イヤだ…」
…そんな言葉を呟き、ルックは糸が切れたように意識を手放した。
その言葉の意味に眉を顰めながら、ユンファはその身体を受け止めた。
進み行く導3 |
魔法兵団壊滅
ということになり、戦力のひとつを失った解放軍は一時撤退をせざるおえなかった。
駐屯地まで引き返した軍主たちは失った戦力を補う戦略を明日までに立てなければならず、追撃の備えや負傷の手当てなどで慌しい駐屯地内には酒を片手に笑っていた昨日の余韻などどこにもかんじられない。
戦略に時間を費やし駐屯地内がやっと静けさを取り戻した頃、軍師や重役たちとの打ち合わせを終えたユンファはそっと天幕を抜け出した。
テントの脇で疲れ果てて眠る兵の前を通りすぎ、昨日訪れたの雑木林へと向かう。
昨日のさらに奥、木々を分け入り少し視界が開けたところでルックが魔力を練り上げていた。
右手を掲げ、そっと目を閉じて小さな言葉を紡いでいる。
けれど気配で気付いたのだろう、ルックは漂わせていた魔力をふっと雲散させた。
「もう動いても平気なのか?」
「…平気。もう魔力も戻ってるよ」
「そっか。元気そうでよかった」
ルックの背後に立つユンファにはルックの表情がわからなかったが、その声はいつもより覇気がなかった。
「……悪かったね。僕のせいで敗戦したようなもんだ」
「…気にするな。奇襲を受けたんだから仕方ない。俺やマッシュも予期できてなかった」
お前が責任をかんじる必要はないよと、ユンファが声をかける。
ルックがどう受け取ったのかはわからない。顔を俯けただけだった。
感情の窺えない声で、聞いてくる。
「…魔法兵団で生き残ったのは?」
「数十人程度ってところだ。
…魔法兵団長も、死んだよ。ここへ着いて、しばらくしてな」
「……そう」
最後まで笑っていた、強い男だった。
笑いながら地方の家族や解放軍のこと、いろいろなことを話していたらしい。
「なあ、ルック、」
「僕が殺したようなものだね」
ユンファの声を遮って、ルックが呟くように抑揚のない声を持ちかける。
その言葉にユンファは小さく目を見開き、後ろからルックを見つめた。
ルックが今どんな顔をしているのかはわからない。
けれどそれは違うと、ユンファは首を小さく横に振った。
「――戦争は、勝つか負けるか、生きるか死ぬかだ。
誰を殺したなんて、問うだけ無駄だよ」
言いかけるような静かな言葉に、ルックがぴくりと肩を震わす。
ユンファはそれを何も言わずに見ていた。
己もルックも、これがはじめての戦争だ。
特に閉鎖的な島で暮らしていたルックにとって、戦いというものに不安を抱いているかもしれない。
まだユンファより年下の少年である。当たり前だ。
けれどそんなことに怯えるルックではないのも、これまでの付き合いからいってユンファは知っていた。
怖気づくようなことに対しても、口端を上げて「やってやろうじゃないか」と。啖呵を切るようなやつである。
見た目からでは想像のつかない高慢さ。
いつだって新しい性格の局面を見せてくれる。
だから今回のことでルックが気負いしているのは、魔法を暴走させたという己の失態さ故だろう。
誇り高い風使いはそんな失敗を許せないのだ。
それが原因で魔法兵団を壊滅させ、しかも敗走してしまうまでとなれば尚更腹立たしいのだろう。
(―けど、そこで立ち止まるような性質じゃないよな)
失敗したからといって、いじけたり臆病になるようなかわいい性格なんかしていないことも、ユンファにはわかっている。
「ねえ」とルックが声をかけてきた。
「戦場の光景を見て、あんたはそれを美しいと思う?」
「美しい…ねえ」
頭の後ろで手を組んだユンファは、魔法兵団長の言葉を思い出していた。
容態を見に行ったユンファに、男は「ルックがそんなことを聞いてきたんですよ」と言っていたのを思い出したからだ。
小さな後ろ姿に、ユンファは言葉を投げた。
「明日、戦場で見ればわかるんじゃないのか」
「え?」
ルックが勢いよく振り向く。
肩をわざとらしく竦めてユンファがにやりと笑った。
「なんだ。出たくないのか。
出さないと後でぐちゃぐちゃ文句を言われると思って、こっちはメンバーの中に入れといたのに」
きっと出れないとでも思っていたのだろう、ルックはボケッと。「出られるんだ…」なんてぼやいている。
さあどうする? と試すようにユンファは言った。
「出ないなら俺はそれでもいいけど?」
「出るに決まってるだろ。今度こそやってやる」
ぎろりと睨んでくる緑の瞳には、強い光が宿っている。
やっぱりだとユンファは笑った。
やっぱりコイツは簡単に負けるようなやつじゃない。
立ち向かう強さをもっている。
華奢な年下だとは思えない、頼もしい好ましさである。
「明日は多分クワンダ軍との決着がつくからな。しっかりと見とけよ」
よしとそれだけ言って立ち去ろうとしたユンファは、「そうだ」ともう一度振り向いた。
口端を上げて目を細めて聞いてくる。
「倒れる前に『イヤだ』とか呟いたのを聞いたんだけど、あれってどういう意味?」
ルックがその言葉にぴくりと片眉を上げて反応した。
不機嫌な顔で、憎たらしい顔のユンファを睨む――絶対人をからかっている顔だった。
「何が言いたいの?」
「いや、死ぬのが怖くなったのかなーと思ってさ」
「…馬鹿じゃないの」
一瞬言葉を詰まらせたルックは、瞬きをした後に射抜くようにユンファを見た。
はっきりと宣言する。
「まだ死ぬわけにはいかないだけだ」
「つまり必死になって生きると?」
「簡単に死んでやるわけないだろ」
昨日とはまるで反対の言葉。
けれどユンファはそれが一番聞きたかった。
「そっか」
にっとユンファは満足そうに笑った。