毒の花粉と霧を跳ね返した強い風。
それのおかげで前線を切ったビクトールとフリックも何とか逃げ延びることができたが、
それでも間に合わなかった同志も多く、解放軍の被害は甚大だった。
「なんだあの薔薇は? あいつのせいで近づくこともできねえや」
「ここはやはり偵察を出したほうがいいようですね。近くの村なら何かしらあの城についての情報も集まりそうですし…」
「そうだな」
サンチェスの提案でユンファは少数の人数を引き連れ、近くの村に行くことになった。
軍は一度トラン湖まで引き返し、体勢を整えることになる。
軍首としてマッシュに確認をとったり命令したりと、ユンファはいそいそと立ち回っている。
その姿をグレミオはそっと見守っていた。
きみにできること2 |
グレミオ、お前もわかるだろう。
ユンファはもう一人前だ。
いや、立派な解放軍のリーダーだ。
お前のお守りが必要なガキじゃない。
出立前にビクトールに言われた言葉を、グレミオは道中ずっと引きずっていた。
気にしていないふりをしていても、それは強く胸の中で反響する。
虫の知らせがする、ここに残れと強く押すビクトールの言葉にユンファは困惑気味だったが、グレミオが今ここにいるのは自分が連れて行ってくださいと縋りついたためであった。
テオさまに誓ったのです、この身にかけてグレミオがぼっちゃんをお守りします、と。
残れと言われるのが嫌で、グレミオはそう言った。
本当はユンファを守る必要などもうないのだと、知っていたのだけれど。
「ぼっちゃんは大きくなったね。見てみなよあの背中。誇らしいじゃないか」
「そ、そうでしょうか…? ぼっちゃんにはまだわたしたちが必要ですよ」
「何を言っているんだ、グレミオ。あんなにぼっちゃんは立派になられたじゃないか。もうわたしたちの手助けもいらないさ」
「………………………」
実はビクトールに言われるもっと前に、グレミオは同じ蟠りをすでに潜めていた。
日に日に大きくなる解放軍につれて、ユンファも解放軍の軍主としての姿を見せるようになっていく。
それはもうグレッグミンスターのあの家での、ぼっちゃんではなかった。
マクドール家の従者として同じ立場のクレオは、そんなユンファを誇らしいと言って笑って受け入れたが、
けれどグレミオはそう簡単にいかなかった。
だってぼっちゃんはぼっちゃんなのだ。
解放軍の軍主であろうとなかろうと、グレミオにとってユンファはそれ以外の何者でもない。
テオと約束して守ると自分で決めた、大切な人だった。
だからグレミオはユンファの世話を焼くことを止めなかった。
たとえもう必要ないのだと気付いていても、止めることはなかった。
「……グレミオ、あのなー」
「すすす、すいません、ぼっちゃんっ!」
「全く、グレミオは相変わらずだな。まあいいよ」
解放軍の軍主として、もう子どもではいけないとユンファが決意して、
己の意思で立ち振る舞いを改めようと努力していることも、グレミオはもちろん知っている。
けれどグレミオが世話を焼くから、あまりそういう風には見えないらしい。
ビクトールの言葉もその光景を見ていたからこそ出てきた言葉だろう。
「ぼっちゃーん! 待ってくださいよっ」
(軍主といっても、まだ子どもだなあ)
…いつか聞いた、そんな言葉を思い出す。
まだ大丈夫だと思っていた。
まだグレミオの助けがいるのだと、そう。
ユンファもきっと気付いていたに違いない。グレミオがいろいろと世話を焼くから、まだ自分は軍主として見られない。
けれどユンファはそのことを一言も言わず、笑っていつも傍にいることを許してくれた。
だからグレミオも傍にいることを止めなかった、
けれど……。
「…ぼっちゃん、グレミオはぼっちゃんが小さな頃から世話をしてきました。
ぼっちゃんが弟…いや息子のように思える時があります。
最初はテオさまの恩返しのつもりでしたが、今は……」
リコンの村での夜、寝静まった部屋の中でグレミオはひとり起き、眠るユンファの傍に佇んでいた。
寝顔はまだ無邪気なもの、それは昔から変わらない。
例え軍主という立場にあっても、それはグレミオの知るものだった。
もうユンファは守られる必要のない子になったのだと、どうしてグレミオが気付かないと思ったのだろう。
ユンファは立派な解放軍のリーダーなのだと、どうしてわからないと思ったのだろう。
グレミオが一番近くで見ていて、グレミオが一番わかっていることなのに。
ユンファの強さも辛さも努力も、それを誰よりも知っている。
ずっと見てきた。
ずっとずっとだ。
「でももうぼっちゃんには、このグレミオの助けはいらないのかもしれないですね…」
目頭に少しの涙を溜めて、母親が子どもを愛するようにグレミオはユンファの頭をそっと撫でた。
一番近くで見ているからこそ、だからグレミオは知っている。
もう、親離れの時なのだと…。
その夜、ユンファは夢を見た。
温かい母親の夢だった。