兄弟って?〜恒例なんです。〜


 ジリジリジリジリジリ。

 けたたましい音に張っていた膜がゆらりと歪むような感覚を抱いた。
 まだそれを壊すわけにはいかないと眉を顰めて俺は寝返りを打つ。勘弁してくれ、俺は疲れているんだ。
 もうちょっとだけ、と手を伸ばし目覚ましを止める。
 と

「とっとと起きなせェ!」
「いてっ!」

 うつらうつら夢と現実の狭間を漂っていると、耳元で声が響いた。と思ったら全身に衝撃を受ける。
 これはあれだ、ベッドから蹴り落とされたんだ。そう瞬時に分かってしまうのはもう何度も経験したからで。
 こんなことをする奴は、俺の世界にたったひとりしかいない。

「……総悟。テメー…」

 青筋を立てつつ、人をベッドから蹴り落とした極悪人を仰ぎ見ると、平然とした顔でこっちを見下ろす弟の姿があった。
 成長する度やんちゃになってきた弟だが、少しずつ大人になるどころかその勢いは加速するばかりで中学生となった今では立派な悪ガキである。
 俺の言うことなんて聞きやしない。俺の後ろをとことこと付いてきて「お兄ちゃん」なんて可愛らしく笑っていたのはもう遠い昔だ。今は俺をからかうことしか考えていないようで、随分と攻撃的になった。
 世間ではこれを反抗期というのだろうか。両親には大人しくて俺にだけ反応する反抗期なら、それはもうイジメに近い。

「総悟! 起こすんなら普通に起こせっていつも言ってんだろ! まいっかい激痛で飛び起きるこっちの身にもなりやがれ!」
「うるせェなァ。目覚ましで起きねェアンタが悪いんだろ。自業自得でィ」

 ほら、今日も俺の言葉に耳を貸すこともしない。
 図体だけじゃなく態度までデカくなった弟にうんざりとしつつ、朝から俺はため息をつく羽目になる。
 確かに目覚ましで起きなかった俺が悪い。だが常識的に考えてその起こし方は、ない。
 それなのにコイツは面白がって何回も人を落とす。
 あの馬鹿、毎回ベッドから人を蹴り落としやがって。人間だから手を使って起こせ、手をと言ったところで聞きやしない。
 ああもう頭が痛くなってきた。頭を抱えて俺は呻く。

「お前はもう少し俺に労わりを持て」

 昨日だって接待で、酒を飲んで遅くに帰って来たんだ。少しは兄の事情も察してくれ。せめて朝は穏やかに迎えたい。
 そう言うと、総悟は目に見えてムッとした顔をした。

「なんでィ。俺が悪いみたいな言い方じゃねェですか。俺だってアンタが昨日遅くまで仕事だったのは知ってやす」

 拗ねた声で総悟は言葉を連ねて、だが目に見えてだんだんとしゅんとなった。

「だからギリギリまで起こさないでおこうと思ったのに、アンタいつまでたっても起きて来ねェし、揺すっても声掛けても起きねェから俺ァ仕方なく…」

 総悟に犬や猫の耳が付いていたら明らかに頭にペタンとひっ付いていただろう。仕方なかったんだと言い、終いには俯く総悟。
 い、いじけている…。
 何故か昔からこの弟を無碍に出来ない俺は、その態度に良心を痛めた。
 いくら生意気な弟とはいえ必死に自分を起こそうとしてくれたのだ、怒鳴るのは間違っていると天使の俺が耳元で囁く。

「わ、悪かった。そうだよな、起こしてくれたんだよな。怒鳴って悪かった」

 結局、兄という立場に居る俺は敗北の2文字を認めるしかなかった。譲歩してなんぼだ。そうそう、7つ下の弟に大人げなく怒るのは間違っていると天使が囁く。
 素直に謝ると、総悟は顔を上げて二コリ笑った。それがどこか腹黒く見えるのは何故だろう。
 総悟は、分かればいいんでさァ、なんて全面的に俺が間違っていたような言い方をする。ちょっと待て。

「俺、朝食の用意してきやす」

 俺が引きとめる前に、総悟は足取り軽く部屋を出て行った。
 朝食って、シリアルだろ。
 俺はため息をつき、ベッドサイドに座る。
 両親が海外に行ってからというもの、家事は総悟と俺で分担していた。朝食は弟の担当だ。
 といっても、シリアルを皿に入れて牛乳をぶっかけるだけの簡単な仕事だが。
 なんか朝から疲れた。なんだってこう、上は下に対して譲歩しなければならないのだろう。不公平だ。

「せめて”お兄ちゃん感謝デー"とか作ってくれないかな」

 ぼやきながら寝巻のボタンを外していると、ふと総悟の言葉を思い出した。

(そういえばさっきギリギリまで待ってたと言っていたな…。もしかして結構ヤバい時間なんじゃ)

 社会人として遅刻は厳禁だ。
 焦って傍の目覚まし時計を手に取る。

 そこには、知りたくない現実が横たわっていた。
 俺の頭は暫く動くことを放棄する。ただただ、目の前のデジタル時計に視線が固定された。
 さっきの出来事を思い出す。それから目の前の時刻をありのままに受け入れる。
 俺は静かに立ち上がった。そして目覚まし時計を力いっぱいベッドにぶん投げる。
 息を肺いっぱいに吸い込んで、叫ぶ。

「おい総悟!! お前目覚ましの時間2時間も早めてンじゃねーよ!!! まだ寝れたじゃねーか!!!」

 近所迷惑なんて知らねー! 人の良心を弄んだ重罪人をひっ捕らえに、俺は風になって部屋を飛び出す。
 アイツは弟じゃなくて悪魔に違いない。