天落ちるるはそら


 立ち入り禁止区域の柵で仕切られた更に奥、町を一望出来る切り立った崖の上でソイツと会うのがいつの間にか日課になっていた。
 会う時間も日にちも特に決めたりはしない、気が向いた時にふらりとこの場所に来るぐらいの、ちょっとした知り合い程度の付き合い。
 でもそれぐらいがちょうどよかった。

「期間限定のチョコが発売したらしいんで買いに行ったんですよ。でも女しか店に居なくて入り辛いったらねーんでさァ。つーわけでアンタ何か親の特権でも使って買って来てくれやせん? なんなら店ごと俺にプレゼントしてくれてもいいですぜ。お前なら出来るはずだ」
「ふざけんな!何勝手に人をパシりに使おうとしてんだよ!無理に決まってんだろッ!ったく、だいたいそんな頼み方で行くわけねーだろ。常識で考えろ、じょーしきで」
「常識ねェ」
「そうだ」
「よし、買ってこい」
「じょーしきィィィィィいい!!」

 回数を重ねて分かったことだが、コイツは馬鹿だ。
 出会って3週間、俺がコイツに関して知ったことと言えば馬鹿で甘党でよく寝てずぼらで人にイタズラするのが好きな適当人間と、碌なことなんて何ひとつない情報ばかり。
 ああ俺の人生初だ、こんなヤツと知り合いになるなんて。
 会話だって噛み合うようで噛み合わねェしどう考えたって俺とコイツの愛称は悪い。
 それなのにこうして会って話しをする日を何気に待ち遠しく思っていたりするものだから、不思議なものだった。
 名前もどこに住んでいるのかも何故ここ来ているのかも知らないというのに。

「お。あそこだけなんか人が多いや。なんかあるんですかねィ?」

 話がちょうど途切れたところで、ソイツがふと町中のひとつを指差した。その先を追った俺はああとひとつ頷く。

「赤の予告状が届いたんだよ」
「赤の予告状? って、あの影の?」
「ああ」

 最近赤の予告状がこの町にも届くようになった。
 赤の予告状というのは影、つまり忍が送り付けてくるもので、文面には『○○の命貰い承け候』と言う一文が書いてあるという話だ。
 西洋の文化を取り入れようとしている中で、忍が主君とする城主なんて存在はもう時代の渦に消えてしまった。
 その拠り所を失った忍たちが寄せ集まり依頼を承け任務をこなし報酬を貰うというのが現代の影のスタイルらしい。
 影の集団は居場所を転々としているらしいが、最近赤の予告状がこの町にも届くようになった。
 影がついにこの町に来たのだと専らの噂だ。
 そして次のターゲットが今沖田が指を指している屋敷の主人らしく、聞いた話によるとその予告の日が今日らしい。
 赤の予告状を受け取ったということは死の宣告をされたと同じことで町ではちょっとした騒ぎにもなっている。
 それを聞いた沖田は驚くでもなくへぇーそうなんですかィと今初めて知りましたと言うかのような、けれど全く驚きもしていない平坦な声でそう言った。
 俺は首を傾げる。

「町じゃその話題で持ちきりだぞ?知らないのか?」
「さァ。俺ァ流行とか噂とかそういうのに疎いんでね」
「さっき期間限定のチョコとか言ってたの誰だよ…」
「あはは。それとこれとは興味の違いでさー」

 明るい声でそう言って、ソイツはふと眩しそうに目を細めた。
 なんとなく遠くを見ているような空色の眼差しが気になった。
 ああでも、そう薄い秋空に溶かすようにそいつはぼそりと呟く。

「影の中にどうしようもなく憎いヤツがいやすよ」
「影に?」
「ええ。誰にも負けねェ最強の男なんでさァ」

 だからアンタも出会ったらバッサリ斬られちまうだろうから近づかない方がいいですぜ。
 そう言って薄く笑うソイツの顔が、何故か俺には印象的だった。
 影と何の関係があったのだろう、気になったが3週間もこのままでくるとお互いのことを聞かないのが暗黙の了解のような気がして、俺は何も聞けなかった。
 けれどコイツのことをもっと知りたいと思う俺もいて、根付いた願いにそっと拳を握りしめて堪える。
 もう1歩、近づいてもいいのだろうか?
 まだ問いかけられない。




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 帰ると誰も居ないのが常だ。
 少なくとも家族という人間の姿を見ることはない。
 絶えず居る家政婦や使用人は俺を見る度恭しく頭を下げ「坊っちゃん」と俺を呼ぶがその媚びる声色さえも不快で仕方なかった。

「最近ふらふら出歩いているそうだな」

 珍しいことに帰ると養父が待ち構えていて、開口一番にそう言われた。
 無駄な時間の浪費をこの男は最も嫌う。
 話の切り出し方で嫌味を言われるのだとすぐ解って、俺はそっと息を逃がした。

「別にアンタが心配することは何もしてませんよ。ただ散歩に出掛けているだけです」
「散歩というわりにはその度に誰かと会っていると聞いたが?」
「……!」

 思ってもいなかった言葉にとっさに反応してしまう。
 コイツは俺がアイツと会っているのを知っているのだ、言葉の端からそれを知り目を瞠る。
 養父は椅子に座り書類に目を向けたまま、バサリと俺の足下に何かを投げ寄越してきた。
 何枚かあったようでそれが床に散らばる。
 ひとつ拾って見やれば、そこにはあの崖上で話しをしている俺とアイツの姿がしっかりと写り込んでいて。
 徹底的な証拠があるわけだ、思わず舌打ちしたくなる。

「そんなどこの溝鼠とも分からんヤツとは会うな」

 目も向けず言葉だけを投げられて、何も知らないくせに、久々にイラついた。

「アンタに言われていることは全部やってんだ!そこまでアンタに指図される謂われはねェよッ!」
「勘違いしていないか?」

 何よりも感情のない冷えた声だった。

「私にとってお前は跡継ぎの道具でしかない。駒に私の許可なく自由に過ごせる時間があると思うな」
「―――っ、」
「しかもソイツは戸籍不明のヤツだ。世間に存在がないというのと同じことだ。そんな人間とも言えぬようなヤツと今後会うことは許さん」
「そんなことッ、」
「それが出来ないようなら暫く閉じ込める。そしてその人間も消す。覚えておけ」

 言うだけ言って、養父は椅子から立ち上がるとまだ床に散らばっている写真を見せ付けるように踏みつけて出ていった。

「クソっ!」

 ガチャンと扉が閉まると同時に衝動的に椅子を蹴り倒す。荒々しい音を立てて椅子が倒れてもその扉が二度と開かれることはなかった。
 歯向かうことも何ひとつ言い返すことができなかった事実にむしゃくしゃする。
 いやそれよりも。

『その痛みもアンタが生きてるって証だ』
『ソイツは戸籍不明の人間だ』

 握りしめた写真に映る彼の姿を見て、俺は悔しくて堪らなかった。
 会うのを心の底では楽しみにしていて俺の何よりの変化だった。
 それなのに俺は彼について何も知らない、養父は、アイツは彼に戸籍がないことを知っていたというのに。
 俺が彼について何も知らないのだと突き付けられたようで悔しかった。調べれば聞けば分かったことなのに何も知らなかった、知ろうとしなかった。
 そんな自分に腹が立つ。


『憎いヤツが居るんですよ』
「……そうだ」

 ふと、彼が呟いた、そんな言葉を思い出した。
 そうだ、彼は確かにそう言っていた。
 影に居る最強の人間、ソイツと彼は何か繋がっているのだろうか?
 写真の中に問い掛け、写真をポケットに仕舞うと俺は踵を返してまた家を出た。
 寒い季節になった。
 初めてこんなに強く願った。
 彼のことを知りたい、それが何よりの機動力。