天落ちるるはそら


 予告があっただけにさすがに護衛の数を増やしてるようだ。
 金を出して腕のある者を雇ったと見える、会う奴見る奴今にも噛み付きそうな目をしていた。

 (大抵の人間はそうだが)この屋敷の主人も養父の配下らしく、深夜にも関わらず俺が屋敷の中を見たいと言うとふたつ返事で了承してくれた。
 今日は影が出した予告の夜だが大丈夫なのかと問うと、手揃いの護衛を雇いましたのでご心配ありませんと妙に自信満々に笑って言っていた。
 父上によろしくお伝え下さいと手を揉みながら言うもんだから適当に返事をしておく。

 屋敷に入りとりあえず広い敷地をうろついた。
 なんとか何か起こるだろう現場まで入ることが出来た。
 養父も養父に媚びるヤツも嫌いだが、こういう時にアイツの存在は使える。

 ふと養父の特権を使ってチョコを買ってこいと言った彼の姿を思い返して、確かに頭の良いやり方かもしれないとひっそりと笑った。馬鹿だとは思ったがこうやって効率的な知恵を出して彼は生きてきたのかもしれない。
 戸籍がないと汚い物を見るかのようにアイツは彼のことをそう言っていたが、この時代それもそう珍しいことではない。
 実は頭の回転が速いのかも? そう思って、でもあの頭の中が軽そうな亜麻色に秀才なんて言葉はどう考えても上手く結びつかなかった。思い返して笑う。

 案内すると言う少し小肥りな屋敷の主人には断って一通り見て回り、庭園の前に置いてある椅子に腰掛けた。
 近くに置いてあるかがり火がぱちぱちと音を立てて夜の闇を照らしている。
 椅子の後ろには少し距離を取って、建物の前に護衛がふたり槍を持って静かに立っていた。
 そんな物騒さを覗けばいつもと変わらない静かな夜だった。
 今夜影が仕掛けてくるなんて嘘のような、静けさ。それが逆に不気味だった。

「しくった…」

 ずるっと鼻をすする。
 秋といっても夜になればそれなりに寒い。
 半ば衝動的に出てきたものだから薄着で、吹く風にいちいち肩を竦めてしまう。
 影と彼に何か関係があるのだと思いわざわざこうして予告の時間に来たのだが、本音情報が得られるとはこれっぽっちも思っていない。
 憎いと言っていたぐらいだから何か関係があるのだろうが、例えば影が彼の親しい誰かの命を奪ったとして、影の奴等が逐一それを覚えている可能性はウンと低い。影が手に掛けた人間は五万といるのだ、そんな戦闘集団が殺した人の名を律儀に覚えているとは思えない。

(それなのに何で俺は来たんだか…)

 肌寒い夜風を感じながら、俺は頭だけを倒して仰け反るように空を仰いだ。
 一言で言ってしまえば感情任せで来たようなものだが、夜風で頭も冷えてくるとなにやってんだかとツッコみたくもなる。
 これで乱争に巻き込まれて死んだとなったらただの笑えない笑い話だ。
 ぐるぐると考えてはあとひとつ息をつき、

「帰るか」

 呟いて、腰を上げようとした、その時だった。

「………?」

 どさりと物音がした。
 振り返ると後ろにいた護衛のひとりが地面に倒れていてえ?と頭が真っ白になった。
 かがり火で分かる、赤い血が地面に溢れている。
 すかさず横を見ればもうひとりの護衛の喉には刀が垂直に突き刺さっていた。そしてすでに倒れていたひとりの上に折り重なるようにして崩れ落ちる。
 呻き声ひとつ上げず上げることも出来ずに人が死んでいく。その現状に息が止まった。
 かがり火がふたりの倒れた人間――死体を照らしている。
 呆然とする中で物音を聞きつけたらしい護衛がひとり角から姿を現した。
 瞬間、その護衛の喉から銀色に鈍く光る刀がびゅっと勢いよく飛び出してきた。いや違う、後ろから刺されたのだ。
 護衛は限界まで目を見開き口からごぼっと血を吐き出す。ガ、ガっと音がする。一度突き刺した刀をもう二三回ほど抉るように突かれ、刃は鍔の部分まで護衛の喉を貫いた。そして勢いよく引き抜く。糸が切れた人形のように護衛の体が地面へと倒れた。その後ろにいた人間をかがり火が照らす。

 その人間は黒い装束を纏い白い狐の面をつけていた。背は俺より少し低いぐらいだろうか。
 闇と同じ色の服を着ているものだから血に塗れた小刀と狐の面だけが闇に浮かんでいるようで、奇妙な光景だった。
 仮面越し狐の面と目が合った、そう思った刹那ビュッと風を感じた。その風に押されたように体が倒れてぐるりと世界が回る。気付けば誰かに乗っかかられて俺は地面に倒れていた。記憶が飛んだようにあっという間の出来事で頭が追い付かない。ぱちぱちと瞬いて状況を理解しようとして、黒い服を纏って俺の上に居るヤツが鈍色に光る刀を持っているのに気付いてゾッとした。

 ああこれが影なんだ。他人事のようにそこでやっと気付いた。

 理解した瞬間ゾクゾクと背筋が凍る。殺されるのは明白で頭が真っ白になって声を出そうとか抗おうとかそんな考えが一切出てこない。
 誰も駆けてくる気配はないがないところをみると同じように他のヤツも影に襲われているのかもしれない。
 不気味な静けさが降りた、長いようでたったの数秒。
 はっと、息を飲むような音がしたのはその時だ。

「………?」

 視線を徐々に上へと見やる。
 俺より細いような全身真っ黒の体の線を辿り顔を見たが、狐の仮面を被っていて分からなかった。
 けれどコイツが纏う空気がなんとなく変わった気がして、ふと、甘い香りが鼻を擽った。
 これは。

「……チョコ?」

 呟いた言葉にビクッと影が肩を震わせた。
 その時、

「そこだぁぁあ!!」

 ドンっと爆発音が響いた。見やる先何かに押されたようにゆらっと影の体が揺れる。
 え? と声の方に視線を向けると縁側に屋敷の主人が鉄砲を持って立っていた。
 あれは発砲音だったのだと気付き、影に視線を戻すと腹の所がどっぺりとした何かに濡れているようだった。
 服が黒で闇夜だから分かりにくいがきっと血が出てる。撃たれたのだ。
 ふと急に上の重みが軽くなった、そう思った瞬間瞬きひとつすれば、次に映った視界に俺に跨がる影の姿はどこにもなかった。
 ドスっと鈍い音がして息を飲む。視線を動かした先、屋敷の主人の両肩にひらりと足を置き、背後から突き立てた刀は男の喉を貫いていた。闇夜にヒューヒューと空気が抜けるような呼吸音がする。またもや鍔の部分まで刃をのめり込ませるように二三度に分けて力を入れ狐は屋敷の主人の喉に刀を突き立てる。
 屋敷の主人が倒れる前に後ろへくるくると回転して影は床へと降りた。
 影は風であり闇であった。
 その速さと静けさで人間を屠る死神。
 次は俺なのだろう、けれど何故か、恐怖という恐怖は感じなかった。
 一瞬匂った甘いチョコの匂いが、まだどこかに残っているような気がして。

「こっちだ!」

 影はこっちをじっと見たまま動かない、動かなければ俺も動けない。
 永遠に視線を逸らせないかと思った時は、けれど突如カンカンと鳴り響く鐘の音で終わりを告げた。
 金縛りが解けたように俺の肩がビクッと跳ねる。
 バタバタと音がして何人もの人間が慌しく走ってくるのが分かった。どうやら屋敷の人間を全員手に掛けたようではないようだ。
 ほっとしたのもつかの間で、影はパチンと小刀を仕舞うとまるで猫のように高い塀をひょいっと飛び越えて行ってしまう。

「あ、おい!」

 俺は咄嗟に声を上げて近くの裏口から屋敷を出て影を追いかけた。
 折角のチャンスを早々逃がしてなるものか。影に会って聞きたいことがあるんだ。それにあの、甘いにおいがどうにも俺の心をざわつかせる。

(やっぱ見つかんねェか…)

 さすがは影だけあって、すぐに追いかけてももうどこにもソイツの姿はなかった。
 ここまで全力疾走で捜していたものだから息が切れて荒く呼吸を紡ぐ。と、月明かりにふと地面に落ちた血の跡に気が付いた。
 路地裏に転々と続いている。ごくりと唾を飲み込み俺はその路地裏に入り込んだ。
 カツンカツンと俺の足音が幅の狭い壁に反響する。進むにつれてだんだん暗闇が深くなるようで不気味だった。
 カツンカツン。
 先の袋小路まで辿り着き、そこに待ち受けていたものに俺は息を飲んだ。

 そこには影が居た。
 立って俺を待っていた。
 黒装束で負傷した腹を庇うように手で傷口を押さえている。
 腰にはあの俺の目の前で4人もの命を奪った小刀が差してある。
 狐の仮面は、していなかった。
 月明かりに照らし出されたのは亜麻色の髪だった。
 ソイツがゆっくりと顔を上げる、俺の視界が映し出したのは空色の瞳。
 見間違いであってほしいけれど見間違えるはずのない人間がそこに俺の目の前に佇んでいた。
 ソイツがどこか痛そうに顔を歪めて言う。

「やっぱアンタからは逃げられねーや」

 そんな言葉さえもどこか夢のように俺の中に反響する。