天落ちるるはそら。
自負する。俺は臨機応変に気持ちを切り替えることが出来る。そのことに関しては自信があった。
けれどこれはどういうことだろう、頭がどこかで転んでしまって待てども待てども追い付いてやきやしない。ただ瞬きを繰り返す。
そんな俺を見かねた亜麻色はやれやれとため息をついた。
「調べじゃアンタとあの男に接点なんてなかったのになー。アンタが居たのは計算外でしたよ」
「…なんで…お前…」
譫言を繰り返す俺を、空色が真っ直ぐと射た。
「俺は影ですよ」
「…本当、か…?」
「疑り深けなァ。アンタも現場を見ていたでしょう」
崖の上と変わらない口調であっけらかんと言うもんだからこっちが呆気に取られてしまう。やれやれと大袈裟に肩を竦める姿に肩透かしを食らって、でもそのおかげでやっと頭が追い付いてきた。今理解できるすべてを現状を受け入れる。
すっと冷たい夜の空気を吸って、ゆっくりと吐くいた息は、白くなってまた空に帰った。
「俺を殺すか?」
静かに問うと、亜麻色はふっと笑って頭を振る。
「確かにアンタに顔は見られはしたけど、生憎俺は何も快楽殺人者じゃねーんで遠慮しときまさァ。一銭の得にもなんねェことはやらない主義なんで」
真意はどうにしろその言葉に詰めていた息をほっと吐き出した。
その息を合図かのように亜麻色は預けていた壁から背を引き剥がした。
「さてと、それじゃああんまり長居出来る状態でもないんで俺はこれで失礼しやすよ」
亜麻色はそう言って血がにじむ腹を擦った。そこでやっと、コイツが怪我を追っていたのだと思い出した。先程の機敏な様子とはうって変わってひょこひょこと歩いていく。横を通り抜けていく間際、咄嗟に俺はソイツの腕を掴んだ。反射的な行動に自分でも驚く。
「なんですかィ?」
当たり前に尋ねられてちょっとどもった。
「ど、何処に行くんだよ」
「何処って帰るんですよ。俺にも一応住み処にしている所があるんで」
「…その怪我で帰るのか?」
「こんなの机の角で弁慶打った痛さに比べたら蚊に刺されたようなモンでさァ」
「それは嘘だろ」
「まあちょっとは」
「お、」
「お?」
「送っていってやろうか?」
ぎゅっと拳を握って言った言葉に亜麻色はぽかんとした。
「…アンタ、何言ってんですかィ。どっかで頭でも打った?親父へのストレスで可笑しくなったのかよ」
「だあーーうっせーーッ!!」
ごちゃごちゃと言う亜麻色を黙らせると俺は片膝を付けて手を後ろにやって、乗るように促した。
亜麻色は大きな目をぱちぱちと瞬かせると、これ見よがしに大きなため息をついた。
「アンタ俺が何者か忘れたんですかィ」
「影だろ」
「背を見せた瞬間刀がアンタを貫くかもしんねーけど?」
「そん時はそん時で俺が馬鹿だったって思うわ」
「変でさァアンタ」
肩越しに見やると亜麻色は何故かちょっと困ったような顔をして頭を掻いていた。
ほら早く、と促すと渋々というかんじでソイツは背に抱きついてくる。腹のところがやっぱり濡れていて、コイツを見ているとそれほど重症ではないのだろうがでもやっぱり気になった。
このまま病院に連行してもよかったのだが、それは約束を違えるようで気が引けた。一応尋ねてはみたがやはり冗談の一蹴りで断られた。
「ところで、なんであんな場所に居たんです?予告はちゃんと知ってたじゃないですか」
亜麻色が言った家のある方向とやらに歩いている最中、ふと思い出したように彼が言った。
思った通り軽いソイツをゆらゆらと運びながら、俺は言うべきか言わないべきか言いあぐねる。本人に直接言うのはなんだか気恥ずかしかった。こういう場合顔を見られないで済むのがせめてもの救いだ。
お前が影に憎いヤツがいるとか言うから、そう切り出す。少し不機嫌そうな声音になってしまったがこれは俺でいう照れだ。
「ソイツに会ってお前のことを聞こうとしたんだ」
「なにを?」
「いろいろ。名前とか影とはどういう関係なんだ、とか」
「なにそれ」
「うっせなー。この際打ち明けるが俺はお前のことが知りたかったんだよッ」
「……」
ダメだ正真正銘の馬鹿だ聞くって今まで全然そんな話したことないじゃないですか今更でしょうっつーかなんでそこに行くんですかねー俺がその影だったからよかったものの別のヤツだったら絶対アンタ殺されてますぜ馬ッ鹿でェ。
笑われて馬鹿にされて茶化されて呆れられて。
絶対何かは言ってくると思ったのに背中の重みは黙り込んだままだった。気になって顔を向けて肩越しに見てみるがどうやら俯いているようでどんな顔をしているのか全く分からない。
暫くしてはぁと息を吐くようにアンタ馬鹿ですねと言われた。
「うるせーよ。…ってかどうかしたか?なんか様子違くね?」
「アンタの短絡的な行動に呆れてるんですよ。ってゆーか俺の言った憎いヤツって俺ですぜィ」
「はぁ?!」
「言ったでしょ。誰にも負けない最強のヤツだって。俺天才なんで」
「だって憎いって、」
「憎たらしいぐらい完璧って意味」
「……腹立つ」
「勘違いしたのはアンタでさァ」
なんだそれ。憎いとかいうからコイツの境遇だとか考えてちょっとでも心配したのが馬鹿みたいだ。
なんだかどっと疲れて大きく息を吐く。亜麻色がけらけらと笑った。
「謎も解ったところで俺を役所に突き出しますかィ」
「行かねーよ。面倒くせェ。こっちだって黙って出てきてるから揉め事は勘弁したいんだ」
「不良息子ですねィ」
「うっせ。自分の意思で行動しなきゃ人間終わりだ」
「ご立派な心掛けで」
「べ、別にンなことねえって」
「俺が怖くねーの?」
ふと、急に声が落ちた。
淡々とした話の延長線だったが軽はずみに答えてはいけないような、そんな気がした。
怖くないと言えば、嘘になる。けど。
「言っただろ。俺はお前のことを知りたくて追ってきたんだ。これもお前の一面だろ。怖いとか、そんなのよりも俺の中のお前のイメージは何も変わらねェよ」
「やっぱ馬鹿ですね、アンタ」
薄く笑ってそう言って亜麻色は口を閉じた。秋の夜はどうも静かでいけない。出来るだけ傷に触らないようにゆっくりゆっくり歩くのに努めた。
月がぽっかり浮かんでいて、ふと記憶の片隅に、昔もこうやって誰かをおぶって夜道を歩いたのを思い出した。でもそれが誰だったのかは全く覚えていない。片隅の中で「土方さん」と誰かが名を呼んでいる。はて一体誰だろう、土方って誰?
「…なー…、なァ!」
「ぐッ!ぐるじい…!」
「呼んでるのにアンタが返事をしないからいけないんでさァ」
後ろから首を締められて本気で一瞬死ぬかと思った。拗ねたような声と共に解放されてぜえぜえと息をする。その間に掴んだ記憶の欠片はどこかにいってしまってもう掴めない。
「お前な、」
「名前」
「は?」
「アンタの名前教えてくだせーよ。今更だけど自己紹介といきましょーや」
それが目的だったんでしょう?
言われて、諦め悪く躊躇してこくりと頷く。出会って3週間、本当に今更だ。今更だけに改めて名乗るのがほんのちょっと気恥ずかしい。
口を開いて閉じて軽く下唇を噛んで中々言う決心が付かないでいると背中が先に名乗りを上げた。
「俺は沖田総悟って言いやす。ちなみにちゃんと実名なんで安心してくだせェ」
「沖田総悟…」
口で一回心の中で一回呟いてその名前をしっかりと刻む。初めてのはずなのに言いやすい、口に馴染んだ名前がまるで言い慣れたような言葉のような錯覚を覚える。
アンタは? と問われて頷いた。
「俺は秋山蓮」
「あきやま…れん?」
「そう。本当の名前は覚えてないんだけどな」
夜を知って正体知って軽さを温もりを知って、漸く俺たちはお互いの名前を知った。
俺の名前を確かめるように一度呟いた沖田は、それからぷっと吹き出して似合わねーとけらけらと笑い出した。いつまでも笑っていたその声が、何故か泣いているようにも聞こえて俺の心臓がギュッと痛くなる。
似合わない。口をきゅっと引き締めた沖田は肩に頭を預けてそう呟いた。