天落ちるるはそら。
住み処というのはごく普通の建物だった。といっても人通りが全くない路地裏沿いに入り口があって怪しさは満点だ。
外見とは裏腹に中はホールのように大きな空間がガランと広がっていた。この場所は家や部屋と言うより倉庫という言葉が一番似合うかもしれない。
「ただ今戻りやしたー」
「ご苦労さーん。って何乗ってんの?つーかどちらさん?」
扉を開けて中に入るや否や沖田が声を投げた。
誰か居るのかと俺が目を凝らすと、寝ていたのだろうか、だらけた格好で頭をぼりぼりと掻きながら銀髪の男が奥からだるそうに歩いてきた。
沖田をおぶった俺を見て魚のような目をふたつみっつと瞬く。
「いやー送ってくれるってんで足になってもらいやしてね。あ、もういいです。ありがとうございやした」
「あ、ああ」
「いやいやいや。何そのこんなところまで送ってくれてありがとう的な軽いノリ?! ここ一応世間をお騒がせしてる秘密結社影のアジトなんですけどォォぉぉ!! 何簡単に一般人連れて来てんの?!! しかも何ちゃっかり中に入れてくれちゃってんの?!! ああもうお前のその何考えてんのか考えてないのかわかんねェマイペースさが銀さん信じらんねーよ! ゴーイングマイウェイも行くとこまでいったらただの自己中だよ!」
「旦那、自分で自分の名前言ってやすぜ」
「しまったぁぁぁぁ!」
銀髪の男はそう叫んで地面へ崩れ落ちた。
うるさい。つーか無駄にテンションが高い。
倉庫部屋にはソイツ以外誰の姿も見当たらないところを見ると、この男も影の一員なのだろうか。そんなヤツには見えなかったが外見で騙されてはならないのだというのは沖田で知った。
沖田は俺から降りて部屋の片隅に置いてある木箱に座ると、バサリと装束を脱いだ。
下に着ていた白い布地の服が赤く染まっている。近くにあった小さな箱の中をごちゃごちゃと漁って包帯を取り出し、無造作にそれを巻いていた。
慣れていないようだったから(というかひとりでやるのには無理があるから)手伝ってやろうかと口を開いたら、それより先に復活した銀髪が沖田の元へと動く。
「何? 怪我したの?」
「旦那のチョコ盗み食いしたらにおいでバレちまったんで」
「おいおいおい。今すっごくさらっと自供したよな。通りで減りが早いと思ったら近くにとんでもねーデカイ鼠が居たもんだなあおい」
ほら貸してみ?と銀髪は沖田から包帯を受け取ると、その手当てにあたった。
兄弟…ではなさそうだが仲はいいらしい。俺の存在を忘れたようにまるっきり相手にされないものだから、帰るとも声を掛けることも出来ず、俺は呆然とその光景を見ているしかない。
その光景は見ていて気分の良いものではなかった。何故だか俺は、心許したように銀髪と話す沖田を見てぐるぐると心が不貞腐れている。
おかしい、これじゃあ相手にされなくて拗ねる子どもみたいじゃないか。
「で、そちらはどちらさん?」
沖田の手当てを終えると銀髪が俺を見てそう言った。
改めて銀髪を正面から見るとなんともやる気の感じられない目をしていた。というか目が死んでいる。
沖田も俺を見てあー忘れてたと声を上げた。
「ほら言ったじゃねーですか。崖の上のー、」
「ポニ●?」
「違いまさァ。あんな凶悪顔のポニ●が「そうすけ好きー」なんか言ったら映画を見たガキがトラウマになっちまいますよ。俺だって泣きます。そうじゃなくて、ほら崖の上で死のうとしていたー」
「ああアイツ?」
俺の知らない分からないところで話を広げられて、銀髪はふーんと俺を品定めをするかのように頭の先から足の先まで見やって沖田に言った。
「ああそれでらしくねーその怪我。例のヤツだろ、俺はどーでもいいけど尚更連れて来ていいわけ?」
「まあ成り行きってことで。それにそもそも明日にはこの町を出る予定だったんですから、ひとりにバレたぐらいじゃ仕事にも影響はねーでしょ」
「…え?」
サラリと言った言葉に思わず口から声が漏れた。ふたりが揃って俺を見る。いやそれよりも今コイツすごいこと言わなかったか?
「沖田…お前町出るのか?」
「あれ?言ってませんでしたっけ?」
「ンなの一度だって聞いてねーよ」
激しく自分がその言葉に動揺しているのが分かる。
居なくなる?出ていく?誰が。お前が?嘘だろ。
想像もしていなかった事実に背筋がヒヤリと冷たくなる。
正直に嫌だと思った。
この3週間、少なくとも俺にとっては毎日が変化だった。鮮やかに色付いた日々が、沖田の一言で急に色褪せていくような気がした。
イヤだ。
子どものようにまた思う。ギュッと拳を握りしめる。
ふと視線を上げると沖田が無表情にこっちを見ていた。
「元々こんな仕事をやってるんだ。一ヶ所には止まれねーんでさァ。本当は他人と深く関わるのもご法度なんだけど、なんでかアンタとは毎回会っちまって」
「……」
「俺もいけないとは常々思ってたんだけど、なんでかなァ。アンタと話すの、結構楽しかったです」
なんだそれ。まるで別れの言葉みたいじゃないか。そんなの、聞きたくない。
気付けば次の言葉は自然に口を突いて出た。
「俺も行く」
「………は?」
「俺も連れていけよ。その為だったらなんだってやってやるから」
「…アンタ、マジで言ってんですかィ。だから俺たちは影だって―、」
「だからなんだって言うんだ。なんだってやってやるって言ってんだろ。影でも殺人でもなんでもやってやるよ」
沖田は俺の強気の発言に口をあんぐり開けて固まっていた。銀髪天パー野郎は死んだ目で俺を見ているだけで何も言わなかった。
(どうだ)
ふたりとも口を開かない。俺は言ってやったとばかりにニヤリと口角を上げる。
暫くして腕を組んでいた天パーが「って言ってるけど?」と沖田をこついて促せば、沖田は今までの息を全て吐き出すようにはぁと大きなため息をついた。そしてくるりと背を向けると部屋の奥に行こうとするものだから焦って俺は声を投げる。
「おい沖田ッ!」
「アンタの冗談には付き合っていけやせん。さァ旦那、早く準備しねーと冷蔵庫のチョコ全部俺が食っちまいやすぜ」
「食ってもいいけどそれ賞味期限切れてるぜ」
「マジでか」
俺の発言なんかなかったようにいそいそと(いや銀髪はゆっくりだが)荷物を纏めている。
くそっと俺は舌打ちをひとつした。
言う前からこっちが分が悪いのはわかっている。俺にはコイツと離れたくないという願いがあるがコイツらには俺を連れていく謂れもメリットもない。何か、何かコイツらに俺を連れて行かせるようなメリットを見つけなければ。
必死に頭を働かせる俺を他所に沖田たちは少ない荷物を纏め終えて、次はどこにしましょうかなんて話し合っている。
日が出る前に出ますかィ?
ふと沖田が何気なく呟いた言葉が引っ掛かった。
「出るって、今からどう出る気だよ」
問うと沖田は思いっきり人を馬鹿にしたような目を向けてきた。
「どうって勿論役人の目を盗んで堂々と門から出ていきやすけど」
「こんな時間にか?」
「日が出てからよりも夜の方がいいでしょうよ」
「そうじゃなくて、もう開門の時間は過ぎたから今から町を出るなんて不可能だぜ。絶対」
「……は?」
この町にはちょっと特殊なモノがある。それが外と町をつなぐ門だ。
普通門には役人がふたりばかり立っていて、かがり火を元に町の外と町に入る者を見張っている。入る者は念入りにチェックするが、一度入ってしまえば割と寛容だ。だから町から出る時はそれほどチェックもどこの誰だとも催促もされない。
この町も数年前まではそうだったのだが、西洋との繋がりをもってからは生活の進歩とともに物騒になった。異国の人間がだんだんと住むにつれ、恐れるように町人が去っていく。
このままでは異国の人間たちしか居なくなると危惧した町の地主が、夜逃げや住人が去るのを防ぐ為に町への出入りを念入りに見張るようになった。一種の病気のように病的なものだった。
特に夜は門の見張りがひとりやふたりなんてものじゃない、塀を取り囲むように役人が配置されて犬もいる。はては異国より取り入れた警報器や防犯カメラなんてものも要所に応じて置かれているらしい、日が昇っている間も行商人か通行手形を持っている者しか出ることが出来ない。
入るのは容易く出るのは不可能、まるで監獄だの噂されるほどの町なのだ。
そう説明すると沖田と天パーは分かりやすくぽかーんとしていた。聞いたことがない今知りましたという感じの顔。
しめた、俺はニヤリと口角を上げる。
「俺手形持ってるけど、どうする?話次第では貸してやらねーこともないけど」
どうやら俺にもまだツキはあるようだ。チッと舌打ちをする沖田を見て、俺は勝算を確信する。
「よろしく」
手を差し出すと、暫くして手を握り返された。やっとこの手を掴んだのだと思った。
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その後俺は町を飛び出し、(沖田が折れたとも言うが)沖田と銀髪の坂田と行動を共にすることになる。
馬を走らせ慣れ親しんだ町を後にした。
思い出という思い出もない町ではあったが、二度と戻ってこないだろうと思うとそれなりに別れ惜しくもある。
でもそれよりも目の前に広がる明日が楽しみだった。もう駒じゃない、俺は俺として生きるのだ。そう思うとどうしようもなく胸が高鳴る。
しかしまさかまたこの町に戻る日が来るなんて、この時俺は夢にも思っていなかった。