天落ちるるはそら


 影というのは一般的に知られている通り、主を無くした忍びの集団のことを言うらしい。けれどあくまで総称なだけで、影全体で動くことはないのだと沖田は言った。

「元々流派も考え方も違いますからね。一緒に行動してもいざこざが起こるだけなんですよ」

 そんな話をしたのは町から町への移動の最中のこと、次の目的地まで距離があり、野宿になった時のことだった。
 お前はどこかに仕えていたのか?と問うと、沖田は焚き火をつつきながら首を振った。

「いーえ。俺は偏屈なジジイに忍術とか仕込まれただけの、どこの里にも所属してないフリー忍者なんでさァ」
「あいつは?」

 焚き火に背を向けるようにして寝転がっている天パーを顎で示して問えば、沖田はああと肩を竦めた。

「知りやせん」
「知らないってお前…」
「旦那、話してくれないんですよ。その話になるといっつも逸らされちまう。でもああ見えて多分良いとこの出ですぜ。腕は確かだ」
「へぇー。コイツが、なぁ」

 言われて改めて見やる。
 しかしやはりデカイ体たらくな体が横向いて転がっているだけで、腕が良いと言われても実感はいまいちわかなかった。まあコレを尊敬しろと言われても土台無理な話だが。
 坂田にしろ沖田にしろ、本当に人っていうのは外見で判断出来ないものだとつくづく思う。
 坂田から沖田に視線を戻すと、ちょうどこっちを見た沖田と目が合って沖田がにやりと口角を上げた。

「まあかくいう俺もフリーにしちゃ結構名が売れているほうですぜ」
「ふーん」
「だからアンタは俺の下僕になるんでさァ」
「なんでだよッ」

 その時は軽く聞き流したその言葉を、暫くして俺は目の当たりにしてそして知ることになる。



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 ドサリ。
 コイツは目に見えないハサミでも持っているんじゃないだろうか。見る度見る度そう思ってしまう。

 沖田が手に掛けた人間は皆糸が切れたように体が崩れ、声も上げずに死んで逝った。
 沖田に貰った(俺にはコレがお似合いらしい)蛙の面の、小さく空いた穴から見える残虐な光景はどこか遠い世界のようにも思えた。

 白い狐の面を被った少年がひらりひらりと重さも気配を感じさせずに相手に近寄り、そしてあっという間に命を奪い取ってしまう。
 最初は寒気がしていたそれも言葉は悪いが慣れてしまえばどこか曲芸のようにも見ることが出来た。

 後ろに立ち、相手が気配を感じて振り向いた瞬間喉元に刃を横に咬ませる。そしてグッと力を入れてもう一段階深く食い込ませる。その状態で相手の体の周りを動くように足を運ばせると、約180度行ったところで小刀を横に一閃するのだ。体の反動でよく斬れるらしい、血潮が噴水のように壁を床を汚した。
 肩の上に飛び乗り後ろから首を刺す、身長差を利用して下から上へと腹に刃を食い込ませ抉る、沖田が見せる忍びの技は俺を魅せて止まない。

 これが俺の生きる道なんですよ。
 刀についた血を払いながら、絶命したターゲットを見つめ沖田は無表情にそう言った。(と言っても狐の仮面を被っているから顔なんてわからなかったのだが、少なくとも俺にはそう感じられたのだ。)
 狐がふとこちら向いてことりと首を傾げる。

「アンタにはこの光景が非現実的に見えるんでしょうね」
「…え?」
「怖いですかィ?」
「――…、」
「まあ非現実と言えば非現実ですけどね」

 いや、むしろ。

「でも俺にはコレしかないんです」

 そう言って背を向けるその姿が、綺麗に見えた。
 そう言えばどんな反応をしたのだろう、けれどなんとなく、面の穴から見える亜麻色がひどく小さく見えて、俺は何も言えなかった。



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 沖田が歩いて行く。その後ろを着いて行く。
 たどり着いた先は何てことのない河原で、沖田はそこで寝転がるとアイマスクで目を覆いうたた寝を始めた。
 沖田は今日オフらしい。変わりに坂田は仕事で朝から居ない。
 沖田と坂田が共に仕事をすることは稀のようだ、よほど手に終えない依頼の時しか動かない。少なくとも俺が着いてきてからはそんな任務もなく、ふたりが同じ任務で動く姿は見たことがなかった。
 何故ふたりでやらないんだと問えば、沖田も坂田も口を揃えて言う。
 俺は完璧なのに、なんでわざわざ相手の手を借りなきゃなんねェんだ、と。
 自信満々の口調に言ってろと呆れもするけれど、腕が確かなだけに何も言えなかった。

「大概アンタも物好きですねィ。今日はアンタも休みなんだから、どっか行って遊んで来たらどうです?」

 寝る沖田の隣に腰を下ろしてぼんやりと川の水を眺めていると、寝ているとばかり思っていた隣から声がした。見やると相変わらず人を馬鹿にしたようなアイマスクを付けて、沖田が顔だけをこちらに向けていた。落書きみたいな目で見られてなんか気が抜けて、ガックリと肩を落とす。

「別に町を回ったってどこも似たようなモンじゃねーか」
「アンタ冷めてんな」
「ほっとけ」

 河のせせらぎをバックに、沖田が呆れたような溜息をひとつ吐く。

「そんなに暇なら旦那に着いていけばよかったじゃねーですか」
「アイツとは馬が合わねェんだよ」
「なんで?」
「アイツはいけ好かねー」

 けっと吐き捨てると、意地っ張りですねィと沖田がけらけら笑った。

「アンタも旦那も似てやすからね。同属嫌悪ってヤツですか」
「あ゛?どこがだよ」
「いろいろでさァ。旦那とアンタ、気が合ってると思いやすよ。まあ俺とアンタは真逆ですけど」
「………」

 笑ってどーでもいいように言う、そんな沖田に少しイラッとする。
 俺と坂田が似ているというのに坂田と沖田は仲が良くて坂田と似ている俺とお前の気は合わないっていうのはどういう意味だ。それって遠まわしに俺と相性が合わないって言っているようなモンじゃないのか?俺は坂田が沖田と親しげにするのにも腹が立っているというのに、コイツは人の気も知らないでこの能天気さ。俺がどれだけ頭ん中で素数を数えているのかもコイツは知らないんだ。

 一度考えると苛立ちはそう易々と収まるところを知らないから厄介だった。
 ふつふつと浮かんだ不満に言うつもりがなくてもこの際だからとつい口が開く。

「なあ沖田。俺、お前に名前呼んでもらったことないんだけど」
「へ?」
「名前。口にしたのも初めて名前を教えた時ぐらいだし」
「…そうでしたっけ?」
「そうだよ」

 不貞腐れたように言った。実はコレもずっと気になっていた。拗ねた子どものような俺がいる。
 沖田は俺の名前を呼ばない。坂田のことを旦那と言うぐらいだから名前を呼ぶ習慣がないのかもしれないが、それでももう共に生活を初めて1ヶ月は過ぎた。なのにいつまでもアンタでは不満になるというものだ。俺はお前に、呼んでほしいというのに。

 安易に(いや堂々と?)呼べと催促すると、暫く間を老いて沖田がアイマスクをちょいっと上げて複雑そうな顔して俺を見た。そして信じられないことを言ってのける。

「……アンタ、名前何でしたっけ?」
「…は。マジで言ってんの?」
「まあ、結構真面目に」
(信じられねェ…)

 俺は傍目に分かる程脱力する。怒りを通り越して呆れた。
 普通これ程行動を共にしている人間の名前を忘れるものだろうか。
 いや忘れたとしてもその時点で聞くものじゃないのか。それを、お前、忘れたって…。

(なんだよ、それ…)
「もういい」

 ぶっきらぼうに吐き捨て立ち上がる。追いかけてくる沖田の視線を感じたが無視した。
 暫くひとりになりたくて背を向けると、小さく不貞腐れたようなどこか怒ったような声が落ちた。
 アンタだって俺の名前呼ばないくせに、と。

 それすらも無視出来たのならよかったのだが、俺のアンテナはどうもコイツの声だけは敏感に拾い上げてしまうらしい。
 せめて不機嫌そうな顔を作ってぶっきらぼうな声を出して見下ろす。

「いつも呼んでんじゃねーか」
「あり?聞いてたんですかィ?さすが地獄耳」
「聞いてたんじゃなくて聞こえたんだよ」
「何怒ってんですか。言葉のニュアンスが違うだけでしょ。まァいいや、特に意味はないんで気にしないでくだせェ」
「ンだよそれ…」

 沖田は言うだけ言うとアイマスクを下ろして本格的な昼寝モードに入ってしまう。
 消化しようのないモヤモヤが広がって自然と眉が寄る。たまにコイツは訳の分からない独り言を言いやがる。
 もういいと足を踏み出したところで、さっきの沖田の言葉をふと思い出した。
俺の名前呼ばないくせに。
 口を湿らせて、なんとなく呟いてみる。

「総悟」
『そーご!』
「…ッ、」

 口を出した瞬間何かが頭の中で弾けて広がった。一瞬グラッと世界が歪んだ、と思ったら本当に世界が回って倒れた。
 頬に草の感触を感じる。記憶はそこまでだった。

 慌てて駆け寄ってきた沖田が俺をなんと呼んでどんな顔をしていたのかも俺には分からない。
 俺に分かることと言えばその時記憶の片隅で、まあるい頭をした子どもが手を振って俺を呼んでいた。