鬼灯
あれから幾ばくかの時が流れたが、それが人間の暦でいうどれほどのものなのかは分からない。永遠を生きると言われる鬼にとって、月日なんて無意味なものだからだ。
それでも数えていた、総悟と離れてからの年数の線は三本木に刻まれて止まっていた。途中で馬鹿馬鹿しくなったからだ。数えてどうなるというものでもない。それでもふと思い出してしまうから厄介で、思う度俺は、どれだけあの時が気に入っていたのかを知る。
「相当心酔だな。まるで人間みたいだ」
片目の鬼はそう言ってからかってきた。反論はしなかった。
俺もそう思うからだ、鬼が薄れた。
だから必要最低限しかしなかった人狩りに、俺は誘いがあれば必ず参加するようになった。
その時だけが何も考えずに済む、俺が鬼だと再確認出来る。暴れることで気を紛らすことが出来た。殺す奴の顔を見る度総悟と同じ人間、という邪念は面白いぐらいに沸なかったし躊躇もしなかった。そこはしっかりと割り切っている俺も大概現金なやつだ。
狩りに出て喰って寝て、全く変化のない日常を繰り返し、気付けば季節が移り変わり冬になっていた。
「なんでも鬼を殺しまる人間がいるらしい」
噂が巡ってそんな話を持ち込んで来たのは一体誰だったか。
酒を交えた会合の場で一時水を打ったように静まり返り、次いでどっと沸いた。
「なんだその話。どうせ肴にするもう少し真実味のある嘘を吐きやがれ」
「まったくだ。ちっとも笑えねェ」
「嘘じゃねェって。本当だって!噂じゃ西下の奴等は全滅したって話だ」
膝元をパンパン叩きながら笑われてもそいつは引き下がることがなかった。
「なんだ?じゃあ西下を仕切るなんとかも殺られたっていうのかよ」
「ああ。首カッ切られて死んだよ」
「………」
また静まり返って、今度は誰も笑わなかった。
「ほんとかよ」
嘘だろと続きそうな声にそいつはひとつ黙って頷き返した。話によればなんでも凄腕の剣士がいるらしい。帝の元に結成した一部隊の中のひとりで、破魔の剣を持っている。鬼は頭を潰さないと死なない、けれど破魔は別だ。どこを斬られても死に至る。
破魔、その言葉が出てきてようやっと現実味が帯びてきたらしい。誰も笑わず声を上げなかった。
「上等じゃねェか」
そういう時の強気は頼もしいものだ。
「その帝の部隊とやらも、いつかここにも来るだろうさ。その剣士をぶっ殺して、破魔の剣を叩き折ってやろうぜ。そうすればここは俺たちの世界じゃねェか」
うぉォォォオッ!!
感化されて鬼たちが叫ぶ。場が一気に高まった。
みんなが総立ちになって酒を抱える中、俺はひとり天日干しした魚を食べていた。なかなか噛みごたえがあっていい、魚なんて食べる奇怪な奴は俺しかいなくて、部屋の隅はがらんとしている。これがあの子どもの影響かは分からない。
「鬼を殺しまくる人間ねェ」
その俺を構う変な奴もいるわけで、片目の鬼は珍しく愉しそうに笑っていた。妙にその様が気になったが、酔っているのだろうと思って片付けた。
「クク、そいつと交わる日取りは決ったみたいだぜ。楽しみだなあ、勿論お前も参加するだろ」
「ああ」
そうかとケタケタ嫌な笑い方をする、上機嫌な片目。変には思ったが疑いはしなかった。
「なあ、あの子どもには会いに行かないのか?」
「…行かない」
片目は今日もその台詞を言ってきた。挨拶代わりのように会う度に何度も聞いてくる。俺は総悟ともう二度と会わないと決めたのだ。アイツは人間で俺は鬼、交わることのない種族。
なんと言われようとも、会ってはいけないのだ。また己に言い聞かせる、煽った酒は強くて咽が焼けた。
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聴力も視力も嗅覚も、鬼は人間より優れている。作りが違うのだ。
だから向こうがどんなに上手く隠れたつもりでもこちらから見れば丸見えだ。息をしてもバレるんだ、鬼に奇襲なんて無意味極まりない。そう信じていた。
「クソッ、ちょこまかとしやがって!」
さすがに温厚な俺でもキレるというもので、鬼狩りが開かれているというのに恐ろしいほどの静けさがこの森に降りていた。人為的な静寂ほど不気味なことはない。なんとも言い難い空気がピリピリと流れている。胸クソ悪い。
帝の元で結成された部隊はさすが先鋭部隊というべきか、下手に攻めては来なかった。変わりにコソコソと突っついてきやがる。遠くから銃撃してきたと思えば獣の皮を被って臭いも姿も消して隠れんぼだ。クソ!
しかも元から俺たちを仕留める気はないようで、無鉄砲に撃って隠れてとただ弱らそうとしているみたいな戦法だ。どうやら始末は破魔の剣を持つ人間ひとりに任せる気らしい、極上の餌が近寄って来なく苛々する。獲物はどこだ。血眼になる俺も立派な快楽殺人者かもしれない。
と、そんな折にひとつの水音が聞こえ、反射のように足が駆けた。居る、そこに何かが居る。動物だろうが人間だろうが関係ない、ただ血が見たくて仕方がなくて俺の欲が暴れている。うずうずした、気が焦って仕方ない。口元が勝手ににやけた。
血の臭いがしないのは川に溶け込んでいたからだ。否訂正する、溶け込んでなどいない、赤黒い血がだらだらと絵の具のように川を汚している。
浅い川に沈み込んでいるのはふたつの鬼だった。名前までは知らないが、そう弱い奴等ではなかったはずだ。傍らには刀を携えている人間が立っている。狐の面を被った思ったよりも細身の、まだ年若い人間のようだった。気配がまるでないのがいっそ不気味なほどだった。
草むらから様子を俺は窺う。気付かれていない今なら容易く仕留めることが出来そうだ。遠目から慎重に近付く、今だと飛び込もうとしたその瞬間。
やっと、気付いた。
(まさか……)
あの髪の色。面で隠されていない後ろ頭。微かな風にもそっとたゆたいさらりと流れる髪。
重なって同じだった。あの日、触ってみれば水のように流れたあの髪と。姉と同じなのだと自慢気に笑っていたあの色と。
重なって、俺を揺さぶる。
「……総、悟」
願いのように呼んだ。
届いて振り向く狐は、ゆっくりと体の向きを変える。長い時間のように思えた。人違いであってくれと願う。総悟がこんな場所に居るはずがない。
俺の頭に思い描いていた総悟が流れた。あの大男と共に長閑かに暮らしている子ども、それともひとりで逞しく生きているのか。結婚しているかもしれない、それぐらいの年月は過ぎたはずだ。ずっとずっと遠い世界に描いていた。それなのに。
「やっと会えた」
狐の面をするりと外し、現れた顔は思い描いていたそれだった。
なんで、なんでこんなに何もかもが簡単に壊れるんだ。
動くことが出来なかった。破魔の剣が体を貫き総悟の顔が変わるその時まで。
総悟は笑っていた。