鬼灯
痛みを感じる。
ずきずきと痛む。
腹から出てくる血は止まることを知らなくて、初めて味わうような痛烈な痛みに奥歯を噛み締めた。けれどそれ以上に何かが胸を掬っている。目の前の人間を睨むと総悟は破魔をスラリと俺から引き抜いて一閃横に薙いだ。
「久しぶりですねィ。あの時はどうも。どうやら俺のこと覚えているみたいで安心しやした」
「……総悟、」
「あー心配しなくてもいいですぜィ。確かにここら辺の鬼の殲滅を命じられているけどアンタには一応恩義がある。殺しはしねェよ。そこで倒れてたら誰も気付かねェ」
「…総悟、なんでこんなことを」
苦し気にうめいても、総悟はふっと口端を歪めるだけだった。
残像のように昔の総悟が浮かんで消える、これが本当にあの総悟か?夏空のように澄んだ目はギラギラと突き刺すように淀んでいた。血に飢えた獣のように鋭い。ポカーと何考えてるのか分からないアホ面、けれど日だまりのように温かい気配とまるで違う。重なるようで重ならない、けれどこれは確かに総悟だと、俺が言っている。分かりやすく混乱していた。分からない。これは誰だ。
「何故かって?アンタも変なことを言いやすね」
俺は人間ですぜ。天敵の鬼を殺して何が悪いんです。理解して納得したことをこんな形で混ぜ返されて抉られる。そうだお前は人間だ。だから元の世界に返した。けれど。
「総悟、それは本音か?」
「当たり前でしょ」
「嘘つけ。これは変わってないんだな。嘘つくとき手を握る癖」
「………」
刀とは別の手がギュッと握られていた。指摘されそれをゆっくりと開いて、ぐしゃりと前髪を掴む。言い当てられた一瞬動揺を隠しきれず目が潤んでいるのも変わっていなかった。変わっていない、今ならまだ間に合う。自分が何を言い出そうとしたのかは分からないまま口を開こうとした。しかしまいったなあと笑う総悟の声に遮られて。
「そんな癖あるなんて知りやせんでした。誰にも言われなかったもんですから。確かに、人間だからアンタたち鬼を殺すなんて建前に固執したことはありやせんね」
「じゃあどうして」
「鬼の血を飲ますと人間を鬼に出来る、でしたっけ」
総悟は破魔に付いた血を舌でベロリと舐めると、眉をしかめてペッと吐き捨てた。無造作に口元を拭ってにっと笑う、その笑い方が誰かと似ていてハッとする。
「…まさか。あの片目になんて言われた…!」
「何も。ただ別のやり方もあると聞きやした」
「別のやり方…?」
「鬼を千匹殺せばいいんだと」
千匹殺してその血を浴びれば、鬼になれる。
夢うつつのように告げて総悟はどこかうっとりと微笑う。
鬼…?鬼になってどうするつもりだ。尋ねたいことはしっかりと顔に出ていたようで、言葉になる前に総悟がふっと目元を緩ませた。穏やかな表情のはずなのに目に光が宿っていなくて不気味だ。ゾッとする、見覚えがなくて。
「考えてもみてくださいよ。俺ァ鬼のアンタに少しの間でも面倒みてもらった身だ。他の奴等より鬼ってモンに親しみがある。身の危険を感じるっていうなら俺はあん時人間に殺されかけたんだ、人間に不信感を抱いたって可笑しくないでしょう。しかも鬼は力も生命力も強い。どっちが魅力的なのは一目瞭然でさァ」
総悟の手はどちらも握られていなかった。嘘ではない。逆に本当に心からそう望んでいるのだと言わんばかりの顔で、俺は何も言えなくなる。言葉から察するに確かに総悟がそう感じるのも不思議ではない。ボロボロに倒れていた子どもの姿がさっと蘇る、あの時あと少し遅ければ死んでいたかもしれない。理解する。分かる。でもそれはダメだと、強く叫ぶ俺がいる。
「止めろ、総悟。そんな眉唾物モン信じるんじゃねェ。手を引け、今ならまだ間に合う」
総悟の顔がさっと変わった。
「なんでアンタにそんなこと言われなきゃなんねェんだ…!」
濁ったふたつの青が怒っていた。破魔をギッと握り今にも斬りかかってきそうだ、けれど俺は逸らさずにじっと総悟を見つめる。ここで逸らしたり逃げたら負けなんだ。言い聞かせる、わかってほしくて。
先に視線を外したのは総悟だった。ギュッと下唇を噛んで俯く、ガタガタと破魔が揺れた。
「なんで、なんでアンタにそんなこと言われなきゃなんねェんだ…!俺はただッ」
俺はただアンタと一緒に居たいだけだ。
叫びは。
一発の銃声と共に掻き消えた。
ゆったりと総悟の体が倒れ、膝を付いて腹を押さえる。
赤い血が溢れ出していた。
ゲホゲホと噎せる子ども、呆然と見やる中視界に映った人間の姿。
ああ誰か何か言ってくれ。どうしてこんなことが起きるんだ。
(殺してやる)
衝動の矛先はたった今総悟に銃口を向けた人間の群れへ。俺は駆けた。ただどうしようもなく、目に映る全てを壊したかった。