鬼灯
ハッと我に返ったのは雨が降り始めたからだ。辺りは血の池で其処らへんに無惨な肉の塊がどぼどぼと落ちている。突然の豪雨と共に雷が鳴った。俺は何をしようとしていた。呆然とする。
「へッ。前々から人間じゃねェと思ってたんだ。鬼の仲間じゃねェかと踏んでいたが、どうやら当たりだったようだな。鬼と仲良く話しなんてしてやがって、ビンゴだぜ」
足下の人間が掠れた声でうめく。だから撃ったというのか。耳障りで仕方がない。足でソイツの頭を踏み潰して俺は踵を返した。
「総悟ッ」
そうだ。人間なんて殺している場合じゃない。
雨に打たれあの日と同じようにぐったりと丸くなって地面に倒れている総悟に駆け寄る。浅い息が気になった。あの時よりも息がか細く体温が低い。ヤバいと本能が告げる。総悟を横抱きに抱えて俺は立ち上がろとした。けれど。
「どこ行くんでさァ」
ぐいっと袖口を引かれて止まる。虚ろな目をした総悟が掠れた声で言った。
「どこも行かねェよ。ただお前を運んで行くだけだ」
「はは、そんな嘘は通用しやせんぜ。また俺をどこかに放るつもりでしょ」
「総悟」
袖口の手を外そうとしても頑なにギュッと握って外せなかった。それ以上に総悟の言葉が俺に突き刺さってイタイ。違うんだ、そうじゃない、俺はお前が大切で生きて欲しくてそれで。…そんな弁解がどう通用するのだろう。言い訳だ。俺は確かにあの時逃げた。
時間は感傷の暇さえ与えてくれない。雨の音が辺りを支配する中、総悟の咳が一際大きく響いてハッとした。袖口の手をもう一度外そうとすると今度は簡単に外れて、ずるりと地面に落ちて水が跳ねる。荒い息が聞こえる。イヤだと何かが叫ぶ。分かりたくなんてなかった。この子どもが死ぬなんて。
(考えたくもない)
「鬼になったらアンタといられれると思ったんですよ」
とにかく雨を凌ぐために総悟を運んで木の下へと移動した。不思議だった。雨にも消えそうな声のくせにしっかりと俺の耳に届いたその声が。不思議で、たまらなくて、ゆっくりと総悟を抱き上げて後ろから手ェ回して抱き締めた。首元に顔を埋めると、ははっと総悟が弱く笑う。
「なんでィ。抱き枕かよ」
「…まだ寒いか?」
「いーえ。おかげさまで」
ぶるりと体を震わせて言う。
お世辞が言えるようになったのは成長した証かそれとも単に天の邪鬼だからだろうか。
寒くないはずがない。逆に火傷しそうなぐらい俺のほうが熱いくて、そのまま燃えてしまうんじゃないかと思って止まない。発熱しているのに寒いと言う、それが何を意味しているかなんて。
「俺ね、隊の中じゃ鬼神って呼ばれてたんですぜィ」
すごいでしょ。誇らしげな総悟の声は、密接した体から直接聞こえてくるようだった。じんわりと胸の中に広がってパチンと弾ける。シャボン玉のように儚く弾ける。消えるな、願っては。
「…ああ、まいった。アンタの姿が見えないや。そこにいます?」
「……いるよ。ここにいる…」
「アンタ来るの待ってたのに」
「うん」
「なんであの時置いていったんですか」
「…ごめん」
「…気持ち悪ィ。アンタさっきから謝ってばっかりだ」
へっと笑うと急に噎せて血を吐いた。赤い血だ。赤黒い血。俺の手にもかかった。
するとふっと血の臭いが鼻を刺激してごくりと喉が鳴る。口が渇いてしょうがない。ヤメロ、考えるな。総悟は餌じゃない。
拳をギュッと握って理性を保つ、爪が食い込んで血が出た。ヌルッとする。それでも騒ぐ奥底の本能。
ヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロ。…拳に、あつい手が触れてハッとした。
「へへ、いろいろ言いたかったのにいざとなると出てこないもんだなぁ」
「総悟、」
「ああそういえばアンタに名前呼ばれるの、結構気に入ってた」
俺も呼びたかったな。
呟いて。
雨に溶けて。
それが総悟の最期の言葉だった。
ガクリと力が抜けて前屈みに倒れそうになるからギュッと力込めて抱き締める。
まだあたたかい、冷たくなんてない。けどもう鼓動が聞こえない。灯火が消えたのだ。今この瞬間に。
「………鬼神、か…」
嬉しそうに言っていた、鬼の呼び名が付くなんて人間の間じゃ決して喜ばしいことじゃないだろうに、それでも総悟が嬉しそうに言っていた。
ああ今日が雨でよかった。この涙も誤魔化せる。なあ、総悟。鬼でも泣けるらしい。
遠くで子どもの声を聞いた気がした、けれど雨の音しか聞こえないまま。