死神そーご
冗談じゃねえ!
三日月のようにギラリと鈍く光る刃が、不気味に輝き闇夜に弧を描く。
幻想的な光景も土方にとってはただの恐怖でしかなかった。逃げろ。逃げなければ殺される。本能がそう叫んで、土方は訳も分からずそれに従い必死に逃げた。
ジャリジャリと足元で砂利が鳴る。しかしその音も己の音だけだ。砂利の音もなくぬっと闇から現れては刀を振るってくる不気味な少年から土方は逃げ切れる気がしなかった。
何気ない日常が幸せなんだと、誰かが言っていた。ふと思い出す。人生いつどこで何が降りかかってくるか分からないのだと。
(けどこれはいくらなんでも突拍子がなさすぎるッ!)
吠えても誰も聞いてくれる人間などいなかった。
酒を飲んで酔っ払って川岸に来た。そこで何かの石碑を見つけた。その前でちょっとぼやいて、いざ帰ろうとすれば目の前に少年が立っていた。死神だと名乗る。いきなりのことにただ呆然としていると、少年が腰に差していた刀をするりと抜き襲いかかってきた。何を言っても聞きやしない。年下の身形をしているくせに、足が縫い付けられるような気迫があった。
土方も多少武に通じているからこそ分かる。真剣だった。コイツは本気で俺を殺そうとしている。
土方は気を抜けば震えそうになる足を叱咤し、駆け出した。
追いかけっこが始まったのはそれからだ。
体を捻り足が縺れて倒れそうになりながらも体勢を立て直して駆ける。道場でガキたちを相手にしていた鬼ごっこがこんなところで役に立つとは思ってもいなかった。
息が切れ切れになりながらも逃げていると、何十刀目かの殺意を避けたところで相手が舌打ちをするのが聞こえた。
そしてガチャリと、夜に不似合いな音がする。
なんだ?と走りながら振り向くと、ソイツが黒光りする筒状の何かを肩に乗っけてその矛先を俺に向けていた。
(え、アレって……)
冷や汗が気持ち悪く頬を伝って呆然と見つめる先で、それが火を吹く。
白い尾を描きながら飛んでくるのは生まれて初めて見た、
「おいおいマジかよ…つーかそれ反則だろうがァァァああああだッ!!!」
叫びながら土方は石に躓いて顔面を地面に強打した。河原の石が顔にめり込んで土方は体をくの字に折り曲げて悶える。痛すぎた。
しかし空気を裂く音にバッと顔を上げるとちょうど真上をミサイルが通り過ぎるところで、土方は息を飲んで咄嗟に頭を抱える。
目標を失ったミサイルはそのまま軌道を修正することなく川に落ちた。
ドンッ!と太鼓の播が破裂したような鈍い音が鼓膜に響く。そして顔を上げて目に飛び込んできた光景に土方は目を瞠った。
そこら辺の家よりも高く水飛沫が上がっていた。津波かと思ったほどだ。
呆然とする中、どしゃ降りの雨のように川の水が降り注いで土方は一瞬でびしょ濡れになった。
ポタリポタリと髪先から滴が垂れる。ぱちぱちと目を瞬く。頭が冷える。あーあと感情のない平坦な声がして、目線の先に草履が入ってきて顔を上げると、どこまでも済ました顔のガキが居た。
「アンタが鼠みてィにチョロチョロ逃げるんで、俺ァ疲れましたよ」
「お前、俺を殺す気かッ!」
「何言ってやがんでィ。当たり前でしょ」
少年は俺を見下ろしたままトントンと刃の反対で肩を叩くと、スッと勢いよく刀の先端を土方に向けてきた。思わず息を飲む。少年は冷ややかに言った。
「俺が此処に居てアンタが目の前に居るってェことはだ。アンタが死ぬってことと同意ですぜ。さっきも言いやしたが俺ァ死神なんで」
「んなお伽噺のようなこと信じられるかよッ!」
「…やれやれ。自分で望んだくせに、アンタもイザって時になって怖じ気づくタイプですかィ。呼び出されてわざわざ出てきた俺の身にもなれってんだ」
少年は心底めんどくさいと言わんはがりの口調でそんなことを言う。この理解し難い現状を受け止めるべく土方の脳は少年の言葉を拾うのに躍起になっていた。この状況を説明出来るヒントがそこにあると思ったからだ。
しかし土方の耳が処理出来たことと言えば、「俺の身にもなれ」という言葉に「愚痴かよ」と突っ込みを入れることしか出来ない。それほど突拍子もないことだった。
これは夢かと土方は現実逃避気味のことを考える。そうだ、俺は酔ってどこかでぶっ倒れて夢を見ているんだ。そうでなければ何の価値もない俺が命を狙われている理由も、その命を狙っているのが自称死神と名乗るガキなのも説明がつかない。
しかし「それじゃあさようなら」と言って振り上げられる刀と少年の目は本気で、一瞬にして土方の楽天的な考えは吹き飛ばされる。そしてこれは現実なのだと背筋を流れる不快な汗がそう教えている。
伏せた格好のまま土方は今にも刀を降り下ろしそうな少年に向かって声を荒らげた。
「待て待て待てッ!ちょっと待てって!」
「待ちやせん。さようなら」
「その前に俺を殺そうとする理由を教えやがれッ!」
「だからそれはアンタが望んだことでしょ。それが間違いだったとしても、俺が現世に召喚されちまった時点でなかったことには出来ませんけどね」
「俺が望んだ…?」
はて。そういえば先程もこのガキはそんなことを言ってなかっただろうか。「自分で望んだくせに」と。
土方は頭をフル回転させて自分自身に問うてみたが死にたいと誰かにボヤいたこともなければ望んだことさえもなかった。
「人違いだ!」
「まだ足掻きやすか。見苦しい。俺の目の前にアンタが居た。それが全てですよ」
「だから俺はッ、」
「もう聞きあきやした」
柄を持ち変えて少年の目が猫のようにキュッとほそまる。殺される。土方は直感する。
刀が降り下ろされる瞬間土方は声のかぎり叫んだ。
「だから俺は死にたいなんて望んでねェェェええ!!」