そーご


 厄介なものがついてきた。
 神様は神様でも死の神だと言ったのガキは、出会ったその日から俺の家に住みついてちょっと笑っちゃうぐらい一日中をだらだらと過ごしている。
 俺の周りをうろちょろ付き纏ったかと思えば縁側や畳で昼寝三昧、最近は昼の2時にテレビの前で構えて再放送の連ドラを見るのが習慣らしく、しっかりと茶と煎餅を用意してスタンバイしている。
 ちくしょう、俺だって仕事じゃなきゃ見てーよ。妬みは飲み込みそれをため息に変えて、俺はうんざりする。
 とにかく、驚くほど死神は今の生活を満喫していた。


 何もしないのかと問えば猶予だと死神は言った。
 字が削れて読めなかったこと、その管理を怠った俺にも不備がある、だからそれらを全部ひっくるめて特別大出血サービス!配慮を兼ねて猶予をあげよう。余生を楽しみなせェとのことだった。

「ふざけんなッ!全部テメーのせいじゃねーか!」
「まァまァ。もう過ぎたことですから」
「いやいやそんな簡単なことじゃねぇよ。俺の命が掛かってんだよッ!」
「だーかーらー、一度持った使命は撤回できねェんだって」

 なんとかしろと噛み付く俺に対して、ガキはあーと口で言いながら両耳に指を突っ込んで聞こえない聞こえないと繰り返す。くっそ!マジで腹立つ!

 この何の変哲もない子どもが死神というのはかなり怪しいところだが、そこはしっかり身をもって実証済みだった。
 何かの折に糞餓鬼、と吐き捨てた俺は、次の日指一本動かせない高熱に魘され本気で生死の境をさ迷ったのだ。川向こうで手を振っていたのは去年亡くなったタバコ屋の婆さんだった。手に持っていたのは廃盤になった俺の趣向品で、ぶっちゃけて川を半分渡りかけていた気がする。トシィィィィ!と近藤さんの重いタックルをもらっていなかったら危ないところだった。
 信じがたいが俺はこのガキを本物の死神だと認めざる終えないようだ。熱に魘される俺に向かって死神はすっと二本の指を掲げて俺に言う。

「2週間。2週間だけ猶予をあげやす。それ以上は無理ですから、やりたいことがあるんだったらその間に片付けちまいなせェ」
「2週間…」
「そう。アンタの余生はあと2週間ってことです」

 淡々と言われて実感なんて大層なものが感じられるわけもなかった。だけど漠然と理解する。俺は、時限爆弾を背負子んだのだと。


 それを言われてから今日で3日目。2週間だと宣言された時は確かに焦りもあった。今の現状に納得していないこともあって、俺の中でますます「自分は何がしたいのか」と疑問と焦燥が渦を巻く。
 けれど。

(あの糞餓鬼の態度を見ているとンな焦りも消えるっつーの…)

 キャアキャアとはしゃぐ道場の子どもと近藤さんの姿を縁側に座って見つめ、俺は数えきれないため息を今日も落とす。
 空を見上げると頂点を過ぎた太陽があと少しで夕暮れに変わろうとしていた。また1日が意味もなく終わってしまった。以前と何も変わらない毎日を送っていると、俺の人生がどう転んだって世界は何も変わらないんだと心底痛感する。

(なんてちっぽけな存在だ…)

 感傷的になり、柱に頭を預けて俺は綺麗に晴れ渡った空を眺め黄昏れる。
 と、横から視線を感じて俺はうっすらと冷や汗を掻いた。ゆっくりと顔を向ける。目と鼻の先ででっかい目がじっとこっちを見ているものだから心臓が飛び出るかと思った。

「わっ!」

 だから俺は叫び声を上げて縁側からズテンと落ちる羽目になる。腰を思いっきりぶつけて一瞬息が止まる。
 声なき悲鳴を噛み潰して耐える俺を死神が呆れたように半眼で見下ろした。

「ッーー」
「あららァ。大丈夫ですかィ?」
「大丈夫なわけねぇだろこの野郎ッ!気配を消して近づくなって言ってんだろ!」
「ンなこと言っても俺ァ人じゃねェんで気配なんてありやせん」
「………」

 何を当たり前の事をと言わんばかりに言われて、俺は上手い反論が思いつかなかった。
 グッと言葉に詰まった俺を見て、死神はにやあと嫌に笑う。

「土方さんは面白い人でさァ。アンタはからかい甲斐がありやす」
「それ全然誉め言葉じゃないから」
「俺にとっては賞賛ですよ。それはそうと、アンタはあっちと混って遊ばねェんですかィ?」

 死神は男にしては細い手を伸ばして、鬼ごっこで遊ぶ近藤さんとガキを指差した。子どもたちが声を上げて逃げ惑い、それを熊のように両手を構えた近藤さんが追いかけている。
 子どもも近藤さんも無邪気に笑って遊んでいる。そういう平和で穏やかな光景を見るのは長閑かで嫌いじゃない。けれどそこに自分が混じった姿を思い浮かべることは出来なかった。俺は場違いだ。決め付ける。
 ふいっと視線を逸らす、そんな俺を見て死神は平坦な声色で言った。

「アンタ素直じゃねェですねィ」
「は?なにが?」
「アンタの余命は2週間しかねーんだからやりたいことは全部済ませばいいって話でさァ」
「…そのやりたいことが分からないんだって」

 拗ねたように言えば、死神はやれやれと肩を竦めて勿体ねェなァと呟いた。

「『第二条。但しやむを得ない事情により使命を譲歩した場合、例外を認める』。つまり本当は俺が喚ばれたその場で俺は願いを叶える(命を貰う)んですけど、アンタの場合はいろいろと譲歩する部分もあるってことで特例なんです」
「…前から思ってたけどそのなんとか条ってなんだ?」
「ルールです。俺たち神様は人の運命をどうにでも変えることが出来ますからね。無闇に能力を使えないように大神様が敷いたんです」
「…大神様?」
「俺たちを作った神様です」
「……あっそ」

 話がだんだん非現実染みてきてもうなんでもよくなってきた。
 はぁとため息をついて、胡座を掻いた膝の上に肘を乗せるとその上で頬杖をつく。死神はじっと虫を見るように俺を見ていた。近藤さんと子どもたちの賑やかな笑い声を背景に、俺たちは妙な沈黙を保つ。
 やがて死神は腰を上げるとギシギシと古びた床板を踏み鳴らして道場の中へと消えて行った。つまらなくて厭きたのだろうと特に構いもせず視線をぼんやりと宙に浮かべていると、いきなりガランッと上から物が降ってきてビクリッと肩が跳ねる。

 俺のすぐ隣に竹刀が落ちていた。その横に二本の足があって、下から伝うように上を見上げる。
 死神が立っていた。竹刀を握って俺を見下ろしている。

「どうせアンタ暇なんでしょ。ちょっと付き合いなせェ」
「は?」
「いいからいいから」

 死神は屈んで俺に竹刀を握らせると、そのまま腕を引っ張って俺に立ち上がるよう促す。コイツからの誘いなんて初めてで、俺は呆然となされるがまま竹刀を掴んで腰を上げ道場の中へと付いて行った。真ん中まで行くと死神は俺の腕を離して対峙する。手合わせしましょうとその口が言った。

「ドラマ見終わっちまって俺も暇してんでさァ。一本やりましょう」
「なんで俺が」
「暇でしょう?」

 そう言われてしまっては何も言い返せない。俺は確かに暇人だ。
 ボリボリと頭を掻く。ちらりと死神を一瞥したが空色の瞳が一心に見てくるものだからふっと息を零す。コイツは意外に頑固者だ。しょうがねえと竹刀を構えた。
 平和で穏やかな日常の音がいやに遠い。道場の中は日が差し込んでいるといっても静かで暗い。まるでこの空間だけが切り取られたような気さえしてくる。口ではなく鼻で呼吸を整えて集中する。竹刀と手を一本に考える。
 ピンッと糸が張ったような気配を感じた。死神の青い目が猫のように細まったかと思えば一瞬で距離を詰められる。

(ッ、重い)

 風のような一打を受け止めるが、それを振り払うことも体制を立て直すことも出来なかった。歯を食い縛って腰と足に力を入れて耐えるが、これはかなりヤバい。近藤さんのような力の重さではなく速さの重さだった。竹刀を噛み合わせたまま死神が顔を近付けて余裕の笑みを見せる。

「ただ勝負しただけじゃあ面白くねェ。どうです?何か賭けますか?」
「じゃあ俺が勝ったらどっか行ってくれんの?」
「それは無理ですねィ。願いは取り下げられやせん」

 受け流し竹刀を払い俺は反撃にでる。数打ちゃ当たるっていう言葉もあるぐらいだ。ひたすら打ち込み様々な角度を狙う、けれどどれも相手には届かず俺は歯痒い思いをする。死神は俺の太刀筋を簡単に受け止めもすれば、見切ったと言わんばかりに体を微かに動かし避けるばかりだ。

「負けたほうが勝った相手の言うことを聞くってーのはどうです?願いは取り下げられねェけど他のことは出来ますぜ。1日俺が家事を担当してもいいし、何ならアンタの変わりにガキの指導をしてもいい。どうです?」
「いいだろうッ」

 苛立つ俺に対して飄々とした顔の死神はそこでぬっと口元を歪める。

「言いやしたね」

 ダンッと踏み込む音が聞こえた――、俺に分かったことといえばただそれだけだった。
 気が付いた時には腹に鈍い痛みがあってあまりの痛さに俺は竹刀を手放して膝から崩れる。腹を押さえ込む俺を見下ろして死神は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。

「一本でィ」
「っ痛ーー」
「あんまし期待してなかったけど、意外とアンタ通った筋してやす。まァ実戦不足で隙が多いのが難点ですけどね」
(畜生…)

 普段よりも口がよく滑って俺は言われたい放題だ。元より勝ち負けに関しては熱くなるタイプである。何も出来ず負けたことが悔しくてたまらなかった。ってか本気で痛い。あの野郎手加減なしに打ち込みやがった。防具すら身に付けてない生身の相手になんてことをと気を抜けば潤んでしまいそうな目を根性で止める。

「それじゃあアンタが負けたんで俺の言うこと聞いてもらいやしょうかね」
「ちっ。テメー俺が賭けに乗るまで待っていただろ」
「さてなんのことやら」

 白を切った死神はニヤニヤと機嫌よさそうに笑って俺の前を通り過ぎると、道場を出て縁側に立った。そしてガキたちに向かって声を上げる。

「オーイ、このお兄さんがお前たちと遊んでくれるって言ってるぜー!」
「ちょ、お前何を、」

 慌てて死神の腕を掴んで振り向かせれば俺を見てにっと笑う。
「俺の言うこと聞いてくれるんだろィ」

 普通の子どもなんら変わらない笑顔に俺は言葉を失った。

「限りある命だ、一日を大切にしないとね」

 パンッ!と手が叩かれた、と思ったら次の瞬間俺は空中に浮かんでいてまっ逆さまに地面に落ちる。ドンっとまた腰を強打して息を詰めて泣きそうになる。勘弁してくれ。

 あンのクソガキッ…と俺が上体を起こすと道場の生徒たちが俺を囲んで見下ろしていた。
 子どもたちは宙から落ちてきた俺を不思議そうに見下ろしていたが、やがて「土方先生が鬼だ!」と無邪気に言ってきゃあきゃあと蜘蛛の子のように散ってしまう。今度は俺が呆然とする番だ。え?コレってもしかして俺が追い駆けるのかよと立ち上がってぼけっと成り行きを見守る俺だったが、いきなり弁慶を蹴られて本日何度目かの負傷。

「あ゛?!」

 涙目になって見やると道場の悪餓鬼が「やーい」と逃げていくところだった。

「こンのクソガキィィィィ!!」

 鬼ごっこなんて可愛いものじゃなくてもうこれは俺の中で戦争だ。全力でガキたちを追い駆ける。それをBGMに縁側に寝転がってうたた寝をしている諸悪の根元を、俺は死神じゃなくて疫病神なんじゃないかと半ば本気で思っていた。感傷も焦燥も黄昏れる暇もなく、俺はただ餓鬼たちを追い駆ける。その賑わいを聞いて死神の口元がふわりと緩んだことを俺は知る余地もなかった。