そーご


 朝昼晩。1日に3度、死神と手合わせをするのがここ最近の日課だった。
 待ったなしの3本勝負。その度に俺は容赦のない打ち込みを食らい敗者の名を課せられ罰としてアイツの言うことを聞かなければならないのだが、それでもこの賭け事に夢中になっていた。どうすればアイツに勝てるのか。暇さえあればそんなことばかり考えている。頭の中で死神の太刀筋を思い浮かべ、攻略のシミュレーションを組み立てる。こう攻めればどうだろう、この時に攻め入る隙はあるのか。起きて早々道場で竹刀を振るう。一戦を交えて負けて駄菓子の買い出しに走り、昼は門下生の稽古。それが終わり子どもと近藤さんが遊ぶ時間になればまた死神と手合わせをしてやっぱり負けて子どもという敵兵の中に落とされる。疲労困憊した体を引きずってご飯を食べてようやっと回復した頃合いに1日の締めくくりにと最後の勝負。1回目と比べれば俺もだいぶ食らいつけるようになったが、コイツの腕にはまだまだ及ばない。遠慮のない洗礼を食らって俺は死神の下僕になって自分より年下(いや神様だから年上か?)の肩叩きをきっちり5分間させられる。屈辱的だ。けれどそれが俺に勝ちたいという欲求を更に駆り立てる。ワクワクした。1日をこんなに長く、そして有意義に思ったことはない。
 縁側に寝そべって月を見ながら1日を思い返すのがここ2、3日で身に付いた習慣だった。
 近藤さんにも「最近のトシは生き生きしているな」と言われるほどだから、よほど俺は今の現状に満足しているのだろう。
 死神が朝と昼にカレンダーを見ながら「アンタの余生はあと9日ー」と楽しそうに笑う声さえなければ最高なのだが。

 そんな折、近藤さんの留守中に来訪者がやって来た。近藤さんと張り合うかそれ以上の大柄な男は、道場にズカズカ入ってくるなり稽古真っ最中の俺を睨んでこう叫ぶ。

「道場破りだッ!相手を頼む!!」

 突然の招かれざる客に俺も門下生のガキたちも呆然としていた。今の時代に、しかもこんな名もないおんぼろ道場に来るなんざ余程暇人なのだろうか。
 何も反応がないことに道場破りは明らかな苛立ちを見せた。直情型らしく眉を吊り上げて鬼のような形相をする。コイツがやかんだったら気持ちがいいぐらい沸騰するだろうと俺は暢気なことを考えていた。今は昼だから日向で昼寝をすれば絶対に気持ちがいいに違いないと半ば意識を飛ばす。
 が、不安そうな顔で足に抱きついた子どもがくいっと袴を引っ張るもんだから俺はぱちりと瞬きをして意識を呼び戻す。そっと周りを見やれば小さな子どもたちだけで、大人は俺だけだった。しっかりしろ十四郎。腰に手を当てため息を付くと、「道場主はただ今外出しておりますのでお引き取り下さい。」と棒読みで言ってやる、その前に。

「あれ?客人ですかィ?」

 団子を口に頬張りながら死神が縁側から顔を覗かせた。
 コイツは本当にいつどんな場面でもあっけらかんとした顔をしているなと改めて俺は思う。死神なんて名ばかりで恐怖さなんて爪の先ほどもない。
 死神は串に残った団子をパクりと頬張ると幼い表情でモゴモゴと口を動かす。ちなみにその団子は俺が罰ゲームで買ってきた期間限定の高いやつだったりするのだから、恨めしい。

「オイそこの坊主」
「俺ですかィ?」
「そうだ。俺は道場破りをしに来た。ここの道場主は何処に居る?」

 大柄の男は威圧感たっぷりに死神を見下ろすが、ド太い神経をしている死神はゴクンと団子を飲み込んではァと素っ頓狂な声を上げるだけだった。そして道場を見渡す。近藤さんが居ないのは一目瞭然だった。なのに死神の手はゆっくりと持ち上がって、俺を指差す。

「あの人でィ」
「はァァあああああ?!」
「やっぱりお前か」

 熊男は俺を見るなり眉を寄せて睨んでくる。最初っからそうじゃないかと思っていたと言わんばかりの表情だ。これはひょっとしなくても話が変な方向に向いてきたかもしれない。浴びなくてもいい水を被ってしまうような、そんな苦労人の臭いがぷんぷんする。
 いやいやいやいや。

「違うから。ここ近藤道場だから。俺近藤じゃなくて土方だから。ただの居候だから」

 顔の前で手を横に振って人違いですと繰り返す。
 そんな時に限って無情な敵、もとい伏兵が俺の足を掴んだまま「先生は強いんだぞ!お前なんかに負けるもんか!」と熊さんを煽るようなことを言うモンだからげっと俺は顔がひきつった。
 数で勝負と言わんばかりに一人を皮切りにそうだそうだと伏兵たちが声を会わせる。鬼か悪魔かお前たち。
 勝負だァァと熱く吠えている道場破りを横目に死神はひょこひょことこっちに歩いて来ると俺の肩をポンっと叩いた。思いっきり憐れみを醸し出している表情が憎たらしい。

「さァさァ出番ですぜ。行って来なせェ」
「誰のせいだよ。ってかお前が行けばいいだろ」

 強いのはお前の方じゃないか。そう言えば死神は大袈裟に肩を竦めてドカリとその場で座り込んだ。

「俺が行ってもしょうがねェでしょう。俺は此処にいるだけでこの道場とはなんの関係もねーんだし。それにこういうのは生半可な気持ちでやっちゃいけねェんです。熱いモンでぶつからないと意味がねェ」
「…お前の口からそんな言葉が飛び出してくるとは思わなかった」

 死神はくるりと空色の目を揺らすと、俺を見上げてニッと口角を釣り上げる。そしてこんなことを言う。

「俺が関わるのはアンタだけですからね」
「…あっそ」

 なんだか急に照れ臭くなって俺はふいッとそっぽを向く。
 アンタなら勝てやすよ。
 空色の瞳で真っ直ぐと見られて俺の中のドクンと何かが脈打った。
 持っていた竹刀をギュッと握りしめて、よしッと意気込む。死神とはいえ神様から太鼓判を貰ったんだ。覚悟を決めてやるしかない。
 子どもたちの声援を背中に受けて俺は道場の真ん中に立った。男がニヤニヤとしながら反対側に立つ。標的を見つけたイジメッ子の様な顔だった。お互いに竹刀を構えると熊が言う。

「言っておくが俺はこれまでにいくつもの道場の看板を叩き壊してきた。大怪我をする前に降参した方が身のためだぜ」
「お生憎様」

 肩を竦めるとダンっと床を蹴って打ち込んで熊が打ち込んでくる。
 いきなりの攻撃に驚いたがなんとか竹刀で受け止めることが出来た。
 はっきり言って、負ける気は更々なかった。毎日あのクソガキにしごかれているんだ。こんな熊よりアイツの方がよっぽど凶悪で手強い。太刀を受けつつ癖や軌道を見やるが、やはり大したことないと思う。アイツと比べると止まっているようにさえ見えるのだから不思議だ。
 ピンッと頭に直接響くような感触があって、気付けば俺はソイツの腹に打ち込みを入れていた後だった。考えるんじゃなくて体が自然と動いた。そんな事実に俺自身が驚く。

「一本」

 誰も何も言わない静まり返った道場の中で、座って観戦していた死神が団子の串を持った片手を真っ直ぐに上げてよく通る声で宣言する。勝負あり。
 そうして俺と目が合うとフッと笑う、それが何故か、アイツから誉められたように感じて俺は。

「土方先生すごい!」
「う゛ッ」

 伏兵はいつだってなんだって容赦がなかった。わらわらと一斉に走り出して来て足に腰に腕に全身で飛び掛かってくるものだから、倒れないようにするのに必死だ。
 男は竹刀をボロリと手から落とすと両手をマジマジと見つめ「こんな筈は、こんな奴が居るなんて聞いていない」とよく分からない譫言を繰り返していた。余程負けたことがショックだったのだろうか、少し青ざめた表情で魂を抜かれたように呆然と俺を見る。名前はなんだと聞かれて、一応戦った相手への礼儀かと向き合う。顔を引き締めて一端の侍の顔をした。…子どもにじゃれ付かれているから全く様になってないけれど。

「俺は土方十四郎」
「土方、十四郎…。何故お前のような無名の奴が俺に勝てたんだ…」
「何故って…」

 譫言のように問われた言葉に俺は死神に視線をちらりとやった。きょとんとやり取りを見ていた空色の目と視線がかち合ってなんだかなぁと頭を掻く。素直に「アイツのおかげ」というのは歯痒い気がして気が進まなかった。けれどアイツとの打ち合いがなければ俺は確実にコテンパンにやられて、近藤さんの留守中に道場の看板を持って行かれていたことだろう。
 だから仕方なく俺は言った。

「まあ、俺には神様が憑いてるからな」

 ぶっ飛んだ俺の言葉に男も子どもも目をきょとんとさせる。するとその奥で俺の言葉を聞いた死神がパンッと膝を叩いて、「確かに違いねェや!」と声を上げて笑った。屈託のない笑顔だった。笑いすぎて目じりに溜まった涙を拭いつつ、「確かにその人は神様のモンだ」と笑うその笑みと言葉がひどく印象的で、俺の中でじわりと何かが焦げるような気がした。