死神そーご
7日目。俺の余命もちょうど折り返し地点だ。
最初は何がなんだか分からないことの繰り返しだったが、ここまでくるとあと1週間ほどで俺が死ぬってことも半ば諦めに似た境地で、死神が居ることにもすっかり慣れてしまった。慣れるどころか姿を見なければつい探してしまうほど、俺はアイツの存在に気を許している。
古道場の床をギシギシと踏み鳴らし、キョロキョロと辺りを見回してアイツの姿を探している最中、俺はなんでこんなことをしているのだろうと、ふと我に帰る瞬間がある。その度に胸の奥で燻っている何かに気付きそうになるが、けれど頭を振って気付かないフリをする。認めて受け入れたところでこの熱の行き場があるわけでもない。
「オイ」
「なんでィ」
雪が降り続くある日、積もった雪を踏みしめて三歩前を歩くソイツを呼び止める。振り返った死神の丸い頭に綿雪が飾りのように付いてあって、俺は眉を顰めた。ひょいひょいと招くように手を振る。
「ほら、こっち来いよ」
「なんで?」
「見てるほうが寒いんだよ」
雪に全てが包まれている。音も飲み込まれて人も居ない、空気さえも一から生まれたような透明さが身に沁みる、そんな日だった。
雪は昨日の夜から降り続いて今も尚止む気配を見せなかった。寒さに体を震わせながら首元にマフラーを巻いて、空気や風は凌げないから仕方がないとしても、雪ぐらいはなんとか防ぎたいと近藤さんから借りた赤い和傘を俺は差している。
そんな俺とは対称的に防寒着などを一切身につけていない死神は、普段と変わらない薄着のままヒラヒラと落ちてくる雪と戯れるように雪の中を歩いている。真っ直ぐと前だけを見て進むその背中を見ていると、そのまま雪の中に消えてしまいそうな気がして俺は、気付けば声を掛けてソイツを呼び止めていた。振り返って足を止めるソイツの、空色の瞳に俺が映っているのを見てそこで何故かホッとする俺が居る。
手を伸ばしてわさわさと髪についた雪を払ってやると、目を閉じてうーと猫みたいに唸る。それだけで妙にこそばゆい気持ちになるのだからたまったモンじゃないと内心苦笑する。
腕を引き寄せて傘の中に招き入れると死神は困惑の表情を浮かべた。
「土方さん。俺ァ人間じゃないんで寒さも暑さも感じねェんでさァ」
「だから俺が見てて寒いんだって」
「でもこんな小せェ傘にふたりも入れやせんぜ。ほら、アンタの肩傘から出てるじゃねーですか」
死神はそう言って俺の左肩を指差す。俺もちらりと一瞥して、すぐに視線を戻した。肩ぐらいでなんも変わらねーよと言えば、死神は丸い目をユラリと揺らして呆れたように息を落とす。
「はァ。よく言えやすねィ。鼻の天辺を赤くしてブルブルと子犬みてェに情けなく震えてたっていうのに」
「情けないは余計だ」
ほら、と歩くのを促すと、死神は渋々といったかんじで傘に入ったまま俺の隣を歩く。そんな何気ない些細なことで俺の気分は浮わついた。けれどやっぱり気付かないフリをする。
アンタは変だと死神は言った。
「俺が死神だってこと忘れてるんでしょう?やること成すこと人間と同じように扱いやがって」
「忘れてねーよ。お前みたいなぶっ飛んだ人間がいて堪るかよ」
「あと食べなくても平気なのに3食メシは食わすし」
「菓子だけを食べるなんて邪道だ」
「雪だけじゃねェ。雨の日だって傘に入れる」
「後でびしょ濡れで部屋に上がられても困るからな」
「それに無駄に俺の頭撫でるし。俺ァアンタと比べモンにならないぐらい年上ですぜ。敬いやがれ」
「お前の頭が丸いのがいけないんだ」
答えになっていない返答に死神はじっと俺を見上げると、けれど何も言わず視線を戻して心底困ったと言わんばかりの顔をする。
少しだけ俯くと猫っ毛の髪が流れて頬の線を隠した。それを何とはなしに見ていると、死神がはァと重い息をつく。
「なんか調子が狂っちまう」
死神はそう言ってシュンっと姿を消してしまった。
あ、と声を漏らした時にはもう遅く、俺の隣には誰の姿もなくて。
たったひとりが居なくなっただけで、妙にそれが虚しかった。さっきよりも感じる肌寒さを隠すように俺はため息をつく。
この身の内にあるの正体なんてとっくに知っている。けれどそれを認めてもどうしろと言うのだ。相手は神様で俺はあと1週間で死ぬ身だ。
だったらその瞬間まで共に居ることぐらい、望ませてくれてもいいじゃねえか。
未だに降り止まない雪を見ながら俺は前髪を強く掴んで佇む。
*******
門を叩いて近藤さんは居るか?と問われることはあっても、俺を名指しで指名する客はそういない。あって門下生の保護者か、そうでなければ何かを売り付けようとする押し売りぐらいだ。
だから門を叩いた人間を見た時、俺はあーと声を漏らした。
「近藤さんは今は居ないぜ」
門前に立った男は静かに首を振り、にこりと笑みを浮かべた。
「いえここに土方十四郎という方が居らっしゃると聞いたものですから」
「あ゛?俺?」
「これは驚きました。貴方でしたか。道場破りを打ち負かしたと聞いたのでどんな大男と思っておりましたが、いやこれは想像とは違い美しい」
その言葉を聞いて俺はまたかとげんなりする。この前の道場破りの件以降、それに関しての来客が多いのがここ最近の俺の悩みだった。
熱血の道場破りは実はそれなりに名前が通った男だったらしく、噂が広まりパンダよろしく俺を一目見ようと訪れる者がちらほら現れるのだ。稽古中も塀の向こうからちらちらと見てくる奴もいて、こっちは気が散っていい迷惑をしている。そんなに気になるんなら道場に入門しやがれってんだ。そうすれば近藤道場は安泰だ。何より俺はそんな風に見世物のような扱いが嫌いで、だからこの男もそういう類かと声にも自然と棘が含まれる。
「俺になんの用だ?まさかただ見に来たなんて冗談抜かすわけじゃねえよな」
「勿論です。私は意味のあることにしか時間を掛けません」
心外だと言わんばかりに男はおどけた表情を見せた。しかしその目から相手の意図は読み取れない。にこにことしているが隙がなく、一皮も二皮も被っていそうな嫌な印象を受ける。
中に通すわけでもなく門の柱に寄っ掛かってそれで?と俺は先を促した。
「俺になんの用だ?」
「貴方の腕を見込んでのお誘いですが、どうです?この道場の師範になる気はありませんか?」
「は?」
いきなりの言葉に、たっぷり10秒男の顔をボケッと見つめて俺はいやいやいやと手を顔の前で振った。
何言ってんだ、ここは近藤さんの道場だ。そう言ってやるが、男は愛好を崩さず逆に意味深な笑みを浮かべる。両手を広げて言った。
「世の中今が全てということはないでしょう。未来というものがある。私はその話をしているのです」
「なんのことだ」
「いずれ、そう遠くないうちにこの土地は私の物になるということです」
今度は理解するのに時間がかかった。この土地は代々近藤家が所有しているもので、そんな財産を手放すなど寝耳に水だ。あるはずがない。
コイツは怪しい。危険だと身の内の野犬が低く唸り声を上げる。自然と鋭い目付きになるが、男は気にした風もなく軽く肩を竦めるだけだった。
「そんなに警戒しなくてもいいでしょう」
「この土地を奪うっていうのかよ」
「奪うなんて野蛮な。譲歩という言葉がある。それに貴方にとっては悪くない話のはずですよ。居候なんて肩身の狭い思いをせず、道場の主として堂々と構えることが出来る。それに」
貴方は美しい。埋もれているなんて勿体ない。
男が手を伸ばして、俺に触れようとする。その胸クソ悪い手が届く前に音を立てて払い落とすと、俺は腹の内に食えないものを抱える野郎のツラをを睨んだ。
「帰れ」
「フフ。気高い人ですね。まあその内分かりますよ」
男はそう言って身を翻すとあっさりと去って行った。またお会いしましょうとの言葉を残して。
俺はその背をじっと見つめた。ああいう人間は手段を選ばず手に入れたい物は手に入れる強欲さと傲慢さを持っている。何か仕掛けてくる。直感的に俺は感じ取った。
と。
「もったいねェ」
「ギャーー!!」
門の上から逆向きの顔がいきなり目の前に出てきたから俺は叫び声を上げて失神する手前だった。
それをなんとか根性で保つことが出来たのは、門の上から顔だけを垂らしているのが見慣れた死神だったからだ。
大きな青い空色の瞳がじっとこっちを見ている。俺は素面を装おうが、ドクドクと慌ただしく跳ねる鼓動を落ち着けるのに必死だ。
「ンだよここはシリアスパートも出来ねぇのかよッ」
「なんで断ってたんです?」
文句を遮って平坦な声で問われ、俺は怒気を抜かれる。
「なんでって…何が?」
「さっきの話ですよ。師範として買われた話でさァ」
「なんだ全部聞いていたのか」
「俺はアンタの命を奪うまでいつだって土方さんの近くに居やすぜ。アンタからは離れやせん」
さも当たり前だと言わんばかりの口調に、俺のめでたい頭は一瞬考えることを止める。いや待て待て待て。今のはそんな意味じゃない勘違いするなと自制して、咳払いをひとつ不自然に落とした。丸い目が人形のようにことりと首を傾げてこっちを見るから、俺は意地でも視線を合わせない。
「断るに決まってんだろ。あんな胡散臭い野郎の話なんか聞くかよ。それにこの看板を読んでみろ」
「こんどーどうじょう」
「そうだ。ここは近藤さんの道場だ」
「でもアンタにとってはいい話じゃねェですか。何も損しねェ、一気に地位と名誉を手に入れられまさァ」
無邪気に問われて、俺はちらりと死神を見やってからなんとなく言いづらくて頭を掻いた。
「俺はンなのに興味はねーよ。それにあの話に乗っちまえば俺は近藤さんを裏切ったことになる」
「なんで?」
吸い込まれそうなほど純粋な目で見つめられる。
「裏切りも何も、アンタは自分にとって条件の良いほうを選んだんだけじゃねェですか。それのどこが裏切りなんです?」
「そう都合よく出来てねーんだよ、人間ってヤツは。どうしても負い目や罪悪感なんてものを感じる」
「それは悪いことをしたって気持ちがあるからだろィ?俺が言いたいのはそんなモンを感じる必要自体にがねェってことだ。土方さん、アンタは自分にプラスになることをした。それだけです。裏切りなんて大層なことをしたわけじゃねェ」
「神様の言葉とは思えねーな」
「神様が慈悲深いだのなんだのって思ってるのはアンタらの幻想でさァ。まあ中には人間が抱いている神様のイメージにぴったりのヤローも居やすけどね」
俺ァ合理的にしか考えられやせん。門から降りてきた死神はそう言った。だからアンタが断った理由がわからないのだと。
死神の目は道場の子どもと同じように透き通っていた。何も汚れを知らない無垢な青い目だ。見透かされるようで嫌だった。
死神の問いに答えるのであればそれは感情論で、俺はどうにも居心地が悪くなって背を向けるとそのまま部屋の中に戻った。
「プラスだろうがマイナスだろうがどうでもいいじゃねーか。どうせ俺はあと1週間の命だ」
背を向けたままそう言って話を千切る。死神がじっと俺の背中を見ていたのに俺は気付かない。