死神そーご
ペコリと頭を下げて足早に去って行く親に対し、子どもはちらちらと名残惜しそうに何度も俺たちを見ていた。それに答えるように近藤さんはいつまでも手を振っていたが、その姿が見えなくなるとゆっくりと手を下ろして肩を落とす。横に立つ俺を見て、またいっちまったなと苦笑いを浮かべる近藤さんに、俺の中で歯痒い思いが渦を巻く。
今日だけで道場から門下生が2人も去っていった。これで3日間という短期間でで5人も辞めていったことになる。
どうしてこうなったのかなんて考えるまでもない。あの野郎、本気で仕掛けてきやがった。
浮かぶのは前に誘いをかけてきた食えない野郎の顔だ。俺は拳をギッと握り締める。
調べてみてわかったことだが、あの道場破りは、山西というあの食えない男に雇われていたらしい。自分の腕に自信があり、山西に言われた道場に向かい道場破りをする。勝てば山西に報酬を貰う。道場破りにとっては自慢の腕を振い金も手に入れられる夢の仕事だったに違いない。酒屋の店主が酔った道場破りがそう漏らしていたのを聞いていた。前に俺が打ち負かした時、道場破りが「こんな奴が居るなんて聞いていない」とぼやいたのはそういう意味だったのだ。
山西は道場破りが負かした道場の評判を裏から下げ、現状維持が出来なくなった道場に誘いを持ち掛けその土地を買い取るということを繰り返しているらしい。経営が困難になったほとんどの道場主は山西に道場を明け渡してしまう。道場破りと山西が繋がっているとは露知らずにだ。
しかし今回は無敗を誇っていた道場破りが負けてしまい、道場破りを引き合いに評判を下げることが出来なかった。そこで山西は噂を立てることにした。近藤さんが実は刀の実力も経験もなくて口から出任せのことを教えているだの、だから道場破りの時は出ていかなかっただの有られもない噂ばかりだ。近藤道場は小さな町道場だから、噂にもすぐ煽られてしまう。しかも経営をしているのが近藤一家と居候の俺ひとりとくれば噂は飛び交いまくりだ。噂を真に受けて大切な子どもをそんな道場に任せておけないというのが辞めていった親の心情だった。
どかりと畳の上に腰を下ろして俺は苛立ちに髪を掻きむしる。
この間まで子どものはしゃぎ声で賑わっていたのに、たった3日でこの静けさだ。稽古が終わると同時に家へ戻るように言われているらしい、近藤さんをちゃんと信頼してくれている家の子どもたちと近藤さんの声が僅かに聞こえてくるだけだった。
苛々する。クソッと吐き捨てる俺の隣に腰を下ろした死神は、先ほどから空色をきょとんとさせている。
「何をそんなに怒ってんですかィ?」
「腹立つんだよ。山西のやり方が気に食わねえ。近藤さんのあの顔見たか?どうにかしてやりてえけど、俺にはもう時間がねえ」
「そうでさァ」
死神はあっさりと頷いて指を4本立てると、それを俺に突き付けた。
「アンタの寿命はあと4日です。それ以上はありやせん。他人の心配をするより残りをどう満喫して生きるか、自分の心配したらどうです?」
「そんなこと出来っかよ」
「なんで?」
また始まった。俺は吐きそうになるため息をグッと堪えて視線だけを外す。
「山西の野郎、俺の悪い噂は流さずに近藤さんの噂ばかり流してやがる」
「あららァ。そりゃァひどく気に入らやしたねィ」
「冗談じゃねえっつーの。野郎が俺の噂を流さないのは次の道場を俺に任せようとしているからだ。どこまでも利己的で腹が立つ」
「でもそれが人間でしょう」
淡々とした口調に思わず聞き逃すところだった。
ふと死神を見やる。顔色ひとつ変えずソイツは続けた。
「俺にしてみればアンタのほうが理解できやせん。まだ山西って人間のほうが分かりやす。欲に忠実で自分本意だ」
「人間誰もがそうじゃねェよ。他人を思いやることができる人間だってちゃんといる」
「そうですか?俺としては土方さん、アンタが優しすぎるんじゃねェかと思うんですけど」
クリクリとした目に俺は思考がピタリと止まる。優しいだって?誰が?俺が?
「何言ってんの?」
呆然と呟くと死神があって顔をしてバツが悪そうにした。こちらをちらりと見て小さく、だってアンタ俺を人間みたいに扱うじゃねェですかと呟く。その言葉に俺は反論出来なかった。何か口にすれば墓穴を掘るような気がしたからだ。居心地が悪くなって少し身じろぎする。
それはお前に惚れた弱味だと言ったらなあどうする?
死神は俯いたまま続けた。
「飯は食わすし」
(見かけと逆によく食べる)
「寝る時ずれた布団を被せ直すでしょう?」
(ああそうだ。寝顔があどけなくて困った)
「荷馬車が暴走した時俺を庇ったり」
(無意識だ。お前が引かれると思って焦ったんだよ)
「俺ァ死神ですぜ?」
「知ってるよ」
知ってる。分かってる。でもしょうがないだろう、好きなんだ。
俺のこころの内が聞こえたわけでもないだろうに、死神は顔を上げると眉を八の字に下げて困ったように笑う。何故だろう。その笑みが俺の心をひどくざわつかせた。
「人間っていうのは不思議でさァ。ついほだされちまう」
どこか妖艶にそう言う死神の空色の瞳が、怪しく光ったような気がした。妙な輝きを放っていた。不気味なほどに美しくて視線が釘付けになる。
死神は四つん這いになって近付いてくる。俺は胡座を掻いたまま、動けもしなければ視線さえも外せなかった。頭もよく働かなくて、まるで金縛りだと思う。否、文字通り俺は死神に魅せられていた。
「土方さん。俺の言葉を復唱してください」
固まった俺の首に腕をするりと巻き付けると、目と鼻の先に顔を近付けてこっちを覗き込んだ死神は、至近距離で誘いをかけるように甘い言葉を放つ。俺の目は空色に釘付けだった。逸らせない。
「第三条。人の願いは移り変わるもの也」
「第三条。人の願いは移り変わるもの也」
「その意を聞き入れし時は、呪呪繋ぎにより己の使命を全うせよ」
「その意を聞き入れし時は、呪呪繋ぎにより己の使命を全うせよ」
俺の口は自然と死神の言葉をなぞって言った。死神の口がにやりと嫌に歪む。顔を耳元に寄せると小さく吹き掛けるように囁かれる。その声がその息がそこに居るのが死神だという存在自体が、俺を惑わせて。
俺は、囁かれた内容をそのまま口にしてしまった。
「我が呪呪を繋ぐ者の名は山西」
「了解しやした」
死神はそう言うと俺の頭をグッと引き寄せて俺に口付た。突然のことに俺は目を丸くする。コイツと初めて会った時のあの赤い月の晩を俺は思い出していた。
触れるだけのキスを交わして死神はガバッと立ち上がった。夕焼けの空を背景に穏やかな笑みを浮かべて、全く想像していなかった台詞を俺に突き付ける。
「おめでとうございやす。これで土方さんは俺に殺されて死なずに済みやす」
「は?」
「アンタの願い、つまり俺への願いは山西って人に移りやした。呪呪繋ぎって言ったでしょ?呪呪繋ぎっていうのは願いを他者に渡すことなんでさァ。さっき俺の言葉を復唱したあれは、アンタが呪呪繋ぎを望んだって意味だったんです」
「それってつまり、」
山西が俺の代わりに死神に命を奪われるってことだ。目をまるくする俺を見て死神はゆるりと笑って髪を掻き上げる。
「死神がこんなことをするってーのは馬鹿げた話ですけどね。なんだかねィ、アンタにほだされちまった。土方さん不器用だし。なかなか居ねェですぜィ。死神の姿を見て生きている人間なんて」
「ちょっと待て、おまえ、」
「あと4日で死ぬアンタだったんだ。5日目を迎えられる素晴らしさを感じなせェ」
死神は言うだけ言うとパンッと手を叩いて消えてしまった。
俺は呆然と目の前に広がる茜色の空を見ていた。死神越しに見ていた夕日が、山裾に消えかかっている。頭の中にアイツの言葉がじんわりと浸透していく。
俺にはもう余命なんてものはない。
前と同じように生きられる。
でも、そこにアイツは居ない。
漠然と俺が理解出来たことなんてそれぐらいだった。
「ンだよ、それ…」
畳に爪を立てて俺は下唇を強く噛んだ。呪呪繋ぎだ?願いが他者に渡しただ?5日目だ?なんだよそれ。
「冗談じゃねえよッ!!」
苛立ちに任せてバンッと畳を叩いて俺は部屋を飛び出した。納得がいかなかった。道場の門を飛び出す時に近藤さんとすれ違う。どこに行くんだ?!と聞かれる。神様探し!そう答えて、俺は夕日が沈む空に向かって駆け出す。