そーご


 探しているうちに冬の太陽はすっかり落ちてしまった。闇の中で息を切らしながら俺は走り続ける。
 けれどどこを探すのかなんて検討もつかなかった。
 アイツはいつだって俺の傍に纏わりついていたのだと、思い知る。

 息を切らしてふと空を見上げると光が見えた。
 燃え上がる夕焼け色が闇夜を焦がしている。
 大きな屋敷が燃えていた。
 表札を見ると山西と書いてあって俺は迷わず屋敷の門をくぐる。
 ここだ。アイツはここに居る。息が切れて苦しい上に煙と熱が屋敷には充満していてたまったもんじゃなかった。

 門をくぐると歌が聞こえてきた。名前も知らない手まり唄だ。何人もの子どもが歌っている歌声が直に耳元に響いてくるようで不気味で気味が悪い。しかもそれ以外が奇妙なほど静かなのがまた拍車をかけていた。屋敷が燃えているのに人の悲鳴もざわめきも聞こえない。
 へたへたになって足がもつれ、中庭に入ったところで限界だった。膝に手を置いて立ち止まり肩で息をする。ぜえぜえぜえぜえ自分の息が五月蠅かった。
 しっかりしろと奮い立たせて、顔を上げた先。
 それは居た。
 中庭の真ん中に佇んでいる。

「おいっ!」

 声を掛けると死神が振り向いた。顔の半面が炎の光に照らされている。その光を受けて輝く空色の瞳の中で、火の子がぱちりと蛍のように舞う。
 死神はその目を細めると、くるりと前を向いて俺に背を向けた。なんでアンタがここに居るんですかと問う。確かに視線は合ったはずなのに、つい数十分前までは一緒に居たはずなのに、その声色はひどく冷たかった。

「土方さん。アンタの願いは消えやした。アンタの命はアンタの物です。聞こえやすか、この唄。この唄が終わると同時に俺は山西の命を奪いやす。願いが移るといろいろと順番があるのが面倒でいけねェ」
「殺すっていうのか。待てよ、お前に願いをしたのは俺だろッ!そもそも俺は願いを移してーなんざ言ってねぇ!!」
「何をいきり立ってんですか。アンタだって死神と知らずに神頼みなんて真似したんでしょう?結果オーライじゃねェですか。生きてその上少なからず憎んでいた人間が目の前から居なくなる。呪呪繋ぎは憎しみを抱いている相手を対象にしか移せないです。アンタはすぐ苛立つくせに憎しみを抱くほど誰も怨まねェから成功するか心配だったんですけど、唄が歌われているってことは成功でさァ」

 死神は両手を広げて空を仰ぐ。愉快そうに狂ったような笑い声を上げた。

「ほら見てくだせェよこの炎。あの山西って男、死神だって言って人間じゃねェって分かった途端、慌てだしましてね。逃げる最中に提灯落として大切な屋敷も火の車だ。あの慌てっぷりといったら傑作でしたよ」

 俺はこの時初めてコイツが怖いと思った。死神がではなく、180度急に変わってしまったようなその豹変ぶりに寒気がした。無邪気に笑っていたコイツの顔が浮かんで消える。
 それでも。けれど。
 ぎゅっと拳を握りしめて己を震い立たせる。
 たっぱり納得がいかなかった。知りたい気持ちの方がデカかった。この時ばかりはしつこい己の性格に感謝して俺は落ち着いた声色で問う。

「なんで呪呪繋ぎなんて真似を勝手にやったんだ?」
「土方さんがどうしようもないくらいお人好しだったんで、俺なりの情けってやつでさァ。せっかく延びた命なんだ。早くここから出て行ったほうがいいですぜ」
「答えになってねえよ」

 俺は死神との距離を詰めると肩を掴んで振り向かせる。青色の瞳がじっと俺を睨み上げた。澄んだ空色の瞳は光のない深海の底のような暗い色をしていた。ごくりと息を飲む。何ひとつ見逃さないようにその瞳を見つめる。

「納得出来ねえんだよ。俺がお人好しだの情けだの言いやがるが本当にそれが理由か?俺にはそうとは思えねぇ」
「俺の気紛れっていうのもありやす」
「お前嘘が下手だな」

 死神が眉をピクリと動かす。いつも以上になんの起伏もない面のような表情をしているが、それが胸の内を必死に隠しているようにも見えた。畳みかけるように強く言う。ここで引いたら負けだと思った。

「俺はお前に助けられたよ」

伝えたくて静かに吐き出した言葉。死神が目を丸くして呆然とする。もう一度、お前に助けられたんだと繰り返すと、その言葉を飲み込むように空色の瞳がひとつ瞬いた。

「俺は不平不満ばかりを漏らしていた。平和な日常に飽き飽きして、毎日をつまらないと決めつけていた。けどお前に会ってからは目まぐるしいほどに毎日が変わったよ」
「………」
「刀では負けるはガキの中に放り込まれるは道場破りと戦う羽目になるは、変化ばっかりの毎日だ」
「充実してただろィ?」
「ああ。おかげ様で」
「じゃあ呪呪繋ぎはアンタにとってもいいことじゃねェですか。まだ生きられますよ」
「でもお前が居ない」

 空色が水面を打ったように揺れる。俺は目を逸らさない。肩を持つ手に力を込めて、はっきりと口にする。願いを叶えた瞬間また石碑に戻る死神。生きた先にお前が居ない。それがたまらなく嫌なんだと、そんな本音を俺は気付いてしまった。認めないフリをしていた。けど本当はもうずっと前から奥底で疼くこの感情の意味を知っていた。

「…だから言ったでしょう。『ついほだされちまう』って」

 死神は暫く黙って、やがてポツリとそう漏らした。俺の知っているあの無垢な青空色の瞳で俺を見て、くしゃりと顔を歪める。困ったように笑って、観念したような声色で言う。

「だから俺ァアンタに生きてほしいと思っちまったんですよ、土方さん」

 その言葉が何よりも心に響いた。炎に照らされる髪を掻き上げ、全く死神失格ですよと苦笑する、その存在が何よりも愛しく思えた。
 人の命を奪うのが死神の努め。けれどそれを歪めてしまうほど大切に思ってしまったんだと言われたようで、俺は息を止めてしまう。俺にとってそれは確かに告白だった。
 本音を言ってしまったからか死神は居心地が悪そうな顔をして、反対の手で俺の肩を押すと早く帰って下せェと言う。けれど俺は絶対に肩を掴む手を緩めなかった。

「…なんで、俺にキスをしたんだ?」

 暫く間を空けて問うと、死神がひとつ瞬いて、首を傾げる。

「契約だからです。人間の世界に例えると判子みたいなモンですよ」
「山西にもするのか?」
「まァしないと呪呪繋ぎが完成しやせんからね。人間にとってはいろいろと意味があるようですけど、俺たちにとっては内の魂と結ぶ効率的な、」

 話を聞くのはそこまでだった。腕を掴んで引き寄せて強引な口付けを交わす。目は閉じなかった。視界がぶれるほどの至近距離で死神の空色がまあるくなる。
 ふと辺りで木霊していた唄がノイズが走ったように途切れる。それにハッとした死神が必死に片方の手で俺を引き剥がそうとする。その手さえ捕らえて動きを封じて角度を変えてまた奪う。手首からは体温なんて感じない。そもそもコイツは人間じゃない。けれど何故か感じる甘さ。俺は目を閉じてそれを味わう。
 何度も角度を変えて口付けて顔を離した。ただただ呆然と俺を見上げる死神を抱き締める。両の腕に収まった体、首筋に顔を寄せて俺は懇願する。

「俺だって死にたいわけじゃない。出来ることなら生きてえよ」
「なら、」
「でもお前だから俺は覚悟を決めたんだ。お前に俺のことを最後まで見ていてほしいんだ」

 体を少しだけ離すと、俺は死神の目を真っ直ぐと見つめて告白した。
 だから一緒に居てくれ。

 パチンと何かが弾けた、そんな音を聞いた。唄が止む。燃え盛る炎の音が闇夜に響く。
 ふいっと顔を逸らして死神は俯くと、あーあと声を漏らした。

「アンタが俺に口付けるから呪呪繋ぎが失敗したじゃねェですか。何してくれんでィ」
「お前が勝手なことばっかりするからだ」

 失敗した、その言葉を聞いて俺は自然と笑ってしまう。もう一度その体を抱き締めてそこでやっと深い深い息を吐く。

「お前は俺の命だけ狙ってろ」

 そう呟くと死神が胸の中でせっかく生き延びれたのに、アンタほど馬鹿な人間は居やせんと文句を垂れる。
 ああなんとでも言え。俺はどうせ死神を好いた馬鹿で愚かな人間だ。