雪の花、雪の傷痕
―――必ず帰りますから、俺が奪うまでアンタは副長の座でも守って待っててください。
それが総悟の手紙に書いてあった、最後の文だった。
副長の座副長の座ってそればっかりかよ。最早決まった上等文句に呆れを通り越して笑うしかない。
くたくたで、周り全部が敵のように見えて気を張るのも疲れた。そんな時に引き出しからそっと文を取り出し、もう内容を覚えてしまった手紙に目を通すのが人知れず密かな日課となっていた。お世辞にも上手とは言えない字ではあるが、それがどことなく心を落ち着かせてくれる。
読んで、またあの声を聞く日はいつだろうかと日付をなぞる。
眠りに就くと子どもが帰ってきた夢を見た。相変わらず生意気で近藤さんに懐いて俺を茶かしてそこに居る、かつて当たり前に過ごした日常の幻想。しかし目を開けると余韻も残さず霧のように掻き消えて、静寂で冷たい現実が広がっている。夢だったのだと知って落胆し、いや今日明日にはと未来に淡い期待を募らせる。
そんな毎日を繰り返す。
ある日、朝早くに山崎が俺の部屋を訪れた。青い顔をして、これを、と短い言葉である物を差し出してくる。
刀だった。
どこかで見覚えのある刀。
――ぞっとした。
「今朝早く…おじいさんが訪ねて来て、これを置いていきました。――沖田さんの、刀だそうです」
「……何言ってんだ、お前…」
―――帰りますから、待っててください。
「んなわけあるはずねェだろ」
だって手紙には待ってろとそう書いてあった。
何度も何度も読み返したのだ、間違えるはずがない。
総悟は帰ってくると言っていた、待ってろと少し歪な字で書いてあった。
―それなのに、
『死ねッ! 土方ッ』
『てめェ、危ねェだろッ!』
ああ差し出された刀はたしかに
「副長ッ?!」
山崎から刀を奪い取り、鞘ごとそれを折るつもりで両手に力を入れた。ぎょっとした山崎がやめてくださいと声を上げて俺から刀を奪おうとする。奪われてなるものかとそれを思いっきり突き飛ばすと、山崎はガタンと激しく肩と頭を壁に打ちつけた。構わず、両手に力を込める。刀が、鞘が、ミシミシと音を立てる。
「副長ッ! やめてくださいッ!」
「うるせェ!」
悲痛な叫びを上げて飛び掛ってくる山崎を再度突き飛ばした。折ってやる、それしか頭に浮かばない。
何故分からないんだ。こんなの嘘に決まっているじゃないか。だって総悟は帰ると、待ってろと、そう言ってたんだ。だからこれが総悟の刀であるはずがない。侍が総悟が刀を手放すなどありはしないのだ。あるのだとすれば、それは、それは。総悟が死んだということ。考えないようにしていた最悪の想像が俺を掻き乱す。
「トシッ?!」
山崎の叫びか物音を聞いて近藤さんが慌てて俺の部屋にやって来た。そっちを見ないまま、続ける。
「見ろよ近藤さん。山崎がこれが総悟の刀だって言いやがるんだ。そんなはずねェのによ」
「なに…? ま、待てトシ、じゃあお前は何をやっているんだ」
「見りゃわかんだろ。こんな紛い物、粉々にしてやるんだよ」
「やめろ、トシ!」
「黙れッ!」
刀が悲鳴を上げる音を嬉々として聞きながら渾身の力を両手に込める。口が勝手ににやけた。ああそうだこんな刀壊してやる。これが総悟の刀? 笑わせんな。総悟の言葉は俺が知ってるんだよ。こんな、こんなものッ。
もうちょっとだ、そう思った時。
ドンッ、と腹に衝撃を受けて息を詰まらせた。見やると近藤さんが辛そうに顔を歪めて俺を見下ろしていた。殴られたんだ、そう知るのに時間は掛からなかった。刀を手放しずるずると体が崩れて意識が遠のく、近藤さんめ、思いっきり殴りやがって。
『アンタも一緒にね』
気を失う寸前、落ちた刀に手を伸ばす。暗くなる中でアイツの、総悟の顔が浮かんで消えて俺を呼ぶ声が。